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第203話:「悲観」に照応する人々



◆主訴「息苦しい」
夕方になると息苦しいと訴えるAさん(男性働き盛りの40代後半)が来院しました。病院で診てもらうと「喘息ではなく精神的なもの」と言われ、今ひとつ納得できないでいるところに、以前治療したことのある当院をふと思い出したとのこと。聴けば昨年の新型コロナ感染以来、ほとんどがテレワーク。家族と過ごす時間が増えて嬉しいはずが、次第に社会との関わり方に迷いを生じてきたと。そんなある日、ふと「家族を残して突然コロナで死ぬかもしれない」という不安が急にこみあげてきたとか。しかも主訴の「息苦しい」は、そのことが契機だったと、問診を通してはじめて気づかれたようです。

◆ネガティブな「感情」に照応
気持ちの在り様を診て気になったのが「悲観」という反応でした。「悲しみ」は受動的で「悲観」は能動的と(わたしは)みています。コロナ禍で先行きがみえない不安の中で「死ぬかもしれない」という「悲観」の感情が自発的に沸いたということ。それが自律神経を乱し、横隔膜の動きを止めて「息苦しさ」という症状を引き起こしたのでしょう。特にAさんは「敏感な人(HSP=Highly Sensitive Person)」のようです。HSPは人の「感情」を取り込んで生きづらさを感ずる―とよく採り上げられますが、Aさんの場合は、人の「感情」というよりは、世の中に漂うネガティブな「感情」を取り込んで病気や症状を呈したということでしょう。HSPには時代の空気に漂うネガティブな「感情」に対しても照応しやすいと捉えています。

◆改善に向かうための大事なこと
Aさんは、鍼灸治療を重ねることで呼吸が深くなって行き、夕方訪れる「息苦しい」という主訴は確実に改善へと向かいました。ただ、ここで大事なことは症状が改善したということではなくて、ナラティブ(narrative)と呼ばれる「病に至る物語性」に気づくことです。Aさんのケースであれば、「死ぬかもしれない」という「悲観」の感情を取り込んだことが「病に至る物語性」の始まりであり、そして敏感すぎる感受性がそれに照応して症状に至ったというのが「物語」のあらましです。Aさんのように、自身が一連のナラティブを認識して、尚且つ医療者(治療者)とそれを共有することが、症状の改善を導くというものです。

◆コロナ禍で
最近、子供にうつ病が増えていると精神科医の先生が警告しています。罹患しやすいと考えられるのは、こうした敏感な子どもたち(HSC=Highly Sensitive Children)ではないでしょうか。
総じてHSP/HSCの人たちは、時代のネガティブな感情を拾い、心身共に苦しみやすいと言えます。そうしたケースは、患者さんにとって、ナラティブを分析共有できる医療者(心理カウンセラーなど)との繋がりがとても大切になります。そして手前味噌にはなりますが、東洋医学の鍼灸治療においても、体の声を聴くことができる治療家であれば、その任を十分果たせると思っております。
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第202話:中嶋泉『アンチ・アクション(日本戦後絵画と女性画家)』



2020年のサントリー学芸賞(芸術文学部門)を受賞した中嶋泉さん(大阪大学大学院准教授)の『アンチ・アクション(日本戦後絵画と女性画家)』を読んでみました。

この本は、戦後美術史のジェンダー的問題を探り、草間彌生(1929~)、田中敦子(1932~2005)、福島秀子(1927~1997)という三人の女性美術家の創作活動を見直し、戦後文化のもとで女性がくぐり抜けた政治状況を確認し、その挑戦としての彼女たちの作品の再解釈を試みています。

ジェンダーの視点から覗いた、60年代あたりの日本の現代美術界の実情には驚きました。画壇には旧態依然たる男性中心のヒエラルキーが確立して、女性美術家には「女性らしさ」が求められ、活躍の場すらも排除するという有様だったとか。当時の著名な美術評論家ですら「芸術家と女性とが自分の中で結びつかない」などと(まるで今の森喜朗のような?)因襲的な女性観の言説が普通にみられたというのです。

そんな男性中心主義の画壇において、田中敦子(具体美術協会)と福島秀子(実験工房)の二人は、「男性的」と見なされる方法とは違う形で主体的に芸術活動に取り組み実績を残しています。一方の草間彌生といえば、早々に日本画壇とは決別し57年に渡米。ニューヨークデビューを契機に、抽象表現主義の第二世代作家の一人として確固たる地位を築いたと言われています。

これら3人の女性美術家の、再評価されるべき共通した創作活動上の業績とは、60年代に席巻した絵画思想「アクションペインティング」に対しての、オルタナティブを示そうとしたことにあると著者は指摘します。ここで「アクション」が意味するのは、即興的な筆使い、大振りな体の動き、絵具の飛沫が象徴するなど、男性性の激しさにありました。表題の「アンチ・アクション」とは、彼女たちがそうした男性性に対抗してみせた(性別や民族を超えたところの)差別化の芸術意識を、当に象徴的に表しているのです。

現在最も著名な日本の美術家である草間彌生に留まらず、今や故人となった田中敦子と福島秀子という同時代に生きた最も革新的な二人を加え、さらに戦後美術史のジェンダー的視点で、彼女たちの「アンチ・アクション」と表する創作活動を見直し、現代の俎上に上げてみせたところが、この本の魅力であり最も革新的なところだと実感できました。

※中嶋泉『アンチ・アクション(日本戦後絵画と女性画家)』株式会社ブリュッケ(2019年)

第201話:古井由吉『われもまた天に』を読んで



今や現代文学の最高峰とまで評価されている作家・古井由吉(享年82)が亡くなったのが昨年の2020年2月。一昨年来、『新潮』に発表してきた連作の3作目が、昨年の5月号に未完のまま遺稿として発表された。そんな一連の経緯を知らないまま、その2作目の短編『われもまた天に』が掲載された『新潮』2019年9月号を、偶然にもブックオフで見つけ、流れに赴くまま、初めての体験となる古井文学の世界へと入り込んでみた。

その『われもまた天に』は驚いた。というのは、まるで現在の新型コロナウイルスの感染拡大を予見していたかのように、古来の「疫病」について言及していた。古井由吉がこの短編を執筆した時期は一昨年の4月~5月の改元の頃。折からの「寒の戻り」というべき天候不順が続き「冬が暖かく春になり冷え込むと、とかく疫病の流行を見る、と古い漢方では考えられていたようだ。」と東洋の伝統医学の知見で、近々来るであろう「疫病」を予見していたのだ。

「疫病」とはウイルスや細菌で感染するのではない。「天の癘気(れいき)のもとで人に一斉に、重い軽いはあっても(中略)ひとしく起こる危機・・」とあり、そもそも「疫病」は「天」から等しく下される「危機」であり、あくまで「天」と「人」の関係の問題だと言うのだ。

亡くなる1年前、改元の頃の古井由吉はといえば、老いと病を抱えながら、どんな細やかな天候の異常さでさえも心身まるごとで感受していたに違いない。だからこそ、「天(自然)」と「人」の深淵に及ぶほどの濃密な文体として古井文学が成立しているのは、きっと自然との照応をとことん試みたからなのだろう。自然と人の境界線がない世界だけに、読み込んで深みにはまる魔力がこの作品にある。

蛇足ながら、もうひとつ驚いたのが、森鴎外からの引用である。
古井由吉は老いていく上で不可欠な「天」と「人」の理について、明代の医学者・李挺(りてい)の言葉を引用している。それが実は森鴎外の史伝のなかの『伊沢蘭軒』からの孫引きなのだ。そこで『伊沢蘭軒』を調べてみると森鴎外の原文は漢文のまま。つまり古井由吉は漢文を読み下しにして紹介していることになる。その経緯を「三読してどうも自分の頭には大きすぎると通り過ぎかけたところで、なにがし心残りがしたようで、書き留めておいた」とある。これこそ森鴎外を深く愛読している証左であろう。

このことは小説に直接関係のない、あくまでも個人的な興味だけど、最近、町田康までもが毎日新聞に森鴎外を論じていた。明治の文豪・森鴎外は現代の作家に未だ大きな影響を与えている存在だということ。恐るべしは森鴎外なのだ!と、古井由吉の文学からもそれが十分窺えたのだ。(了)

第200話:「敏感すぎる人たち」に耳粒療法の試み



◆敏感すぎる人たち(HSC/HSP)とは
最近注目されている「敏感すぎる人たち(HSC/HSP)」をご存知でしょうか。子どもの場合は「HSC(Highly Sensitive Child)」、大人の場合は「HSP(Highly Sensitive Person)」と呼びます。これは90年代後半から米国で提唱された心理学的概念であり、病名とか傷害名という意味ではありません。

たとえば、周りの空気や他人の感情に敏感に反応するため、傷つきやすく、生きづらさを抱えやすい人たちです。この敏感さが、不登校やひきこもりの気持ちを理解するひとつの大きなヒントになるかもしれない-と言われ、最近特に注目されています。
それと心理面に加え、身体症状を随伴しやすく、敏感さ故にいろいろなものを感じ取って、刺激が脳の自律神経を乱して、睡眠障害や体の倦怠感、起きられない、など神経や精神を病みやすいことも特徴なのです。

◆4つの特徴
米国の臨床深層心理学者:エイレン・N・アーロンの『ひといちばい敏感な子』(1万年堂出版)によれば、HSC/HSPには次の4つの特徴を挙げています。
① 深く処理する(人の感情を取り込んで考えすぎる)
② 過剰に刺激を受けやすい
③ 感情の反応が強く、共感力が高い(同調性ともいい、人の気持ちが崩れこんで神経が疲れる)
④ ささいな刺激を察知する
このように、総じて感覚が敏感であることは発達障害に似ています。但し発達障害のように「こだわり」はなく、むしろ「共感力」とか「同調性」に長けていることが、HSC/HSPの最大の特徴のようです。

◆HSC/HSPの具体的なケースを紹介すると・・
次のような声があります。
【Case1(小5)】;ほかの子が先生に怒られている様子や、子ども同士の喧嘩など直接関係ないことにも心を痛めてしまう。頭痛や腹痛などの身体症状が現れる。担任は理解がなく、保健室を利用させてもらえず、不登校になりました。
【Case2(20代)】;知らない人が体調悪そうにしていたり、困っている表情をしていたりを通りすがりに見たりすると、帰宅してからも「あの人大丈夫だったかな?」と心配して寝られなくなることがあります。
【Case3(10代)】;人の感情が勝手に自分の中に入ってきて長い間苦しんでいます。友達や親が、嫌な気持ちになるとそれが見えてしまうから、笑顔にしようと無理に頑張ってしまう。
【Case4(20代)】;子どものころ、居間で寝っ転がっていたら、母のいる台所からトントンと包丁の音が聞こえてきた。するとその音を聴いていたらだんだん怖くなって涙が止まらなくなった。大人になってその事を母にしたら、当時父との関係がうまくいってなかったことを告白された。包丁の音を通じて母の感情が崩れこむように自分に入ってきたのだと思った。
【Case5(30代)】;映画をみて登場人物の気持ちが、共感を超えてなだれ込んでくる。しかも、主人公をいじめる側の人物の感情がなだれ込み、まるで自分がいじめているように思い自己嫌悪になる。映画を見終わるころには、暫らく立ち直れないくらいぐったりしてしまう。
と、このように、反応の仕方は様々ですが、中でも最も辛いケースは、相手の感情が自分の気持ちに雪崩れ込んでくることだそうです。

◆治療院で気づくこと
鍼灸院には、HSC/HSPを直接の主訴として来院する方はいません。むしろ自分がHSC/HSPだと気付いていないことの方が多いようです。わたしの場合は、FMテスト(オリジナルの診断技術)を使って「気の在り様」や「気持ちの在り様」を診れば、「敏感な方」かどうかは凡そ判断ができます。しかも、敏感すぎる感性が、主訴の誘因とみれば、先に紹介したような経験がないかを(慎重に)尋ねています。

◆どう向き合えばよいか
精神科の長沼睦雄医師によれば、「敏感さを例えると、相手の感情をスポンジのように吸い取るのだが、吸い取ったものを出せればよいが出せない。」と分析し、対応策としては「まずはHSC/HSPについて正しい知識を知ること。そして共有できる仲間をつくること。」を提案しています。さらに大事なことは「敏感すぎるという特徴を特長に代えて、『感度セレブ』と思えば楽に生きられる。」と助言しています。

わたしの治療経験でも、かつては「敏感すぎる子ども(HSC)」で大変だった患者さんが、今では表現活動の世界で活躍されている方を知っています。敏感すぎることで悩んでいる患者さんに対しては「むしろ『受信能力』がより長けていることに目を向けて、それを有効活用すべき。」と応援しながら治療しています。
写真―1
【写真‐1】

写真―2
【写真‐2】

◆耳粒療法の試み
ただ、『感度セレブ』と言われても、敏感すぎるために生じる日々の心身症状は辛いものです。これをなんとか少しでも軽減できる手立てが必要と考案したのが、次に紹介する耳粒療法です。
わたしの治療院では「敏感すぎる人たち(HSC/HSP)」の傾向がありそうな患者さんには、治療後に左右の耳穴の「神門」「裏神門」に耳粒(商品名:マグレイン)を貼付しています。ピンセットで貼り付けるという簡便性から、自宅でも貼付は可能ですからセルフケアとしても推奨しています。

「神門」【写真‐1】は三角窩の中央に位置し、耳穴の中では一番使用頻度の高いツボとされ、心身をリラックスさせ、ストレスによる症状の緩和を図るツボとされています。
もうひとつの「裏神門」【写真‐2】はその「神門」のちょうど裏側に位置するツボ。元々成書にないツボですが、薬物依存症の耳鍼治療を推進しているNADA USAが、ADD/ADHD(注意欠如/注意欠如多動)の子どもに効果があるとして、最近推奨しているツボなのです。
特にこの「裏神門」については、受信感度を穏やかにして興奮を抑えるだけでなく、スポンジのように吸い取った相手の感情を吐き出しやすくする効果を期待しています。

ちなみに、患者さんを坐位のままで、耳穴の「神門」と「裏神門」を2本の鍉鍼(刺さない鍼)で挟み込むように数秒当てていると、「気持ちが落ち着く」と言われ、ツボに一定の効果があることを直に確認できます。【写真‐3】

この「神門」と「裏神門」による耳粒療法は、今年から始めたばかりで、症例としてはまだ少ない数ですが、患者さんたちには一定の評価を得ています。このまま継続して検証を重ねていきたいと考えています。(了)

写真―3
【写真‐3】

第199話:忘れられた詩人・大木惇夫のこと



表題の大木惇夫(1895~1977)とは北原白秋門下の詩人。年配の方であれば東海林太郎の『国境の町』(昭和9年)、若い人であれば混声合唱曲でお馴染みの『大地讃頌』(昭和37年)を作詞した方と言えばお分かりかも。でもなんといっても、戦時中に国の要請とはいえ軍歌や戦争詩(『戦友別盃の歌』が有名)を量産したために、戦後は社会から批判と排除を受けた詩人ということです。

戦後は、心臓神経症のほかに神経衰弱でやせ細り、再生の光輝く文化人とは全く無縁に、家族と離れて隠れ家に身を潜めて暮らしていたそうです。一方で、サトウハチロウ(『長崎の鐘』)や西條八十(『青い山脈』)が、歌謡曲の人気作詞家へと変貌したことを考えれば、時代の流れに乗じることなく、重い自省の中で、純粋詩の創作に拘り続けた彼の生き方は、不器用ではありながらも、むしろ誠実さを感じるほどです。

とはいえ、その誠実さの陰で、家族は大変な境遇を強いられたようです。
『忘れられた詩人の伝記』は次女である宮田毬栄(文芸誌『海』元編集長)により、そうした大木惇夫の軌跡を克明に綴っています。上下2段組の480頁に及ぶ伝記は、本来の枠を超えて、壮絶な家族史の様相に変わり「父の人生があまりにも不運に取りつかれ、私たち家族がそれに巻き込まれ、理不尽な生活を強いられた」とあります。

ただひとつ、救いだったのは、生涯の代表作である『大地讃頌』を評価した行でした。
「戦争の悲惨、愚劣を身をもって経験した父は、いかなる戦争をも受け容れようとしなかった。『大地讃頌』は父の苦悩と悔悟が育てた大いなる愛の歌である」とあります。
名曲『大地讃頌』のなかに大木惇夫が生きている、そんな思いで今度聴いてみよう。


※宮田毬栄著『忘れられた詩人の伝記』中央公論新社(2015年)
※大木惇夫に興味をもったのは、母校の校歌の作詞者が大地讃頌の作詞者と同じであると気づいたのがきっかけでした。大木は戦後、生活のためとはいえ、全国で約60校の校歌をも手掛けています。