平岡篤頼文庫 第五回講演会

講演:「霙の文学」(みぞれのぶんがく)

講師 堀江敏幸 (小説家・早稲田大学文学学術院教授・芥川賞選考委員)  
司会 根本昌夫

日時 : 2014年8月16日(土) 午後2時 
場所 : 平岡篤頼文庫(軽井沢町追分)
入場料無料 【要予約】

 撮影 森清

堀江敏幸(ほりえ としゆき)
小説家。フランス文学者。早稲田大学文学学術院教授。芥川賞選考委員。
1964年、岐阜県多治見市生まれ。早稲田大学第一文学部フランス文学専修卒業。東京大学大学院人文科学研究科フランス文学専攻博士課程単位取得退学。その間にパリ第3大学博士課程留学。
1994年より、フランス留学経験を随筆風に綴った『郊外へ』を雑誌「ふらんす」に連載。1995年に単行本化され、小説家デビューを果たす。
2001年『熊の敷石』で芥川賞、2003年「スタンス・ドット」で川端康成文学賞、2004年同作収録の『雪沼とその周辺』で谷崎純一郎賞、木山捷平文学賞、2006年『河岸忘日抄』、2010年『正弦曲線』で読売文学賞を受賞。
2004年より明治大学理工学部教授、2007年に早稲田大学文学学術院教授に就任。2009年に早稲田大学短歌会会長に就任。

〒389-0115
長野県北佐久郡軽井沢町追分5675
平岡篤頼文庫 HP:http://www.hiraokatokuyoshi.com/index.html

【要予約・お問い合わせ先】
e-mail : bunkohiraoka@mild.ocn.ne.jp
Fax : 03-5702-5981


※注記:このお知らせは、主催者の平岡不二子氏の許可を得て掲載しております。
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第125話:はじめての映画『日本誕生』



◆5才の記憶
生まれてはじめて観た映画のことを、かすかな記憶を頼りに辿ってみると、たぶんそれは5才の頃に観た古事記を題材にした『日本誕生』に行き着きます。記憶の断片には、連れていってくれた祖父が、売店でグリコアーモンドチョコレートを買ってくれたことや、家に帰ると興奮のあまり「八俣の大蛇(やまたのおろち)ごっこ」で遊んだことなど、それらはいまでもぼんやりと心象風景として蘇ります。

映画のシーンで覚えているのは、三船敏郎が演ずる須佐之男命(スサノウノミコト)が八俣の大蛇を退治した場面。それと当時横綱だった朝潮太郎が演じていた力持ちの神様・天手力男神(アメノタヂカラオノカミ)でした。特に朝潮が天の岩戸の大岩を動かすと、眩いばかりの光の中に天照大御神(アマテラスオオミカミ)が登場する場面は印象に残っています。書棚にあった少年少女向け『日本神話物語』が予備知識になっていたとはいえ、はじめて観る映画という「非日常性」に遭遇したときの感動は、いま振返ってみても、若干5才の少年にとってとても大きかったように思うのです。

◆52年ぶりの再会
そして今から3年前のこと、この『日本誕生』を池袋の「新文芸坐」で偶然に観ることになったのです。パンフレットには―『日本誕生』は昭和34年10月公開の東宝映画(稲垣浩監督・円谷英二特撮監督)。東宝映画1000本目の記念作品として、三船敏郎をはじめとする豪華キャストで制作された―とあります。そんな大人の事情はもちろん初めて知ること。とにかく57才になったわたしは、『日本誕生』と実に52年ぶりに再会したわけです。

そこで新たな発見がありました。ひとつは天照大御神を原節子が演じていたこと。日本人離れの一見バタ臭い顔立ちは、まるで美輪明宏かと見間違えるかのような神々しさでした。そしてもうひとつは乙羽信子が天宇受売命(アメノウズメノミコト)を演じていたこと。かつて小沢昭一は「アメノウズメは歴史上はじめてストリップを演じた神様」と彼のラジオ番組「小沢昭一的こころ」でよく話していたものです。若き乙羽信子はそんな意図を汲んでか、胸乳を露わに(もちろん胸は作りものでしたが)天の岩戸の前でコケテッシュに舞い踊っていました。

52年ぶりの『日本誕生』に、かつての恋人に再会したような感激を味わってもよさそうですが、すでに57才になってしまったかつての少年にはどうも勝手が違いました。たしかに豪華キャストと謳うほど、東宝を代表する大勢の俳優陣が出演はしているものの、それは出演機会を平等に与えるために配慮された「学芸会」のようなもの。これには辟易してしまったのです。まあ記念映画であるからしょうがないことですが、さらに輪をかけたのは、上映時間がなんと180分(途中休憩あり)にも及ぶことでした。

◆神話性とは
といいながらも、冗長に流された作品にもそれなりに収穫はありました。たとえば森繁久彌・三木のり平・有島一郎・小林桂樹・左卜全などの面々が、かつての「喜劇駅前シリーズ」のように大らかで滑稽なほどに神々を演じていたこと。こうした演出(もしくは演出のなさ?)には賛否両論がありそうですが、本来『古事記』がもっている玄妙な魅力にむしろ符合しているといえます。つまり、『古事記』に活躍する人物像は、みな生き生きした野性味あふれる原始人であり、天地を駆け巡り、心のままに笑い、怒り、戦い、愛し合う、という世界からみれば、多少退屈でもそれはそれで大した問題ではないと思うからです。

そもそも「神話性」とは深層に隠された世界を描いたもの。話の筋を追うだけではむしろつまらない代物といえます。当時5才のわたしが、今だったら退屈な『日本誕生』をよく飽きもせず180分間よくぞ最後まで観ていたものですが、むしろそれは、子どもというのは本来、無意識下に「神話性」を受容するピュアな感性を自然のままに備えていると言われ、逆に大人になって行くほどその感度は衰えてしまうらしい。だからこそ、子どものうちに「神話性」に触れるべき機会は大いにあってしかるべき-ということです。

◆『古事記』の世界とは
『古事記』は大切な「日本の神話」でありながら、戦前は国粋主義に利用されたという理由から、ついぞ戦後教育では扱うことなく現在に至っています。
「天地(あめつち)のはじめの時・・」というくだりから始まる『古事記』は「神々の夜明けと黄昏を描いた壮大な叙事詩」といわれており、作家の田辺聖子は「古事記ほど人々の心の夢をゆすぶる、不思議な文学はない」と指摘しています。だから『古事記』がこのまま「未読の必読書」として定着してしまうのはとても残念なこと。願わくは、子どもが『ハリーポッター』を読みふけるように、『古事記』もまた日本のファンタジーとして、ぜひ読み継がれてゆくべきです。

ともあれ、わたしが大人になってから『古事記』に関心を以て読むようになったのは、5才のときに映画『日本誕生』を観たという原体験があればこそでしょう。グリコアーモンドチョコレートを買い与えてまでも連れて行ってくれた当時65才の祖父には感謝しつつ、今度はわたしが次の世代(まだ見ぬ孫?)にその思いを受け継げたらと願っています。

※『田辺聖子の古事記』集英社文庫(96年)
数ある『古事記』の現代語訳の中では、田辺聖子本が一番わかりやすい。古典に造詣が深いだけでなく、とにかくわかりやすく解説してくれるところがよい。