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第72話:心と身体を結ぶ「気」

◆ある夫婦の夕食での風景
「あっメールだ」と箸を止め、唸りだした携帯に手を伸ばして着信メールを確認する夫。「食事どきなのにまた仕事なの?しょうもないな」とつぶやく妻。ふと夫をみると、みるみるユーウツそうな顔に変わってゆく。妻は「なんかあったの?」と心配して聞いても「あ~」と答えるだけ。「ごめんごはんもういいや」と夫はユーウツな顔のまま自分の部屋に入っていく。しばらくして部屋からでてくると、夫はいつものように太田胃酸を服用していた。

こんなふうに、メール1本によって人は病気にもなってしまいます。もちろんメールに細菌やウイルスが付着して病気を運んできたわけではありません。メールの内容が「こころ」を不穏な状態にし、そのことが「身体」に影響を及ぼし、ナイーブな部位である「胃」をキリキリさせたということです。

◆「こころ」と「身体」
「こころ」と「身体」の間には非常に深いつながりがあります。それを問題にするのが「心身医学(psychosomatic medicine)」の立場。「こころ」の状態がおもわしくないと「身体」にいろいろな影響が及び、反対に「身体」の状態がおもわしくないと「こころ」の方にもいろいろ影響がある―という関係です。「こころ」と「身体」は実際どういうふうにつながっているかということは、現代の西洋医学、心身医学でもまだはっきり分からないのです。

ところが東洋医学からみると、それは自明のものと扱います。つまり「気」というエネルギーというものが「こころ」と「身体」の世界を結び付けていると考えます。
    「こころ」⇔「気」⇔「身体」
「気」は「こころ」と「身体」を仲介するエネルギーとみれば、「こころ」のエネルギーを「身体」のエネルギーにかえたり、「身体」のエネルギーを「こころ」のエネルギーにかえたりする力があります。ですから、精神的なことが原因で身体のどこかに異常が起きることもあれば、逆に、身体の調子を落としたことが原因で精神的にまいってしまい、こころの病気になったりもするのです。

◆「気」を調えることの意味と「鍼灸治療」
鍼灸治療やヨーガのような体操は、この「気」のエネルギーを調える治療法なわけです。「気」を調えて平穏な状態に保つことで、「こころ」の平穏と「身体」の平穏が担保されます。このことは鍼灸治療が「気の医学」と呼ばれる所以であり、養生法や予防医学としての「プライマリーケア」に通ずるところなのです。

たとえば、いったんウイルスや細菌が入ってきて病気になれば、西洋薬の方がはるかに効きます。ところが、ウイルスや細菌が入ってきても、病気の起きる人と起きない人がいます。結核菌が入ったからといっても、だれもが結核になるとは限らない。ならない人はどうしてならないのか、なる人はどうしてなるのかといえば、それはやはり、日頃の「気」の状態のバランスがうまくとれていて、心身の健康な人では病気になりにくいわけです。

鍼灸治療は、身体に「経絡」という気の流れる通路を対象に、鍼や灸を使うことで気の流れを調えようとする医療です。その眼差しの先には、絶えず「身体」のありようだけではなく「こころ」のありようにまで及んでいるのです。
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第43話:気を動かす「色」「形」「音」(その3)

◆「密教」にみる「色」「形」「音」―――
先日ETVで、松任谷由美が和歌山県の高野山(高野山真言宗本山金剛峯寺)を訪ねる番組がありました。とりわけ「大塔」内にある立体曼陀羅を構成する16本の柱に描かれた「十六大菩薩」の絵画とか、案内役の僧侶がひろげてみせてくれた「曼荼羅図」(12世紀頃の再現図)が印象に残ります。原色をそのまま使った色合い、特に朱色と藍色が鮮やかに強調されて、たぶん古色蒼然の仏像をみなれた人ならば、きっとけばけばしく感じるほどの色合いでした。松任谷がそれらを評して「天空のコスモポリス」とか「オリエントの薫り」と表現していましたが、たしかにその色調に異国の匂いがどことなく感じられます。

天才空海が平安時代に入唐して日本に持ちこんだ「密教」は、仏教の中では独特の世界をもっています。そもそも「密教」はヒンズー教の「タントラ」という教義を取り入れたもの。そうしたインド的な要素がつよいことが、たぶん絵画や曼荼羅の色調にも反映されているのでしょう。ただ、空海は「密教」をそのまま受け入れたわけでなく、多くの自作の教義書を著す中で、日本古来のアニミズム(精霊崇拝)や山岳宗教と共通するものを取り入れ、日本密教としての「真言宗」に結実したといわれています。

まえおきが長くなりました。本題の「色」「形」「音」が「気」を動かす力があること―実は、そのことは「密教」の教義と見事に符合しているのです。つまり「密教」によれば、「色」「形」「音」とは、この宇宙を動かす力があると主張します。そうした背景をここで紹介してみたいと思います。

はじめに、「タントラ」によれば、宇宙は聖音オームのような基本音から展開したものであると考えます。つまり私たちがこの宇宙で見たり感じたりする「物質」は、ひとつの「聖音」から派生し、すべてある特定の周波数をもった震動する「音」だということ。さらに「音」から眼に見える「形」が生まれるのです。

  聖音(オーム) ⇒  震動する「音」 ⇒ 眼に見える「形」=「物質」

さらに空海の『声字実相義(しょうじじっそうぎ)』の中で、「物質」を、顕色(けんじき)、形色(ぎょうじき)、表色(ひょうじき)の三種に分けています。顕色とは赤とか青といったいわゆるカラーのことで、形色とは長短などの形をいい、表色とは身体を動かす運動を指します。

  「物質」 ⇒ 「色」と「形」と「運動」がある

ここで「音」から派生した「形」と「色」と「運動」については、タントラや密教においてはそれぞれ密接に結びついて、「宇宙の本質的なもの」とつながると主張します。この「宇宙の本質的なもの」とは、密教の最高神「大日如来」です。つまり「音」「形」「色」「運動」は時空を超えた真実在であり、「大日如来」につながる象徴(シンボル)なのです。

  「音」「形」「色」「運動」 ⇒ 「大日如来」への象徴(シンボル)

ですから、密教の絵画や曼荼羅などのもつ一見けばけばしい「色」とか、一見無機質で幾何学的な「形」は、人間の美的感覚に訴えるために用意されたわけでない、この宇宙(大日如来)の象徴をもって表現しようとしたものと理解されなければならないのです。

密教の瞑想では、現世のまま「大日如来」と一体となって悟りをひらいて仏となることを「即身成仏(そくしんじょうぶつ)」といいます。その「即身成仏」の実践論が「三蜜加持(さんみつかじ)」です。三蜜とは、身(しん)口(く)意(い)のはたらきのことで、加持とは、我々のはたらきと仏のはたらきが合致することです。具体的には、瞑想しながら身体に手印(しゅいん=手の組む形)を結び、口に真言(しんごん)を唱え、心に「大日如来」を観想します。つまりそこには、手印の「形」と真言の「音」と観想する「大日如来」の「色」が、それぞれ象徴的な力として内包されているのです。

   身(しん)⇒ 身体に手印   = 「形」
   口(く)  ⇒ 口に真言    = 「音」
   意(い) ⇒ 心に「大日如来」= 「色」

このように、密教では「色」「形」「音」は「宇宙の本質的なもの」の象徴であり、宇宙を動かす「力」にもなります。このことが、鍼灸の世界においても、「色」「形」「音」をして身体の気を動かす証左になっていると考えます。(完)

※松長有慶『密教』岩波新書(91年)
※末木文美士『日本仏教史』新潮文庫(平成08年)

第42話:気を動かす「色」「形」「音」(その2)

◆形について―――
形が気を動かす力があることを確かめる方法は、前述のように手のひらにのせてみるとか、ツボに貼る方法があります。たしかにパワーのある形と認められるのは、正三角形です。昔からピラミッドパワーと呼ばれるように、三角にはパワーがあるようです。次には、二つの正三角形を組み合わせた六芒星(ろくぼうせい)又の名を「ダビデの星」です。これらは、色と組み合わせてツボに貼る治療法が実際にあります。

「形」の力は特別なものと思いがちですが、身近なところでは「漢字」こそが、その力を有したものだと思っています。漢字は表意文字であり、形という顔があり、それに意味を伴っています。漢字学者の白川静によれば「漢字には文字が生まれる以前の悠遠なことばの時代の記憶がある」と述べ、さらに「漢字ひとつひとつに力と命がある」とまで言い切ります。

鍼灸治療で使うツボ(経穴)は漢字で表記されています。それぞれが意味を以て先人が命名したもの。ツボに「力」が注がれています。その「力」こそ「漢字」によって担保されたものです。それこそ、ツボは漢字文化圏の世界遺産だと思う所以です。

ちなみにツボの名前は、漢字文化圏以外の外国では、WHO(国際保健機構)が制定した国際標準に照らし、英数字の記号に変貌してしまいます。例えば、「足三里」は「ST36」となります。同じ部位に刺鍼するにも、頭に「ST36」をいくらイメージしても、残念ながら本来「足三里」がもつツボの力は引き出せないのでは、と老婆心ながら思ったりしています。


◆音について―――
気功のひとつに「六字訣(ろくじけつ)」があります。これは立位のポーズを取りながら、特定の声を発することで、経絡の気の流れを活性化する方法です。その特定の声とは、正確に中国語の発音で言います。その経絡ごとに決まっている音は下記の通りです。

「肝経の人」 に効く音  = 「嘘」 xu (シュイー)
「心経の人」 に効く音  = 「呵」 he (ハー)
「心包経の人」に効く音  = 「嘻」 xi (シー)
「脾経の人」 に効く音  = 「呼」 hu (フー)
「肺経の人」 に効く音  = 「口四」si(スー) ※口偏に四という字
「腎経の人」 に効く音  = 「吹」 chui(チュイー)

この6種類の音は、古くは隋代の『天台小止観』にその原型があります。『天台小止観』とは中国天台宗の開祖智顗(ちぎ)が著わした止観(座禅)の教義書です。その原型とは「六種の気」とあり、座禅をしながら特定の音を発する呼吸法です。

「六字訣」は中国語で発するので難があります。これを解消するために、日本語の「いろは」に該当する音素コードを調べた方がいます。それは次の通りです。

「肝経の人」 に効く音  = 「よ」
「心経の人」 に効く音  = 「れ」
「心包経の人」に効く音  = 「ぎょ」
「脾経の人」 に効く音  = 「る」
「肺経の人」 に効く音  = 「ゆ」
「腎経の人」 に効く音  = 「ろ」

これら中国語と日本語のケースごとに検証してみると、確かに特定の経絡に反応して、気の流れがスムーズになることが分かります。その検証方法を紹介すると、例えば経絡診断で「心包経の人」がいます。ベッドに仰臥位で横になっている状態で、私がその患者さんの背中に手をまわして触診し、グリッと痛みを感じるコリをみつけます。そのコリを軽くグリッグリッと触診しながら、同時に中国語の「嘻」もしくは日本語の「ぎょ」を患者さんに連呼してもらいます。すると次第にグリッと痛みを感じるコリが徐々に弛んで、痛みがなくなることを、患者さんは実感できます。気がスムーズに流れてコリがなくなったわけです。

以前「脾経」の方に、「る」という音が身体にとても合うことを説明すると、名前の頭に「る」がつく家族がいるそうで、その名前を呼ぶときは、ほかの家族に比べて一番気持ち良いと話していたことが印象的です。このように、気の流れをスムーズにする音とか、身体にとって相性がよい音が、誰にでも必ずあるようです。(つづく)

※関口真大訳註『天台小止観』岩波文庫(74年)
 第9章「治病患」は止観(座禅)を使って病気を治す方法を論じている。
※小田伸吾『気診釈奇経八脈考』針灸気診研究会(01年)
「いろは」の音素コードを紹介している。

第41話:気を動かす「色」「形」「音」(その1)



手のひらにのせた青の矢印が遠位方向(外方向)に向いています。これと近位方向(内方向)に向けたときの感覚を比較します。青の矢印が遠位方向に向けた方が、手のひらにシュルシュルと外に何かが出ていくように感じます。これはなにを現しているかというと、色と形が気を動かしている現象です。この場合、青という色は外に気を動かし、矢印という形は、矢印の方向に余計に動かす力があることを意味します。逆に赤の矢印の場合は、近位方向に向けた方が、手のひらにシュルシュルと内側に何かが入ってくるように感じます。

◆色について―――
この実験のように、赤と青には気の動きに対して、それぞれ「IN」と「OUT」に働く性質があるようです。ただし、これは赤と青に限った性質です。
また東洋医学の世界では古くから「赤」「青」「黄」「白」「黒」の「五色(ごしき)」という五種類の色がありますが、これが「心」「肝」「脾」「肺」「腎」の「五臓」と対応しています。鍼灸には経絡治療という治療システムがあり、五臓に連絡した経絡、「心経」「肝経」「脾経」「肺経」「腎経」に「心包経」を加えた計6本が、足や手に流れています。手足に何が流れているかといえば、気が流れてそのライン上にツボが存在しています。(尚、「心包経」は心臓の外堀を担う経絡です。)

鍼灸師が治療するのは、「五臓」だけでなく、五臓に連絡するこれら「経絡」を含めた所謂「臓腑経絡システム」を治療の対象にします。なぜなら、経絡に流れる気を含めた状態の、まさにアクティブな身体を診ているからです。実際には、その患者さんにとって一番重要な「経絡」は何かを、まずは診断します。話が長くなりましたが、要するにこの「経絡診断」によって、「肝経の人」なのか「腎経の人」等々を判別します。本題に戻すと、その経絡のタイプによって、以下のように色が配当されます。

「心経の人」  → 赤
「肝経の人」  → 青
「脾経の人」  → 黄
「肺経の人」  → 白
「腎経の人」  → 黒 (以上が古典にある五色)
「心包経の人」 → 桃 (後世の人が桃色と決めた)

ここで例えば、「肝経の人」とはストレスによって気が変動しやすく、目が疲れやすく、「足がつる」とかの筋肉疲労を起こしやすい人です。「肝経の人」は総じて、青色が身体に合って、なおかつ肝経に流れる気の流れがよりスムーズに流れますということ。これを利用して、肝経の要穴(重要なツボ)に青の色紙を貼るという治療法も実際にあります。

また、患者さんが日常でできることとしては、青の装飾品を身に着けることです。この場合、ビーズのようなものより、ラピスラズリーとかトルコ石のような「宝石」の類の方がより効果的です。なぜなら、古来より宝石などの装飾品を身に着けるのは、石がもつパワーで身を守ったり、魔を払ったりする意味がたぶんあったと思われるからです。

経絡診断によって、身体に合う「色」を患者さんに伝えると、「もともとその色は、私の好きな色です。」と応える方が多いです。よく好んで選ぶ洋服の色と符合する場合でも、きっと身体に合う色を、身体が自然に選んでいるのです。また現代美術をやられている方も、その色は一番使ってしまう絵の具の色です、と応えたケースもありました。

特定の「色」が身体に合うというのは、その方にとって最も大事な「経絡」の気の流れがよりスムーズに流れやすくなり、内臓を含めた「臓腑経絡システム」を調えることになります。「色」にはそうした「力」があるのです。(つづく)

第18話:「息」と「気」

歌人河野裕子が亡くなるまでの闘病生活を記録したETV特集を観ました。ガンを患いほとんど寝たきりでも歌を詠み、かぼそくも精一杯の声でしぼりだす三十一文字を、夫の永田和宏(歌人/科学者)は病床で聴きとり克明にノートに綴ります。そしてまさに歌人河野裕子の最期の歌となったのが

「手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が」

手を伸ばしてみると、最愛のあなたに触れたような気がしたけれど、それを確かめようにも、もう息がたりない、という意味なのでしょうか。壮絶さの中にも夫婦の情愛が満ちた相聞歌です。

この世をつなぎとめるのは「息」ということ。国語でも「いき」と「いきる」と「き」の間には密接なつながりがあります。「生」と「死」の間には人体の物質的質量は変わらないのに、息があるか息がないかの違い、そして気があるか気がないかの違いが歴然とあります。古くは『日本書紀』などで、気を「いき」と呼んでいたとか。また『黄帝内経』では「一呼吸で気は3寸進む」とあります。気は気息、呼吸と密接な関係があるとみなしています。

東洋の伝統的な身体修行として「坐禅」や「静坐」などがありますが、一括して「瞑想」とよばれます。これらは単にリラックスさせるだけではなく、本来宗教的な「行」として発展してきました。宗教的といっても目的はひとつ、心と身体をひとつ(心身一如)にすることです。心と身体をひとつになるには、間をとりもつ「気」のはたらきをよくすること。「気」のはたらきをよくするには当然「息」を調える(調息)ことが大切というわけです。逆にいえば、「呼吸法」の目的は「気を調える」これに尽きるのです。

鍼灸治療した後は、身体が軽くなりなんとなく元気になっているといいます。そして呼吸に意識をもっていくと、明らかに治療前に比べて呼吸が深くなっています。呼吸が深いということは自律神経が安定して上体がリラックス、いわゆる”上虚下実”(丹田に気が充実してどっしりし、上体には余分な力が入っていないこと)の理想形になっていること。鍼灸治療によって気の流れが調い、その結果呼吸もしっかり調うということなのです。

とはいえ、普段限りある「この世の息」を意識して呼吸などしていないものです。ただ禅の世界では坐禅をしながら呼吸に意識をもっていく「数息観」という呼吸法があります。静謐な中で「いき」と「いきる」をひとつにするということでしょうか。東洋の身体修行には、あらゆる深遠なメソッドがすで用意されていることに、いまさらながら驚かされます。
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