第09話:中村不折:施灸の油絵

養身(長養)

竹橋にある「東京国立近代美術館」にはよく足を運びます。主に「所蔵作品展」が目的ですが、ここは近代絵画を約9300点所蔵してあるとか。年に2回の「所蔵作品展」で一度に約200~250点の展示としても、すべてを鑑賞するには10年以上かかるといわれています。人気のある作品は度々展示され、なかでも好きなのが岸田劉生の『切通之写生』と、横山大観の「生々流転」(巻紙で40メートルに及ぶ水墨画)ですが、いつみても飽きない作品です。

それは07年春のこと、いつもの「所蔵作品展」でちょっと気になる油絵に遭遇しました。明治の洋画家であり書家でもあった中村不折(なかむらふせつ)が描いた50号( 117 x 80 )の油絵で、タイトルが「養身(長養)」とありました。髪は薄いながらも筋肉は隆々とした老人が、ほぼ全裸状態で片膝を立てた(風呂上りのひとときなのか)裸婦ならぬ裸夫像です。(上の写真は残念ながらモノクロですが・・)

どうみても左足の足三里にお灸をすえているように見えます。艾(もぐさ)は描かれてはいないのですが、足三里あたりに左手を添え、右手でお灸をすえる仕草のようです。さらに注意深くみると細い煙がぼんやり立ち昇っています。タイトルからしても足三里にすえる「養生の灸」を描いたものに間違いないと確信。普通の人ならたいした気にも止めなかったでしょうが、仕事柄その絵の前で思わず立ち止まり、じっと観察してしまいました。施灸を描いた油絵はとても珍しく、思わぬ発見をした気分でひとり悦に入っていました。

この作品を描いたのは1915年(大正5年)、日露戦争から11年、護憲運動と大正デモクラシーの時代です。当時の代表的な民間療法といえばお灸であり、自宅施灸はごく一般的だったようです。町の治療院に行くのは月に1度、鍼灸の先生に印をつけてもらい(これを灸点をおろすといいます)、自宅で毎日その印の上にせっせとお灸をする―そうした様子が垣間見られる貴重な絵画といえましょう。

※中村不折(1866~1943):信州は伊那出身の画家・書道家。台東区根岸にある「書道博物館」は彼のコレクションをまとめたもの。同館には「中村不折記念館」も併設されている。夏目漱石の「我輩は猫である」の挿絵を描く。書としては新宿中村屋のロゴ(中村屋)が有名。パリ留学時の荻原碌山との交友が縁で、中村屋の相馬愛蔵・黒光夫妻が中村に依頼したそうです。
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第08話:肩こり考(肩で仕事をする日本人)

患者さんに「肩こり」の話をするときは、自説の「鎧説」をもって説明しています。頸から肩背中にかけて菱形の僧帽筋がまさに「鎧(よろい)」のようなものですが、その鎧は人それぞれ一様ではない「しろもの」。軽い鎧もあれば、重く湿った鎧、重く鉛のような鎧などなど、きっとさまざまな事情を背負いこんだ結果なのです。

「鎧」は戦の道具。現代であれば、さしずめ仕事の場面が「戦」であり、戦闘モードのスイッチが入ることで、自然と僧帽筋を中心に無意識に身がまえ「鎧」となるということ。その「鎧」の緊張の度合いによっては不快な痛みを生じます。職場に近づくと「鎧」は重くなり、職場から離れると「鎧」は軽くなる。またゆっくり休暇を過ごせば「鎧」を背負っていたことを忘れるのです。仕事にかぎらず日常のストレスフルな人間関係においても同様です。以上の文章で「仕事」を「人間関係」に「職場」を「いやな人」に置き換えても同様です。

むろん肩こりの原因には、姿勢の悪さとかストレートネックなどの骨格的な原因も当然ありますが、それは肩こりのむしろ誘因といえるもの。圧倒的にストレスに対する肩の緊張と疲労が主たる原因といってよいでしょう。
それもこの「肩こり」は日本人特有のものという特徴があります。なぜなら外国語には「肩こり」に該当する言葉がなかなか見つからないからです。

東洋医学の本場中国では「肩こり」に該当するものはありません。中国では鈍痛のことを「酸(スワン)」と表現します。腰がスワン、肩がスワン、腕がスワンというように、ことさら肩の症状を特別扱いすることはないようです。
では米国の場合はどうかといえば、「肩」より「背骨」に着目します。例えば英語で根を詰めて仕事をすることを「重荷を背中に背負う」(carry a burden on one`s back)と言い、熱心に働くことを「背骨を折る」(break one`s back)という具合です。ですから、英語圏の人々は「肩」ではなく「背骨」(back)で仕事をしていることが分かります。ちなみに「腰痛」のことは「背骨の痛み」(back pain)と表現します。

ならば日本人は「肩で仕事をする国民」であるといえます。言葉が文化を語る証左という意味においても「肩」から派生した言葉がいかに多いか、以下のように列挙してみれば十分それが理解できます。
「肩書き」「肩肘を張る」「肩透かしを食らう」「肩代わりをする」「肩入れする」「肩で息をする」「肩が怒る」「肩で風を切る」「肩の荷が下りる」「肩がつかえる」「肩を並べる」「肩をかす」などなど。

ことほどさように「肩」には、日本人の生き方のすべてが集約されていることがわかります。「肩で仕事をする」健気な日本人であり、「肩こり」も日本の文化風土のひとつであることを考えると、あながち「肩こり」はわるいことだけではない気がしませんか。むろん「鎧」は軽いことにこしたことはなく、鍼灸師はしっかりそれに対してお助けすることは当然ですが・・。

第07話:藤堂明保VS白川静にみる「気」の原義

◆藤堂明保の思い出
今や漢字学者といえば白川静(1920~2006)ですが、私が高校生の頃(70年代)は藤堂明保(1915~1985)が有名でした。たぶん白川は当時無名に近い存在だったと思います。藤堂は当初東大の教授で、教育TVの「中国語講座」の講師をはじめメディアへの露出も多く、なかでも深夜番組の「11PM」では「女へんの漢字」と銘打ったくだけたコーナーにも出演し、聴き手の朝丘雪路との丁々発止は楽しかったものです。どことなく俳優の久米明に似て、気さくな学者さんといった雰囲気が私の印象でした。

つぎに鍼灸専門学校生の頃(90年代)のこと。中国伝統医学の古典『黄帝内経(こうていだいけい)』を学ぼうと集った仲間内の勉強会に参加していました。参考書としていの一番に採りあげたのが、柴崎保三著『鍼灸医学大系・黄帝内経素問全25巻』でした。その柴崎本こそ、藤堂明保の漢字学を基に『黄帝内経』を詳らかに分析した解説本です。つまり当時の鍼灸に関わる訓詁学においても、藤堂の影響は十分反映されていました。
ここで藤堂明保の漢字学とは何かと要約すれば、まずは漢字学のバイブルである後漢の許慎(きょしん)が著した『説文解字(せつもんかいじ)』を基本とします。その上で、特に字音(中国読みの音)から共通した意義を見出す「音韻学」を重要視する手法を取っています。

◆白川静の登場
一方、白川静が世に登場したのが、昭和45年(70年)の岩波新書『漢字』。当時白川は60才で立命館大学教授、当に遅咲きのデビューです。その出版直後に、藤堂(当時65才)がこの『漢字』にいちゃもんをつけます。どこの馬の骨かわからん奴に、なぜに岩波ともあろう出版社があんな本を書かせたのかという文句です。白川はそれに対して「文字学の方法」という論文で応戦し、徹底した藤堂明保批判を展開するのです。この「業界事件」の顛末を知り得るのはもちろん最近になってからのことです。それから40年の歳月を経た現在、明らかに白川静に軍配が挙がり、ついに藤堂明保は、白川を語る上での対照的な傍流の学者になってしまった感すらあります。

では白川静の漢字学の特徴はなんでしょう。その前に、漢字の成り立ちについて整理しないと全体像がみえません。許慎の『説文解字』はなにしろ紀元一世紀の後漢時代のこと。漢字とはいえ、それは秦の始皇帝が文字統一をはたしたあとのもの、それ以前に甲骨文(殷~殷末)や金文(周)などがあったのですが、それらの多くの原形は許慎にはまったく知られず、その後の清時代までほとんど知られていなかったのです。なぜなら甲骨文字が安陽の小屯村で偶然に発見されたのは1899年のことなのです。また、その解読がある程度すすんだのも1920年代をすぎてからのことでした。

その後の甲骨文字学や金文字学が、新たな「漢字の体系」を求めた原理に取り込んでいったのですが、中国では政治的国状もあってか残念ながら『説文解字』を越えて新たな「漢字の体系」を示すものにはならなかったのです。そこに、日本の漢字学者白川静ひとりが甲骨文字と金文から漢字の体系的原理を追求したわけです。白川の言葉を借りれば「漢字には文字が生まれる以前の悠遠なことばの時代の記憶がある」といいます。特に文字がもつ本来の「力」とか「命」というものを想定します。そして、それを「呪能(じゅのう)」と呼びました。呪能とは、人間が文字にこめた原初のはたらきのことです。呪能とはいえ、呪うとはかぎらない。祝うこと、念じること、どこかへ行くこと、何かを探すこと、出来事がおこるだろうということ、それらが文字自身の力ではたそうとしているのが、文字呪能です。こうして「文字は神であった」という斬新な視点に基づき、『字統』『字訓』『字通』を始めとした多くの本を著したのです。

孤高の漢字学者・白川静の登場によって、ひとつの漢字について全く違った淵源と解釈の違いを生じることになります。それは藤堂VS白川という構図という枠から大きく飛び越えて、当に中国最古の漢字辞典である『説文解字』に「白川漢字学」が真っ向から異を唱えた歴史的事象とも呼べるものです。

◆「気」の原義の違い
では本題の「気」についてどう違いがでたのでしょうか。
「気」という字は、元々「氣」を旧字とし中に米という字が入っていました。『説文解字』には「氣」と記載され、その意味するところは「客に饋(おく)る芻米(すうべい)のこと」とあります。気とは御飯を炊く時に出る湯気のことで、後の「餼(ごちそう)」の原字。御飯を炊く時に湯気が釜蓋に遮られて行きづまり、その蓋を押し上げ、曲屈して立ち昇る姿からとったものである。蓋を押し上げるためには力がなくてはならぬ。従って気には他物を動かす力がひそんでいる-と柴崎保三は前述の解説本で記述しています。これが『説文解字』による藤堂明保の「気」の原義とみてよいと考えます。

それに対して白川静は甲骨文字と金文の時代に視座を置き、「気」は最初横3本で書かれ、後に「气」となったと述べ、その「气」の意味するところは「運気の流れることを示す字である」と説き、さらに「運気は変幻にして一定の姿を示すことはないが、その変幻のうちに神意を探り、その妖祥をよみとることができた。そのことを望気という。」とあります。具体的には、外敵と戦うときに、外敵は前線に出たシャーマンから一斉に呪いをかけてくる。その妖気が雲に現れる、それを運気と呼ぶ。味方のシャーマンが一斉にその気を望み妖祥をよみとる―という構図です。このように白川の説く「気」の原義は、霊的な性格をもつある実体であり、変幻自在な存在者であると分析しています。

以上のように「気」の原義をたずねると、『説文解字』では「御飯を炊く時に出る湯気」であるのに対して、白川静によれば「運気の流れることを示す」となります。「気の医学」を追究する一治療家からみれば、明らかに白川説に軍配を挙げたくなります。なぜなら気は流れるもの、気は発するもの、そして気は察するものであるから、文字に込められた「力」や「命」は「運気云々」説に十分感じられるほかありません。

※『漢字の智恵』藤堂明保著・徳間文庫(89年)
※『漢字百話』白川静著・中公文庫(02年)
※『白川静-漢字の世界観』松岡正剛著・平凡社新書(08年)
白川の『万葉論』は『詩経』との重畳的交差から論じている点も興味深い。
※『鍼灸OSAKA別冊ムック:東洋の身体知』(04年)より
 4頁「気の原義」白川静

第06話:身体性の共有

親子で似たような病気や症状を同時期に抱え込むことがあります。もちろん感冒のような感染性のものは当然ですが、感染性でない場合これをどう理解してよいのでしょう。

◆母と娘が膝痛
例えば80代の母親と50代の娘さんが、同じように左の膝痛を訴えていた時期がありました。それは単に偶然といわれればそれまでですが、他にも似たようなケースがあり、一概に偶然とはいえない印象を持っています。それはむしろ親子で痛みをシェアしているのではないかとさえ思います。

◆母と娘が同じ経絡に症状
ある母親のAさんは、娘さんが2度目の乳ガンの手術を無事終えた頃来院されました。その報告を受けたのちにご自身の主訴を聞いてみると、「夜中に急に右大腿外側から鼠径部を通り右乳房の下までの範囲に痛みが走って寝られなかった」と云います。さらに続けて「娘が最初に乳ガンを手術したときも同じようなことがあった」と付け加えます。そこでAさんが訴える右大腿外側から右乳房の下に至るラインを確認してみると、ちょうど足の胃経という経絡上に当たります。胃経とは陽の経絡で、目の下から足の第3趾へと上から下へ流れ、その途上で乳房の中央を通るのです。
右乳房のガンを摘出した娘さんは、術後傷口の痛みを抱えながらも、なんとか衰えた体力を回復しようとしています。Aさんは、そんな娘さんの負担を少しでも軽減させてあげたいと願います。その母親の強い思いが、自身の乳房に関係した胃経上の痛みとして現れ、娘さんの痛みの一部を請け負ったのではないかとみています。

◆斉藤環の分析
ここで「母と娘の関係」を精神分析学的に論じた斎藤環の例を紹介します。斎藤環は「ひきこもり」や「摂食障害」の研究で著名な精神科医です。斎藤によれば、「母と娘の関係」は他の「母-息子」「父-娘」「父-息子」の関係に比べて、とりわけ特異的な絆で結ばれている―と指摘します。その意味するところは「母と娘は身体性を共有している」ことをいいます。「身体性の共有」は、娘の身体に母が存在していることでもあり、象徴的な云い方をすれば「娘は母殺しが出来ない」となります。たとえ母を殺したとしても根源的な解決にならず、その行為はむしろ自傷行為になる―とまでいい切ります。「母と娘の関係」は、ことさらさように濃密な関係であることから、関係がこじれると逆に複雑で厄介な様相を呈しやすくなります。

◆身体性の感応
およそ母親とは「子供のためならいつでも命を捨てる」と口にするほど子供に向ける愛情は強固なものと、誰もが認めていることでしょうが、特に娘の関係に「身体性の共有」を指摘する斎藤の分析からして、前述の「症状を共有」しやすいことの証左とみれば、なるほどと思わず納得できるところなのです。云いかえれば、母と娘の間に流れる気のキャッチボールのなかに、「身体性の感応」があるともいえます。従って治療の世界では、片方(母)を治療してあげると、他の片方(娘)までよくなってくるということにもなるのです。

※「母は娘の人生を支配する」斎藤環著・NHKブックス(08年)
 一見刺激的なタイトルは女性の読者を失いそうですが、「母殺しの不可能性」が本書の
 一貫したテーマで、腑に落ちることが多々あります。また、母と娘の「入れ子構造」
 として、川上未映子の芥川受賞作『乳と卵』を身体論から分析してみせた評論は印象的。

第05話:鍼灸を愛した白秋




◆実は南方系
今の若い人は北原白秋(1885~1942)をどれだけ知っているでしょうか。四五十代でさえ、白秋をよく石川啄木と混同するようです。「白秋」の名前からして憂いを秘めた暗いイメージを持つらしく、つい岩手出身の啄木と間違えるのだとか。それほど詳しいわけではない私も、たまたま手にした「北原白秋歌集」(小沢書店)を読んで、白秋は福岡県の柳川出身で、やや丸い顔に大きな目玉の典型的な南方系の人物であることを改めて知ったくらいです。

私にとって大発見だったのが、驚いたことに白秋は鍼灸についての短歌を7首遺していたこと。歌集「牡丹の木」に収められていますが、記憶に間違いがなければ、鍼灸を謳った著名な歌人は後にも先にも白秋ひとりではないかと思っています。

◆小説のような遍歴
ここで白秋の人となりを調べてみると、なかなか興味深い人物象が浮かんできます。例えば、白秋は生涯3人の女性と結婚しています。最初の女性とは姦通事件を起こし、牢屋につながれた末に一緒になるのですが結局別れてしまいます。2番目の妻は、新しい女の集う「青鞜」に関わる女性だったとか。それ故なのか彼女はなんと他の男性に走ってしまい、小田原に新居を建てる地鎮祭の夜に、白秋を置いて家を出てしまいます。3番目の妻を向かえたときは谷中天王寺町に新居を構え、ようやく平穏な生活を迎えようとしますが、白秋は次第に糖尿病という病魔に侵されていきます。このように私生活はまるで小説のようですが、そんな中で白秋は膨大な数の詩・短歌・俳句・歌詞を遺し、総合詩人と呼ばれてきました。天才にありがちな破天荒な人生とはいえ、否が応でも人をひきつけてしまう魅力的な人物であったことは十分想像できます。

◆晩年の歌集
糖尿病性の腎臓病と眼病に悩まされ続けた晩年は、御茶ノ水・駿河台の杏雲堂病院に入院していました。その頃の歌集『黒檜』に次のような歌があります。

○照る月の冷(ひえ)さだかなるあかり戸に眼はこらしつつ盲(し)ひてゆくなり
○暁の窓にニコライ堂の円頂閣(ドウム)が見え看護婦は白し尿の瓶持てり

徐々に眼が不自由になっていくという不安が読み取れます。窓下のニコライ堂と看護婦が持つ白い尿瓶のコントラストがなんともおかしいのですが、それがかえって物悲しく響きます。

◆白秋が謳う「鍼灸」
そして次が、最後の歌集となった「牡丹の木」に収められた鍼灸の歌7首です。

○雲のむた天(あめ)の真名井(まない)に我が降りて冷えたる脚を妹もみほぐす
○火の細み身筋にとほるしまらくは末消ゆるまで神適(しんゆ)くごとし
○骨髄に灸(やいと)しみゆく時すらも楽しび繁(しじ)に無しと云はなくに
○身の皮や熱きは痛き時過ぎて艾(もぐさ)の火(ほ)くづほろろ消(け)につつ
○人今ぞ思ふつぼにし鍼うつと蓋しすぷりと痛処(いたど)刺し当つ
○すぷすぷと皮肉つらぬく鍼にして神(しん)にか徹る我の眼ひらく
○老にしていたり幽(かそ)けきものあらし身はしろがねの鍼を味ふ

どんな鍼灸師に治療を受けていたかは残念ながら資料はないようです。鍼を刺すオノマトペを「すぷり」とか「すぷすぷ」と表現している点は、普段細い鍼を扱う私から見ると正直気になりますが、当時はかなり太い鍼でブスブスと刺すのが流儀だったのでしょう。ただ鍼を「しろがねの鍼」とはなんとも美しい形容です。

白秋が鍼灸を愛して止まないと窺われるキーワードは「神」という言葉に読み取れます。神は「しん」と読み、精神とか心を表します。お灸で「神適くごとし」とか、鍼で「神にか徹る」とは、灸や鍼で精神の安寧をはかれることを意味しています。白秋はきっとその効果を確信しているからこそ、鍼灸を施されるひとときを至福のときと感じていたに違いないと想像できます。特に2首目の歌は治療家からみても、お灸の特長をうまく捉えた秀歌です。

火の細み身筋にとほるしまらくは末消ゆるまで神適(しんゆ)くごとし

ひとつひとつに気をこめながら据えたお灸が「火の細み」であり、ツボのラインである経絡が「身筋」。気を経絡という広い道筋に載せると、「火の細み」が消えるしばらくは心を安んじてくれる、という見事な歌です。

ここまで鍼灸の魅力を歌に遺してくれた北原白秋に、私は治療家の端くれながらも大いに感謝したい気持ちにかられます。

※『北原白秋歌集・日本詩人選03』小沢書店(97年)
※『明治東京畸人傳』森まゆみ著・新潮文庫(99年)

第04話:日常言語にみる「気」

「気」といわれてもそもそも見えないもので、実感されにくいものと思われがち。ところが、日常言語の中には「気」を含む単語が五萬とあり、実感されにくいどころか、むしろ「気」の中にどっぷりつかって生活していることがわかります。

その証拠に、国語辞書を開き「気」の項を紐解けば、たくさんの「気」の派生語に出会えます。それらを次のように2つに分類。

 ①自然と密接に関係する言葉
  ⇒気温、空気、大気、天気・・・ほかに気体、気圧、気流、湿気など
 ②心の状態と密接に関係している言葉
  ⇒気が休まる(ほっとする)、気が立つ(興奮する)、気に障る(機嫌がわるい)、
   気にいる、気を取り直す(気分をかえて元気になる)、気が早い、気が長い、
   気が短い、気が弱い、気が強いなど

こうしてみると、自然界も心の状態も、気のありようと密接に関わっていることがわかる。
前述したように、身体と心を結ぶ「気」、人と人、もしくは人と自然の間で感応する「気」の働きを考えれば、「気」がこれだけ豊富に反映されるのは当然かもしれない。しかも、これらの言葉を外国語に翻訳すると、たちまち「気」の痕跡は無残にも消滅してしまうでしょう。

言語学者のソシュールは「言葉はものの名前ではない」といったとか。言葉は「ものの名前」つまり記号のようなものではなくて、言葉が作られるという背景には、そこに関わる文化とか生活習慣に根差した歴史、もしくは自然環境があるということ。「気」を含む言葉がこれだけ五萬とあるのは、実はこの世界は「気の世界」で作られている、いや「気の世界」そのものかもしれません。

第03話:茨木のり子の詩にみる「気」

hasu

茨木のり子の詩集『歳月』から(存在)という詩を取り上げてみます。

(存在)
あなたは もしかしたら 存在しなかったのかもしれない
あなたという形をとって 何か素敵な気がすうっと流れただけで
わたしも ほんとうは 存在していないのかもしれない
何か在りげに 息などしているけれども
ただ透明な気と気が 触れあっただけのような
それはそれでよかったような いきものはすべてそうして消え失せてゆくような

詩集『歳月』は亡き夫への思いを赤裸々に綴ったもの。その中に掲載された(存在)という一篇の詩は、夫婦の間に流れる「気」の流れを描写した稀有な作品だと私は思っています。よく夫婦を永くやっていると、互いに「空気のような存在」になれるといいます。これは身体的な関係を超えて「あうんの呼吸」というのか、言葉を交わさなくても互いの存在を認め合えること。そんな境地を見事に謳った詩といえます。

文中で「あなたという形」というのは「身体」という見える実態。それに対して「何か素敵な気」とか「透明な気と気」というのは、夫婦の間に流れる見えない「気」の存在を描写しています。
茨木のり子は亡き夫とのかつての生活を振り返って、あのとき見えていた「身体」は実は「存在しなかったのかもしれない」とまでいいきります。これがこの詩の真骨頂でしょう。まるで見えない気の交流だけが夫婦の真実だったと謳っているような、これはすごい発見です。夫が死んでも意識は時を越えて思い出として残る。なぜなら、たとえ形(肉体)は消えうせたとしても、夫婦の間に流れていた「気」の交流はずっと永遠性を秘めているから、とこの詩は教えてくれます。そして最後に「それはそれでよかったような」と安堵したひとことが、素敵な余韻を残しています。

※追記:「見えるもの(形・身体)」と「見えないもの(気)」の対比は
    「陰陽」の関係で捉えてみると、とても興味深い作品にもなっている。 
     形(身体)⇒見えるもの (有形)⇒陰 ⇒体(主体)
     気    ⇒見えないもの(無形)⇒陽 ⇒用(機能)
※茨木のり子著『歳月』花神社(07年)

第02話:「気の医学」の「気」とは

ツボに鍼やお灸を施すことによって身体の中の気の流れが調う。その結果、症状が和らいだり、病が根治に向かったり、もしくは病に傾きつつあった体調を未然に調えたりもできる。そんなことから「鍼灸治療」は「気の医学」といえる。一言でいえば「鍼灸は気を調えることが得意」ということ。

ではその「気」とは何か。「気とは生命活動に必要なエネルギー」ということだけではあまりにも教科書的。第一これでは「気」のほんの一部しか語っていない。「気」の概念を理解するために、ここでひとりの患者さんを例にとって考えてみる。

女性35歳会社員Aさんは、新緑の五月だというのに草花を愛でる気分にもなれず、身体がだるくて疲れやすい。それと眼精疲労としつこい頸肩こりに悩まされている。さらに朝会社に出掛けようとすると、イライラしてきて頭痛がしてくる。詳しく問診すると、4月の人事異動で上司が代わり、威圧的な指導ぶりに戸惑い、その不満を口にできずにいるという。

このAさんについての「気」を考えてみます。
明らかにストレスの原因は新しい上司との人間関係によるもの。それと春という季節も何らかの関係があるかもしれない。
まずはAさんの「心」と「身体」から考える。東洋医学は「心」と「身体」を分けて考えない。「心」と「身体」は「気」によって結ばれて一体なっているとみなす。だからイライラする「心」の状態は「気」の流れに変化を及ぼし、さらに「気」の変化は身体に影響を及ぼして様々な症状を呈することになる。
次にAさんと上司の人と人の関係から考えてみる。ふたりは当に気が合わないから、ふたりの間における「気」のキャッチボールは当然ちぐはぐで、上司の威圧的な「気」の勢いにおされるままに、Aさんは自分の呼吸さえ保つことができない。自分の呼吸を保てなくなると自律神経がみだれ、血液運動に影響ができて目の疲れや頚肩こりなどの、いわゆる不定愁訴のオンパレードになってしまう。
それともうひとつ指摘したいことは、季節の気の動き。5月は春の気が盛んな頃。春の気は伸びやかな動きに満ちているのに、身体が疲れていると春の気と折り合いがつかず、逆に身体の気の流れは滞りやすくなる。

とこのように、「気」には体の中を流れる「気」だけではなくて、心と身体を結ぶ「気」、人と人の間に流れる「気」、そして人と自然の間で感応する「気」などがあり、つぎのように分類できる。
 
 『気の分類』
   ○生理的エネルギー:身体の中を流れる気
   ○心理的エネルギー:心と身体を結ぶ気
   ○感応的エネルギー:人と人、人と自然の間で感応する気

人間は身体の中に「気」が流れていると同時に、さまざまな環境下で外部と「気」のキャッチボールしながら生きているとみることができる。その中で「気」の不調和を生み出すと病気になってしまうということ。
ただ問題は「気」というのは、見えないものだから一般的に理解されにくい世界。だからできるだけ分かりやすく順次話していきましょう。

第01話:スーパームーンと身体



5月6日(旧暦:閏3月16日)の満月は、大きさが通常の30%増量のスーパームーンでした。それは地球と月の距離が最短になることで、より大きく見えるということ。ある患者さんは「不気味なまでに大きかった」と表現されていましたが、確かに、美しさの中にも得も言われぬパワーが潜んでいたと感じた人はいたようです。というのも、6日前後に「やる気がでなくて気分が塞いでいた」という患者さんが3人もいました。それはこのところの天候不順の正体である低気圧のオンパレードによる影響はあるでしょうが、それにも増して月と地球の引力とか磁力の加減によるものが当然あって、その結果気分が塞ぎがちになったと推測しています。

解剖学者の三木成夫によれば、女性の子宮はひとつの惑星のような器官だから、月の満ち欠け(月齢)と感応しながら月経(メンス)が訪れると指摘しています。確かに女性の月経は満月に多いし、そもそも月経を古来より「月事」とか「月のもの」と呼称されるのもむべなるかなです。

英語でルナティックというときは、たいてい月のせいで気が変になっているという意味になる。実際うつ病の患者さんで、満月になると気分が塞ぎがちの人はいます。かといって満月を病的な気分だけにとどめないところも、実は日本人の独特なスタイル。たとえば中世では「月狂い」となると、そこに「わび・さび」が加わって和歌がうまれる。季節のうつろいの中での月の満ち欠けとその美しさに、微妙な気分の変化を感応しながらうまく受容するというのか、とにかく日本人には自然と感応すべき鋭いアンテナが備わりつつ、それを楽しむすべもしっかり備わっているということです。

30%増量のスーパームーンと対峙して、気が塞ぐ人もいればその美しさにぞっこん魅了される人もいます。それは自然と対峙して身体の中にある小さな宇宙が、大宇宙とそれぞれ感応していることにはかわりないこと。むしろそれを実感していること自体がとても大切な身体感覚だと思っています。

天の海に雲の波立ち月の船 星の林に漕ぎ隠る見ゆ  (万葉集1068・柿本人麻呂)
行末は空もひとつの武蔵野に草の原より出づる月影  (新古今集422・藤原良経)

ブログ開設にあたり

日々さまざまな身体と向き合い、身体の声に耳を傾けてはツボを決め、なるべく鍼とお灸だけを使って治療しています。鍼灸治療を生業として幸いにも20年近く続けてこられたのは、治療の醍醐味に接することに少なからず恵まれたからこそと思っています。

鍼灸治療の醍醐味とは、ひとことで「気の医学」につきると考えています。「気の医学」の周辺を探るために、好きな読書はなるべくそれに費やしてきました。わかったことは陰陽論を代表とする中国哲学だけではなく、仏教や神道などの宗教学、西洋の神智学、密教ヨーガ、さらに身体学などなど実に広範囲に及ぶということだけです。ただただその大河を前に右往左往する毎日ですが、大河の一滴に触れるべく努力はこれからも続けようと思っております。

このブログは自分自身の備忘録のつもりで書いていきます。『慎思録』と名付けたのは江戸の儒学者・貝原益軒から拝借。当時は漢文の書物が多かった中で、益軒は『養生訓』『慎思録』を誰でも読める和文で綴り、多くの読者に養生法を普及させました。その慎ましやかな、懇ろな姿勢の爪の垢でも煎じつつ肝に銘じて『安神堂の慎思録』とします。