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‘17 今年もよろしくお願い申し上げます



あけましておめでとうございます。

2012年から始めた『安神堂の慎思録』をいつも読んでいただきありがとうございます。

これまで書いてきた記事のなかで、特に東洋医学以外の記事を振りかえると、茨木のり子、世阿弥、梁塵秘抄(後白河上皇)、斎藤史、岡倉天心、幸田露伴、夏目漱石、網野善彦、シュタイナー、ユング、中沢新一、井筒俊彦、森敦、宮沢賢治などをとりあげてきました。それと、歴史については、東アジアの古代史と近代史、宗教については仏教・道教・儒教のほか神道や修験道など、いずれもが、個人的に興味があるものを選んで書いてきたものです。

わたしは本を読むことは好きです。ただ、若いときのような乱読する勢いはなくなったとはいえ、最近では、きわめて選択的に多読した上で、それが気が合う本となれば何度も繰り返して読むようになってきました。

「東洋医学」に直接関係ないものでも、多読を繰り返していくと、いつの日か、それぞれの情報と情報が突然繋がり、自分の世界の中で編集されていくという楽しみを何度か味わっております。元々、思想や文化の成り立ちは先人たちの情報の編集作業によってなされてきたと松岡正剛は論じていますが、読書という個人的な営みの中にも、情報の編集作業という醍醐味は享受できるものであると認識しています。

そもそも、東洋思想自体が「仏教」「道教」「儒教」などによる重層構造で成立している歴史的背景を考慮するならば、一見逆引きに似た読書のアプローチは、先人が担ってきた情報の編集作業のあらましを体感することにもなると思っております。
もちろん、東洋思想と直結した治療についての身体性の記録も、随時書き留めていきます。
今年もかわることなく、あくまでも好奇心の流れに掉さして、きわめて直観の赴くままに、先人の智慧の海へと航海を続けてまいります。(了)
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‘16 今年もよろしくお願い申し上げます



あけまして おめでとうございます

見えるものを追いかけるのに忙しすぎた私たちには
水木しげる翁の『目に見えないものを信じる』ことと
星の王子さまの『大切なものは見えない』ことは
とても心にひびく言葉になっています。

人と人の間に流れる「気」 人と自然の間に流れる「気」
身体の中に流れる「気」などは見えない大切なもの。

今年も よい「気」が流れますように。
   2016年 元旦


※年賀状の追記:17才の誕生日に、とある女性から『星の王子さま』をプレゼントされたのですが、気持ちの居処が定まらぬ少年のわたしには「童話なんて」という反発もあってか、以後ずっと読むこともなく、しまいには本の所在がわからなくなると同時に、わたしといえばごくごく普通の大人になっていました。
それが昨年のこと、サン・テクジュペリ没後70年に便乗して、新訳の数冊(ブックオフではどれもが新品で108円!)を読んでみました。そこでわかったのが『星の王子さま』は子供向けの「童話」ではなくて、あくまでも大人が読むための「小説」だということでした。まさに45年越しの誕生日プレゼントの意味を、遅ればせながらも味わうことになりました。
それともうひとつ。賀状を読んでくださったAさんから「バオバブの木をシンガポールの植物園でみつけ、これだ!と思った」という嬉しいメールをいただきました。

「鍼灸」に興味を持ちはじめたあなたへ



鍼灸の道に入って22年、治療家として続けてこられたのは、それこそ患者さんとのご縁に恵まれたことによります。身体の手入れ、健康管理として週に1度もしくは月に1度、定期的に通院される患者さんの中には、もう10年以上のお付き合いの方が何人かいらっしゃいます。

そうした常連の患者さんでさえ、はじめて来院されたときは、多かれ少なかれ「清水の舞台」から飛び降りる覚悟だったとおっしゃいます。チラシを手にしてから1年間大事にとっておいた末に、意を決しての来院という方もいらっしゃいます。

鍼灸は他の治療に比べるとどうしてもハードルが高いというイメージがあるようです。ところが一方では、少しの勇気と好奇心をもって来院されたことで、伝統医療である鍼灸がすっかり気に入られ、今では普段の健康管理として上手に鍼灸を利用される方が大勢いらっしゃるのです。

東洋医学は病名のつかない症状群に威力を発揮します。普段からの健康上の不安や悩みは、実ははっきりと病名がつくものより、病名のつかない症状のほうが圧倒的に多いものです。ツボを触診し、身体の声にじっくり耳を傾けます。大きな病気の兆候であればもちろん病院に行かれることをその場でお勧めします。それ以外でしたら、体質からくるもの、年齢からくるもの、ストレス反応からくるもの、身体表現として現れるもの、それらをかみ砕いて説明した上で治療を始めるようにしています。

大事なことは、治療すべきポイントがその方の養生すべきポイントと重なることです。ときには症状と上手に付き合うことが大切な場合もあるでしょう。いずれにせよ、その方にとって最適な養生法とは何かを、一緒になって考えていけるように努めてまいります。

「鍼灸」に興味を持ちはじめたあなたと、新たなご縁が結ばれることを願いつつ、ご来院をお待ちしております。
                                               (進藤安神堂)

アクセス・ランキング



『安神堂の慎思録』には一日平均40名のアクセスがあり、延アクセス回数にすると一日平均90回になります。もちろんすべてが読まれているとは限らず、スクロールしているだけの回数もそこには含まれていると思いますが、ここ数か月は明らかにアクセスが増えています。
使用されているo/sを分析すると、「windows」に並んで「iphone」や「android」が徐々に増えていることが最近の傾向といえます。それだけスマートフォンによるアクセスが増えているようです。

次に、どのような記事が読まれているか、最近の2か月についてのアクセスランキングを調べてみました。カテゴリー別から、鍼灸に関連する記事と、鍼灸に直接関連しない記事の2つにわけてみて、その傾向を分析した結果が以下の通りです。

◆鍼灸関連のランキング(2015年6月~7月)
第01位 第130話:「足三里」周辺のツボ
第02位 第117話:「湧泉」というツボ
第03位 第046話:「磁石」と「指の極性による触診技術」
第04位 第066話:刺さない鍼「テイ鍼」
第05位 第092話:アイスマンと鍼灸(1/3)
第06位 第138話:ツボ「陽池」と「委陽」
第07位 第103話:患部の近位取穴法
第08位 第110話:足三里の養生灸
第09位 第098話:至陰というツボ
第10位 第099話:背中のツボからみえるもの
第11位 第128話:経絡の向きについて
第12位 第073話:伝統的な「透熱灸」について
第13位 第033話:灸痕の「申送り」
第14位 第042話:気を動かす「色」「形」「音」(その2)
第15位 第145話:「六角形」の経絡ネットワーク(2/2)
第17位 第037話:「霊台」考(その1)
第18位 第067話:鍼灸の時間医学

ご覧のように、ランキング上位10位の内6つがツボをテーマにした記事になっています。
1位の「足三里の周辺のツボ」と2位の「湧泉というツボ」はダントツで多い傾向です。
特に足三里の周辺のツボに集中するのは、たぶんツボ上巨虚、下巨虚、豊隆について興味をもつ方が意外と多いということでしょうか。
3位の「磁石と指の極性」はアクセスの理由が2つあって、ひとつは「ピップエレキバンの極性」から検索するケース、これはたぶん一般の方からでしょう。もうひとつは「指の極性」に興味をもって検索するケースで、こちらは治療家の方だろうと思われます。
4位の「刺さない鍼『テイ鍼』」は常にアクセスが多いのですが、これはたぶん『テイ鍼』を論じる記事が他に少ないのかもしれません。
5位の「アイスマンと鍼灸(1/3)」はSNSに紹介されることが多く、一度紹介されると数日間はアクセス数が急激に上昇します。この記事の(1/3)は主にテレビ番組からの紹介ですが、(2/3)と(3/3)は鍼灸師からみた考察(自説)を中心にまとめたものです。それを偶然読んだと思われる北海道の某新聞社からは、自説の概要をコラムで紹介して頂きました。 
それとランキング外ですが、カテゴリー「東洋思想」のなかの五行論について「医と易の関係(1/2)(2/2)」は、少数ながらしっかり読まれていることは嬉しいかぎりです。

◆鍼灸以外のランキング(2015年6月~7月)
第01位 第029話:身体知(身体で覚える)
第02位 第007話:藤堂明保VS白川静にみる「気」の原義
第03位 第040話:愛と涙はどっちが高い?
第04位 第016話:西洋の「プネウマ」と「気」
第05位 第054話:浩然の気を養う
第06位 第059話:宮沢賢治と法華経
第07位 第012話:本山博の世界
第08位 第052話:二十六夜(六夜様)
第09位 第104話:シュタイナーとオカルト
第10位 第062話:露伴が説く「気を張る」こと
第11位 第031話:「木」と会話する(クスノキ)
第12位 第134話:「鳥海山」の神仏と陰陽

鍼灸とは直接関係のない方が、このブログにアクセスしていただくことはとても嬉しいことです。上の記事などは鍼灸に一見関係のない内容でも、わたしの頭のなかではすべてが繋がっております。ときには、ある記事を読んで、安神堂ワールドに興味をもたれたようで、治療をお願いされたこともありました。これも大切なご縁だと思っております。(了)

‘15 今年もよろしくお願い申し上げます



「文は人なり」とは、山形県鶴岡出身の高山樗牛(1871~1902)の言葉と聞いています。高山樗牛が何をした人物かは、未だによくわかっていないわたしですが、この成句だけは子供の頃ことあるごとに母から教わっていました。しかし「文は人なり」となると「文章を読めばその人となりがわかる」となるわけですから、文章しだいでは生身の自分をさらけ出すことにもなります。臆病者のわたしにとっては、それはとても恐ろしく耐えられないことで、意識すればするほど益々ペンは遅々として進まないというものです。子供のころから文章を書くことが苦手だったのは、きっと高山樗牛の言葉を知ってしまったことで、逆に潜在的なトラウマをつくってしまったのかもしれません。  

とはいえ、こうしてブログの文章をある程度書いているのは、自分なりの文章スタイルを暫定ながらも、ひとつ身につけようと意識したことによります。特に普段から目標にしているのが、敬愛する伯父である冨澤襄(とみざわのぼる)の文章スタイルです。伯父は中学校教員のかたわらで、歴史学・生物学・考古学・地質学など多岐にわたり論文を書くという、いわゆる「在野の研究者」でした。そんな叔父が昭和35年に上梓した『飽海史話』は、中学生向けに平易な文章で書かれた郷土史の本です。甥のひとりとしていまでも大切に保管し、ときおりページを開いては伯父を想いだしています。

伯父の文章スタイルである「中学生でもわかる平易な文章」とは、終始「デスマス体」で統一されていることです。そうしたやさしい語りかけは、当時の中学生に留まらず、あきらかに次世代に向けて発していることは明白で、いま読んでもすこしも古さを感じさせないほど文章の輝きを失っていないのです。そしてなによりも、「デスマス体」を自然体のことばにしていることで、より伯父の人柄を彷彿とさせています。これがまさに「文は人なり」のお手本だと肝に銘じているところです。

自分らしい文章を書くこととは、なかなか難しいこと。いつも心掛けながらも結局は永遠のテーマになってしまうものかもしれません。ともあれ、あくまでも間尺の範囲内での事柄を、これからも無理のない程度にコツコツと書いていこうと思っています。
今年も「安神堂の慎思録」お付き合いの程よろしくお願い申し上げます。
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