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第56話:東洋における自然観

古代中国の格言に「人ハコレ一箇ノ小天地ナリ」とあるように、小宇宙(ミクロコスモス)としての人間は、大宇宙(マクロコスモス)のはたらきと調和して生きるところに、その本来の姿があります。

こうした東洋における伝統的自然観は、大宇宙(大自然)の根源の「道(タオ)」から発する「気」のはたらきによって、自然界にあるすべての事物は生きている、という「タオイズム(道教)」が根底にあります。人間はその事物のひとつとする小宇宙であり、大自然のはたらきによって生かされることによって生きている、という生命論的な見方ができます。これは、近代西洋の自然観(自然は人間が征服する対象)とはまったく逆の見方です。

ここで根底にある「タオイズム(道教)」といっても、これを説明するのは複雑です。というのも、本来プリミティブな土俗的民間信仰を土台にして出発した道教が、『老子』『荘子』による「老荘思想」とか、儒教の経典である『易経』などで理論武装することで、当時の仏教に対抗しながら、道教を「哲学」として完成した経緯があるのです。そうした流れを念頭におきながら、主要なキーワードを基に、タオイズム(道教)による自然観をまとめてみます。

まずは「道(タオ)」の定義についてですが、これは儒教の経典である『易経』の繋辞伝上巻に次のような有名な言葉としてあります。
「形而上なる者、これを道といい、形而下なる者、これを器という」
ここで「形而上(けいじじょう)」とは形に先立つものという意味で、地上の万物が一定の形をそなえているのに対して、それらの万物を支配しているはたらきの源泉を「道(タオ)」と名付け、それは形に先立っていると、と考えたのです。これに対して「形而下(けいじか)」は形あるもの、つまり地上の万物ないし世界であり、それを「器」と呼んだのです。

『老子』第51章にはこうあります。
「道、之を生じ、徳、之を畜(やしな)う」
訳せば「道がそれを生み出し、道の偉大な徳がそれを養い」となり、道(タオ)とは万物を養い育てる母のようなものである―と述べています。

さらに、道(タオ)のもつエネルギーとして陰陽論が登場します。それは『易経』繋辞伝上巻にある、これも有名な一節です。
「一陰一陽、これを道という」
この「一陰一陽」とは自然を運行させる陰陽のはたらきが変化し、交替することを指しています。つまり万物を支配している「道(タオ)」のエネルギーは、絶え間ない(ダイナミックな)陰と陽という位相変化がある―ということです。

漢代になると、この「道(タオ)」の陰陽交替のはたらきを示すために、「気」という言葉が使われるようになります。ここで「道(タオ)」⇒「陰陽」⇒「気」という一本のレールが繋がったというわけです。

以上のように、根源である「道(タオ)」から発する、そのはたらきを受け入れた万物の状態はたえず変化してゆく。人間は万物の一つであり「気」のはたらきの容器でもある。われわれは万物が発する「気」のはたらきを知ることによって「道(タオ)」について知ることができる-というように、小宇宙である人間は、大宇宙である大自然と共存し感応する関係にあるということになります。


※福永光司解説『老子』朝日選書(97年)
※高田真治・後藤基巳訳『易経(上下)』岩波文庫(69年)
※湯浅泰雄『共時性の宇宙観』人文書院(95年)
※道教が「易経」や「老荘思想」を取り入れたのは、三国時代・魏の王弼(おうひつ)ら。
 当時『老子』『荘子』『易経』を三玄と呼ばれ、これをもとにした学問は玄学と呼ばれた。
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第55話:共時性の背景

◆偶然物語とユング:
久々にカルテを整理していたら、ぱらりと床に落ちた1枚のカルテ。なにげにその氏名欄をみるとAさんで、そういえばこのところ来院してないなぁ~、お元気なんだろうか?とAさんの顔がふと頭に浮かぶ。すると傍の電話が鳴りだし、受話器をとると「ご無沙汰してま~す、治療の予約入れたいんですが・・」耳に入ってきたのは、明らかにAさんの声。

とこんな偶然物語は、私はよく経験するほうです。偶然には「意味のない偶然」と「意味のある偶然」があって、後者を「共時性(シンクロニシティ)」といいます。落としたカルテに呼応したAさんの電話には、治療家と患者さんとの不思議な縁(えにし)という「意味性」があるとすれば、これは「共時性」です。

「共時性」synchronicity を提唱したのはスイスの心理学者カール・グスタフ・ユング(1875~1961)。シンクロナイズド・スイミングを例にとれば、複数の泳者(スイマー)の手足の動きが同時にピッタリと同調している。そういう状態を、時間と空間が-作用とその場という関係において-同調すること、として捉えるのが「共時性」の見方です。

ユングは「共時性」の考え方を、東洋思想に基づくものであると説明します。歴史的な用語でいうと、周代の「易」の思想や、漢代の「天人相関」の思想を示しています。現代の心理学にこうした東洋思想が関係し、重要な意義と価値をもつことに対して、東洋医学に携わる身としては、大いに知的好奇心を刺激されるところです。そこで「共時性」の背景にあるこれら東洋思想について紹介してみたいと思います。

◆「天人相関」の思想
大宇宙(マクロコスモス)である自然界にあるすべての事物は、根源の「道(タオ)」から発する「気」のはたらきによって生きています。ある時点ないし時間帯においては、世界のすべての事物が基本的に同じ性質をもつ「気」のエネルギーを受けているわけです。気はたえずその様相を変えていますが、ある時間帯の間は一定の性質を保っています。従って万物は、その一定の時間帯の間、気のエネルギーによって互いに質的にひとつに結びつけられています。つまり、同じ時間帯には、空間全体に、すべてのものを一つに結びつける同質のエネルギーである「気」がしみとおってはたらいている。とすれば、空間には遠く離れているようにみえる事物の間にも、互いに共鳴し同調するようにさせる「気」という、みえない「力」がはたらくというわけです。

ユングは、こうした「事物間に、互いに共鳴し同調する」ことを「共時性」と呼び、そこに介在するのが、時空間すべての事物を結び付けている「気」のはたらきとしたのです。それは、自然と人間(人体)のあいだに「気」がはたらき、共鳴し感応する関係がそなわっている、という漢代に生まれた「天人相関」の考え方に由来します。

◆時間に内在するエネルギーと「易」との関係
共時性の作用とその場としての、「時間」と「空間」を考えた場合、古代の中国人は「時間」について、その中に生命の「成熟」の力が潜在していると考えていました。一方「空間」はその力によって生長する万物にみちみちたものだと考えます。つまり「時間」は変化を生み出すはたらきがあり、「空間」はそれによって生成し変化する「器」ないしは「場」と考えたのです。ということは、大宇宙である自然界にはたらく「気」のエネルギーは、実は「時間」に内在したエネルギーだったのです。

この時間に内在するエネルギーは、「易」の世界観にも通じます。易の占いは無意識からの直感によって、未来のある「時間」にはたらくエネルギーが空間的事物をどう変化させるかを観るということです。

ちなみに「時間論」で考察すると、「共時性」と「易」の世界に共通しているこの「時間」とは「カイロス」という時間の概念になります。ギリシャ語によれば、時間には「クロノス」と「カイロス」の2つに分類されます。まず「クロノス」は通常の「順番に流れていく時間」のことで、数量化される「物理的時間」といえます。それに対して「カイロス」は英語ではタイミング(時機)と訳されることが多い時間概念です。たとえば生涯のパートナーと出会った日とか、就職試験に合格した日とか、それが「カイロス」です。これは過去の記憶とか、未来の予想に関わるので「質的時間」と呼び、また「こころ」で感得する時間なので「心理的時間」と呼ばれます。

要するに、古代の中国人が、「時間」の中に生命の「成熟」の力が潜在していると考えたのは、この「質的時間」「心理的時間」である「カイロス」を、事物の変化をもたらすという「生命的時間」として位置付けていたのです。従って、先の「天人相関」の説明で「ある時点ないし時間帯」「ある時間帯の間」「その一定の時間帯の間」などの、くどいくらいの言い回しは、実は「カイロス」の時間を表し、「時間」に内在した生命的エネルギーが「共時性」の原動力になるという意味だったのです。

 「クロノス」:数量化される「物理的時間」⇒感覚器で感得
 「カイロス」:「質的時間」「心理的時間」 ⇒こころで感得 ⇒「生命的時間」

◆心理学は科学といえるのか
こうしてみると、ユングが「共時性」の解明を東洋思想に求めるほど、近代科学のパラダイムから遠ざかり、「心理学ははたして科学といえるのか?」という疑問が投げつけられます。肯定的な意味でいえば、今や近代科学のパラダイム変換をしないかぎり、それは解明できない-ともいえます。ただ、東洋思想の側からみれば、ユングの思想は示唆的で、東洋思想の近代化という可能性とみれば、これほど強力な援軍はないと思うのです。


※「クロノスとカイロス」: 元々、神学者のポール・ティリッヒが、神話の時間観とキリスト教の時間観を比較するために、クロノスとカイロスを使って論じたのが始まりとか。順番に流れる時間(クロノス)に特定の出来事(カイロス)が介入することで物事が変化する、という歴史観で世界をみると興味深い。
※湯浅泰雄『共時性の宇宙観』人文書院(95年)

第54話:浩然の気を養う

「浩然の気を養う」という古くからの成句があります。「浩」は広大の意。浩然の気は、宇宙の根源の「道(タオ)」に繋がる充実した気という意味です。今の言葉でいえば、「自然の中に身も心も投じて、大いに元気をもらいましょう」といった意味になります。明治の文豪夏目漱石の『吾輩は猫である』には、主人公の猫が近所の庭でひねもす寝ころんで浩然の気を養う-という行(くだり)があります。明治の猫はさすがに高尚な趣味をお持ち(?)と感心しますが、同時に「浩然の気を養う」という行為が、当時は普段の養生法として定着していたことを窺わせます。

そもそも「浩然の気を養う」は『孟子』の「我、善く吾が浩然の気を養ふ」に由来します。ここで注目すべきは、その背景に存在する『荘子』の考え方。荘子は「人間の気」より「自然の気」に重きをおいていることです。ならば人間関係における気のキャッチボールに疲れ果て、ストレスを抱えがちな現代人は、「浩然の気」「自然の気」をしっかり補充する必要があるというものです。

では、浩然の気を養う-現代の養生法としては、どんなものがあるでしょうか。これまで接してきた多くの患者さんを参考に、紹介してみます。

はじめに紹介するのは「山歩き」です。山歩きをしてきた方はほとんどが「山から元気をもらってきました」とおっしゃいます。山が快く向かい入れておまけに元気までもおみやげにくれるなんて、当にお得な養生法です。これに関連して、自然界の「音」に注目する科学者がいます。自然の森には、鳥や虫の声、風にそよぐ木の葉の音、谷川のせせらぎの音など豊かな音に溢れています。人間の聴覚は20キロヘルツ以内の音しか聴くことができません。ところが、自然の森の中には100キロヘルツよりもはるかに高い周波数の音を出しているといいます。この高周波成分の音は、耳には聴こえていなくても、人間の脳(特に脳幹や視床下部)では、たしかにキャッチしていることが判明してきました。高周波成分の音によって脳基幹部が刺激されると、いわゆる「生きる意欲」をつくるドーパミンや、「心を鎮静化」するノルアドレナリンなどの神経伝達物質が多く分泌されて、私たちは単に気分的に心地よいだけでなく、まさに大脳生理学的に癒されるのです。山に行くと元気がもらえるのは、こうした脳にしか聴こえない自然界の「高周波成分の音」がきっと影響しているからかもしれません。

次なる養生法は「温泉」です。古くは江戸中期の京都では、後藤艮山という漢方医が、お灸と温泉療法を提唱していました。当時から有名な温泉地は「有馬温泉」と「城崎温泉」だったとか。温泉は火山国日本の宝といえます。温泉に行けば、気分もリラックスするのは、温泉の効用だけでなく、湯けむりの温泉街の近くにはだいたい名勝地があるように、きっと自然の「場の癒し」の効果も十分あります。また、主婦ならば「上げ膳据え膳」の時間、家事からの解放という意味合いも加わります。近場の温泉で定宿を決めて季節折々に楽しむ方もいます。よいことばかりの温泉、日本の宝である温泉を利用しない手はないのです。

最後は「旅行」ですが「そうだ京都いこう!」とJR東海のキャッチコピーそのままに実行した方がいます。退職間近58歳の女性Aさんは土曜日の早朝、食卓テーブルに置手紙を家族に残し、紅葉の京都にでかけました。新幹線による日帰り旅行ですが、急に思い立って即実行に意味がありそうです。置手紙には「京都に紅葉をみてきます。探さないでください。」、その横に携帯電話を置いていく念の入れようです。紅葉の京都で浩然の気を養ってきたAさんは、とてもすがすがしい顔でその晩に無事ご帰還したことは、いうまでもないことです。


※孟子(BC372~BC289)『孟子』より
「その気たるや、至大至剛、直を以て養ひて害すること無ければ、天地の間に塞がる。
我、善く吾が浩然の気を養ふ。」
中国戦国時代の孔子につぐ儒学者。
※大橋力『音と文明―音の環境学ことはじめ』岩波書店(03年)
 合唱団「芸能山城組」を主宰しながら、文明科学研究所長として音の研究に携わる。
※後藤艮山(1659~1733
 江戸中期の古方派の漢方医。27歳のとき父母を伴って京都に移り医を業とした。伝統的な医学理論をあまり重視せず、一気が停留することによって病が生ずる「一気停留説」を唱えた。熊胆・蕃椒を多用し、灸治療、並びに温泉療法を推奨したので「湯熊灸庵」のあだ名がある。

第53話:「RE:人が死ぬってなんですか?」

Aさんへ
メールありがとうございます。
24歳の若さで、二か所で昼夜お仕事をされているバイタリティーにはいつも感心しています。田舎のおばあちゃんの容態が、お医者さんに「余命2週間」と言われたこと、さぞかしショックだったと思います。おばあちゃんのこと心配ですね。

「人が死ぬってなんですか?」という質問はけっこう重くて、誰にでも早々簡単に納得できる答えはないと思います。ただ、あくまでもわたしが思っている「死」はこうですということをお伝えします。

人はこの世という大宇宙というか大自然に生をうけています。生きることってそれぞれの役割があるのだと思います。そのお勤めが終われば、ふたたび大自然に帰る、それが「死」だと思っています。

江戸時代のある偉い先生が言っています。海水を器で汲むことが「生」で、その器に入った水をまた海に戻すことが「死」だと。海水は大自然の「生命」そのもので、器に汲んだ水はその一部で自分の「生命」ということ。そもそも人間は大自然に生かされている存在だと言われます。だから人間の「生」と「死」はそうした「自然の営み」のひとつだということです。

中国の古い書では、こうした大自然の「変化の流れ」を「流れる気」として説明しています。荘子という人は「気が集まれば生で、気が散じれば死」と言っています。

ならば「気が散じて死となったらどうなるのでしょうか?」という疑問に対して真剣に考えた人がいて、それが王充という思想家です。王充によれば「死とは元気に帰ることである」と答えます。この「元気」とは大自然の根源である「一元の気」のことです。大自然の気の流れの変化によって、集まれば個の命が誕生して生となり、また気の流れの変化によって気が散れば、生命現象は消滅して死となります。そして散じた気は再び「元気」に戻ります。

つまり、死とは生まれる前の状態に戻ることであり、生と死はリンクしていてかつ循環しているのです。西洋では生から死を、始めから終わりへと直線的に考えますが、東洋では生と死を循環運動として、直線ではなく円環として考えることが特長なのです。
こうした東洋思想を「タオイズム」といいます。これは人間の生命現象に限られたことではありません。天地自然の現象から政治や経済や文化といった人間のあらゆる営みまで、すべてを包括する原理なのです。

話が長くなってしまいました。「死」は遺された人間にとっては悲しいことですが、個々にとって「自然の営み」と考えれば「死」は「生」と同じくらい大切なこと、それが一番伝えたかったことです。

おばあちゃんが亡くなったわけでもないのに、死のことを考えることは不謹慎なことかもしれません。でもAさんが初めて直面した「死」の命題を、こうして真剣に考えることに対して、おばあちゃんはきっとご理解して下さると思います。

では、まだまだ秋暑厳しき折、くれぐれもお身体に気を付けてお過ごしください。
安神堂より


※佐藤一斎(1772~1859)『言志四録』より
「海水を器に斟(く)み、器水(きすい)を海に飜(かえ)せば、死生は直ちに眼前に在り」
 佐藤一斎は江戸の儒学者。昌平坂学問所の総長。
※荘子(BC369~BC286)『荘子』(知北遊篇)
「人の生は気の聚(あつま)れるなり。聚れば則ち生と為り、散ずれば則ち死と為る」
 荘子は中国の戦国時代の思想家。道教(老荘思想)の始祖のひとり。
※王充(AD27~?)『論衡』(論死篇)
「人未だ生まれざれば、元気のなかに在り。既に死するや、復た元気に帰る」
 王充は後漢の思想家。儒教批判をした異端の学者として評価されている。

第52話:二十六夜(六夜様)



◆今宵は「二十六夜」
今日は旧暦の7月26日。月齢25.5の細い三日月の二十六夜にあたります。東京(大田区)の月の出は01:09AM、方位角度69°でしたが、ゆうべは生憎の雨で残念ながら観ることができませんでした。江戸時代には、この旧暦7月26日のお月見を「二十六夜待(にじゅうろくやまち)」と呼んでいました。月が出る様子が、まるでロウソクの灯が昇ってくるように見え、それを阿弥陀如来にたとえ、月に向かって拝んだといいます。

宮沢賢治の童話にも「二十六夜」という作品があるように、昔から東北各地には「二十六夜」に夜会式(お祭り)を重ね、村の神事として祝う習慣があったようです。私のふるさと酒田でも、「中の口」という町の八幡神社では、旧暦7月26日は「二十六夜」のお祭りがあり、地元の人はそれを「六夜様(ろくやさん)」と呼んでいました。

◆忘れられていく祭事
ところが「六夜様」を実際知っているのは、私の親の世代までです。日本は明治5年12月3日をもって旧暦(太陰太陽暦)から新暦(グレゴリオ暦)に改暦しました。政府が発した「改暦の詔(みことのり)」にこんな文章があります。「諸祭典等旧暦月日を新暦月日に相当し施行すべき事」とあります。となると「六夜様」のお祭りを新暦の7月26日にしてしまうと、まったく「二十六夜」と関係ないただのお祭りになってしまうわけです。信仰心の厚い先人たちは政府の指導を無視して、しばらくは旧暦のままで祭事を執り行ったようです。だから私の母(大正13年生まれ)は「六夜様」のことはしっかり覚えています。それが戦後になって次第に新暦の7月26日に移行してしまい、現在では「六夜様」を知る人はほとんどいなくなってしまいました。結局「六夜様」は、明治の改暦でなくなった文化のひとつとして記憶しておくべき事柄だと思っています。

◆山岳浄土の大パノラマ
ふるさと酒田は、西に日本海を望む港町で肥沃な庄内平野に囲まれています。北東に出羽富士の鳥海山、南南東に霊峰月山がそびえています。神道の世界からみれば、鳥海山は陽の山、月山は陰の山という陰陽の関係があります。神仏習合における仏教の世界からみれば、鳥海山は薬師如来、月山は阿弥陀如来がそれぞれの神宮寺に(廃仏毀釈までは)奉られていました。

民衆の生活に、まさに神仏が深く根差していた風土の中で、「六夜様」は旧暦の7月26日の未明には、鳥海山と月山の間に位置する東の山の端からゆっくり立ち昇ってくるのです。その闇夜の中で、民衆は新井田川(にいだがわ)の土手に立ってそれを拝みます。母に聞いた話では、山の端から月が出てくるときが、まるで2本のお燈明がぼっぽっと灯っているように見え、次第に月の全体像がはっきりして明るくなると、まるで阿弥陀様の御来迎のように見えたといいます。

これは宗教学的には「山岳浄土」の祭事だといわれ、いわゆる西方浄土を山の神と結びつけた神仏習合による民衆の浄土信仰といわれています。鳥海山と月山を両脇に配した大パノラマを、すべて過去の祭事として忘れられてしまうのは、とても残念な気がしてならないのです。

※五十嵐豊作『追憶の鵜渡川原画集』小松写真印刷(平成09年)
大正6年、酒田の鵜渡川原村(うどがわらむら)にて生まれた五十嵐豊作(故人)による画集。教員生活の傍ら、記憶と想像をめぐらして、昭和の初期から30年ごろまでの風景と生活を油絵で描き綴り、その数170点。その中に「六夜様」を描いた1点があります。うまいへたという尺度でははかれない、常民文化の民俗資料として貴重な画業です。実は五十嵐豊作は私の伯父にあたります。

第51話:或る霊性の高いひとの話

以前治療させていただいた、私と同世代の女性Aさんの話です。
Aさんは、治療中に気の流れを実況中継してくれる不思議な方です。たとえば、私が反応を感じている特定のツボに指をかざすと、Aさんにもシュルシュルと風のようなものを、そのツボの部分に感じます。まさに双方向性の反応を共有できる珍しい患者さんでした。

Aさんは主婦の傍ら、障がい者のためのある運動に永年関わってきました。その強い信念とか気力には、私などはいつも頭が下がる思いでした。お話しをするなかで、大きな器をもった方だと常々思うと同時に、とても「霊性が高いひと」だな、と感じさせる方でした。

あるときは、Aさんは「心包経の人」なので私が「紅色の水晶がいいですよ」と何気なく言ったつもりが、次には、鎌倉小町通りのお店で買ったという紅水晶の手数珠を見せてくれ「これをつけたら人ごみが疲れなくなった」とおっしゃったこともありました。

そんなAさんを治療しながら、既に亡くなっているお父さんのことに、たまたま話が及びました。それがまたびっくりするような内容で驚いてしまいました。彼女が「霊性が高い」のは、きっとご尊父とのつながりにその理由があると直感的に理解しました。

Aさんのお父さんは戦前、軍需産業を代表する大手企業の社員で、設計を担当する技術士だったそうです。赤紙(召集令状)が届き、満州の部隊に配属されます。ところが、戦時下で状況が厳しくなった頃、突然勤務先に戻るよう命令が下され、ひとりだけ除隊し帰国します。途中での除隊命令はかなりのレアケースであり、それだけ軍需産業の技術士として重要なポジションについていたことが想像されます。そのことが、幸か不幸かその後の運命を大きく決定付けます。つまりお父さんは結果的に無事終戦を迎えたわけですが、かつて満州で苦楽を共にした戦友たちは全員戦死したのでした。

Aさんの記憶では、お父さんは戦争の話を家族にいっさい話さなかったそうです。その代わり、いつ頃からか、木を彫りだして何体もの仏像を作り始めます。Aさんの推測では、たぶん戦友の数だけ彫ったのだろうとおっしゃっていました。それらの仏像は今でも実家に置いてあるといいます。それとAさんの嫁入り道具には、お父さんが彫ったお地蔵さんが一体あり、今でも自宅に大事に飾っているそうです。

そうした貴重な話を伺い、きっとお父さんが生前多くの徳を積まれたことが、Aさんの霊性を高めることに繋がっていること、そしてAさんはお父さんにいつも守られているのだろうと、思わずにはいられませんでした。

第50話:エリザベス・マッキンレーに学ぶ(続)

以前、90歳を越えたご婦人のAさんを治療したときの話です。Aさんの背骨は年齢相応に曲がってはいますが、それでも戦前の職業軍人の妻らしく、常に居ずまいが凛とされていました。お話を伺って驚いたのが、症状や体調についていつも時系列をもって詳しく話されることや、10人いるお孫さんすべてのお名前と生年月日を覚えていらっしゃることでした。そうしたAさんの生前の数年間を治療させていただいた中で、不思議な印象をもったことが、Aさんの表情がだんだん穏やかになっていったことです。それをたとえれば、能にでてくる「翁(おきな)」のような顔立ちで、まさに神々しくみえてきたのです。

エリザベス・マッキンレーは、人が歳をとるに従い、身体と心(魂)のつながりがより強く密接になり、本当の自分になっていくと述べています。この「本当の自分」とはそのひとの本質的なものであり、スピリチュアルな世界でいえば「神」に近い領域をいっているようです。このエリザベスのことばに触れたときに、真っ先にAさんのことを思い出したのです。

Aさんは毎朝必ず仏前で般若心経を唱えていたそうです。お経をあげること自体が健康法という指摘もありますが、きっとAさんは意識していなくても、自然に「こころの養生」としてしっかり実践されていたのだと想像できます。エリザベスがいうには、西洋の中世では、人々が人生の旅路でスピリチュアルに成長すると生きる意味をみつけ、それを神と結び付ける方法が確かにあり、それが上手に歳をとることだった。ところが文明の発達とともに、私たち現代人はより深くスピリチュアルな処で考える能力の多くを捨て去ってしまった、と解説します。このことは西洋に限らず、私たち日本の現代にもあてはまる問題として理解できます。

さらにエリザベスは、米国作家のリック・ムーディ(1961~)のことばを引用します。「老いることは私たちが『する人(human doings)』から『いる人(human beings)』へ、そして『なる人(human becomings)』と移っていくための自然の修道院なのだ。」

この『する人(human doings)』は健康で活動的な普通の人。『いる人(human beings)』は老化が進む中で、病気や障害を抱えて活動を制約された人を意味しています。ただし、『する人』も『いる人』も、それぞれ「生きる意味」があることを説いています。そして最終段階の『なる人(human becomings)』とは、神になる、神に結ばれるという意味なのでしょう。
従って、老いていく中での「こころのケア」はあくまでも受動的な支え。それに加えて『なる人』に向かうための、自らによるスピリチュアルな「こころの養生」も大切である、とエリザベスは強調します。このことは民族や宗教を越えた普遍的なテーマであるように思えます。(完)

第49話:エリザベス・マッキンレーに学ぶ

自宅へ出張治療に伺ったときに、患者のAさんはこう話してくれました。
「足腰が衰えてしまい、以前のように好きな旅行など、遠出はもうできなくなった。そればかりか近所の買い物もままならない。なんとかひとりで頑張ってきたのに、ついに子どもの世話を受けるようになってしまった。」

Aさんのように、老いが確実に進んでいくなかで、病気や障害をきっかけに、それまでの自立した日常生活がついに維持できなくなると、どうしても気が塞いで、うつ的な気分になってしまいます。高齢化がどんどん進む現代では、そうしたケースは年々確実に増えて、身体のケアだけでなく、こころのケアがより必要な時代になっています。

自宅での患者さんはポロリと本音を言われます。あるときは「死にたい」と漏らされたことがありました。「生きる意味」を失い始めている患者さんを前にして、治療家はどんなことばを返してあげればよいのか、正直いつも悩んでいました。

最近、ひとつ参考になった方法があります。オーストラリアの看護師エリザベス・マッキンレー(1940~)による「スピリチュアル回想法」という対話法です。オーストラリアでは、牧師などの聖職者による、末期患者に対するこころのケアを「スピリチュアル・ケア」といいます。エリザベスは看護師の傍ら神学を学び、53歳で牧師になっています。特に認知症の患者に対する「スピリチュアル・ケア」を実践する中で、独自の「スピリチュアル回想法」を編み出し、現在はその方法を伝えようと世界各地で活動を続けています。日本にも来日し、これまでNHK教育テレビの「こころの時代」で、アンコールを含め2度紹介されています。

彼女による「スピリチュアル回想法」の基本は対話です。特にその人の「生きる意味」を支えることが最も大切だと考えます。生きることに意味がなければ生きる希望がない。人にとって「生きる意味」を見つけ出すことは、人間であることの中心にあるものです。そして人生で守るべき大切なものである、と言います。対話は、つぎのようなことば掛けから始まります。

「生きてこられた人生で、一番大切にしてきたものは何でしょうね?」
「今、ご自分の人生で一番大事なことってなんでしょう?」

治療しながら、この質問を患者さんに投げかけてみました。すると「家族がいつも健康でいることかな・・」と答えます。話の展開に応じて「もう少し詳しくお話ししてくれませんか?」と伺っていきます。ふっと見せる患者さんの表情からは、そういうことを思っていたとしても、たぶんこうして口に出す機会はしばらくなかったのだろうな、という感触を受けます。しばらく話題にしなかった事柄を話すことで、いくぶん表情も和らいだのがわかります。この二つの質問に対する答えの先には、その人にとっての「生きる意味」が確実にあります。病気や障害によって失意のどん底を味わい、「生きる意味」を失いかけている人にとって、本来もっていた「生きる意味」を少しでもより戻せるかもしれません。このことは、人間であることの中心にあるもの、その人にとって本質的なものを確認する作業になっていきます。

エリザベスは、この対話法で「生きる意味」を与えることはできない、しかしその手助けはできると言います。それには傾聴と適切な問いかけです。患者さんに対してじっくり話を聴いて、生きるための手がかりを導き出すこと。そして極めて基本的な「ことば掛け」が最も大切であると教えてくれます。(つづく)


※NHK教育TV『こころの時代』にて「“する人”から“なる人”へ」
番組では、「認知症の人は記憶を失うことで神も失うのか?」など、スピリチュアルな問題に踏み込んで解説しています。番組構成としてはよくできています。興味がありましたらNHKアーカイブから検索してみてください。

※ヴィクトール・E・フランクル/霜山徳爾訳『夜と霧』みすず書房(85年)
 ヴィクトール・E・フランクル/池田佳代子訳『夜と霧・新版』みすず書房(02年)
エリザベスが影響受けた本。フランクルの「どんな状況下でも希望と意味をもつこと」は彼女が説く「生きる意味」につながっている。『夜と霧』は3.11震災以降東北被災地で多くの人に読まれていると話題になっている。

第48話:聴き手の受容性

いきなり医療面接の問題です。
「私はもうだめなのでしょうか?」という患者のことばに対して、次のような選択肢が立てられています。あなたならどう答えますか?

(1)「そんなこと言わないで、もっと頑張りましょう」と励ます。
(2)「そんなこと心配しないでいいんですよ」と答える。
(3)「どうしてそんな気持ちになるの」と聞き返す。
(4)「これだけ痛みがあると、そんな気にもなるね」と同情を示す。
(5)「もうだめなんだ・・とそんな気がするんですね」と返す。

これを医療関係者にアンケートをおこなったところ、医学生は(1)。看護師はほとんどが(3)。精神科医は(5)と答えたそうです。正解は(5)になります。

コミュニケーションの基本的技術で一番重要なことは、「耳を傾けて聴くこと(傾聴)」です。その中で、相互理解を得るために「共感」とか「波長合わせ」ということも大切になります。また問題を明確にしていく中では、時には「励まし」も使うこともあります。看護師のほとんどが選んだ(3)は「オープンクエスチョン」という質問形式に分類され、「もう少し詳しく・・」等の質問を投げかけることで、患者さんの自由な答えを引き出す技法です。

なんだかこうしてみると、(5)以外も一見正しい選択肢のように思えます。しかしこの問題のねらいは、相手のメッセージに対して受け手がどういうサインをだすかにあります。
つまり相手のことばが自分に届きましたよということを相手に示す一番効果的な方法は、同じことばを繰り返すことです。同じことばを繰り返すのは、意味性のレベルではなんの意味もないことに思われるでしょうが、実は「あなたのメッセージが私に伝わりました。コンタクトが成立しました。」ということを示す一番いい方法なのだそうです。

鍼灸治療の場合は、問診だけではなくて、体表に触れてツボの反応を診たり、脈を診たり、舌を診たりなど、身体の声を聴く診察技術はとても豊富です。実際、触診とか脈診から得られる情報は、患者さんが発する言葉と同じくらいの「身体の声」になります。例えば、質問しなくても、ツボの反応から「身体の声」をしっかりキャッチすることもできるので、その「身体の声」をしっかり受け取りましたよ、という意味で「これはつらかったでしょう」と患者さんに返すこともあります。こうした鍼灸の診察技術は、患者さんと治療家の間におけるいわば「気」のキャッチボールです。患者さんが投げてきたパスをしっかり受け取りましたよという治療者側の受容性は、信頼関係を築く上でもとても大切なことだと実感しています。

※鷲田清一『「聴く」ことの力』TBSブリタニカ(99年)
※内田樹『死と身体―コミュニケーションの磁場』医学書院(04年)
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