スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

第126話:ベルクソンの「知覚」と「時間論」



◆「現在」のみに生きる生物
ウニやナマコまたはホヤの類は、視ること(視覚)や聴くこと(聴覚)が未発達の原始的生物といえます。かれらにとっての唯一の知覚は触ること(触覚)であり、触覚によって現在の空間的刺激に反応するだけ。それは「今!」「今!」という一瞬における空間的刺激に反応し、まさに「現在」のみに生きているわけで、かれらは「過去」を振り返り「未来」を夢見ることなど微塵の可能性もないということです。仏教でいう最少の時間単位を「刹那(せつな)」といいますが、かれらは触覚だけを頼りに当に「刹那!」「刹那!」を健気に生きている生物といえるかもしれません。

◆純粋知覚について
このように、知覚が直接的には「現在」にのみ反応していることを、アンリ・ベルクソン(1859~1941)は「純粋知覚」と呼んでいます。(この場合の「純粋」とは哲学的な独特な言い回しですが、心の問題を排除して身体の存在だけで考えてみると、という意味。)
哲学者のベルクソンが言わんとするのは、「心身論(身体論)」の問題に関わることですが、人体の感覚器官は、それ自体としてみれば「現在」しか知ることができない性質であること。それぞれの器官が外界からの物理刺激(光・音。匂いなど)を受信することは、身体周囲の空間的事物を「現在」という状態で知ること。言いかえれば、身体の器官は「過去」や「未来」を認識することはできない。つまり「時間」を知るようにはできていない―とベルクソンはいっているのです。

◆持続と時間論について
ところが、われわれ人間がウニやナマコまたはホヤの類と大きく違うのは、「過去」や「未来」を認識する動物であるということ。このことは、人間が「過去」や「未来」という「時間」を知るには「心」のはたらきが介在している、ということを示しているのです。過去は記憶の中から回想され、心において再現される。未来は心において予想され想像される―したがって、人間の時間認識について原理的に考えるには、「心身論」についてとりあげる必要があるということになります。

そこでベルクソンは、われわれ人間の知覚を「心身論」から捉え直し、独特の「時間論」を展開し、そこに「持続」という概念を提示したのです。それは、われわれの現実の知覚は、いわば「時間の厚み」、あるいは「時間の幅」を含んだ知覚である―それを「持続」と呼びます。人間の空間知覚には、必ず時間の「持続」が浸透しているということです。

では、「持続」が浸透した知覚、すなわち時間的動きのある知覚とは一体どんな知覚なのでしょうか。それは「記憶心象(イマージュ)」が浸透した知覚です。たとえば、「あそこに電車が走っている」という現在の知覚象(視覚)は、電車が一瞬の過去において占めていた空間的位置のイマージュをなお記憶に保持している知覚であるのです。

このことは、われわれ人間の知覚に「心」の関与を認めてみれば、現在の中に過去と未来が織り込まれて流れているような、当に「心の時間」「生きている時間」を知覚できるということです。これがベルクソン独特の時間論です。
ちなみに、二階堂和美による映画『かぐや姫の物語』のエンディング・ソング『いのちの記憶』で「いまのすべては 過去のすべて/いまのすべては 未来の希望」と唄っていたのは、当にベルクソン的世界といえます。

一方物理学者のアインシュタインは、時間は科学にとってみかけの現象にすぎないと考え、過去・現在・未来に区別されるような時間は科学にとって意味のないものであって、時間とは一種の幻想にすぎないと述べています。
それに対して哲学者のベルクソンは、「現在」には科学の外に出た何かがある―いうまでもなく、それは心の問題との関係を主張したのです。ベルクソンのいう「持続」-生きている時間―はそういう過去・現在・未来が織りこまれた「時」をいうのです。

◆ベルクソンの魅力
神学者のポール・ティリッヒによって知られるようになった、古代ギリシャの時間における2つの分類があります。それは「クロノス(量的時間)」と「カイロス(質的時間)」です。ベルクソンの「持続」は明らかに後者の「カイロス」のことで質的に浸透する時間です。さらに、それは東洋思想である「易の時間論」に通ずることが、大いに興味を引くところです。
ベルクソンは、デカルト以来の心身二元的思考様式を克服する道を開き、身体と心の相関性に新しい光を投じた人物であると言えます。心の所在は脳ではなく深層意識と呼ばれる領域にあり、脳とは無関係にどこかに(というのも妙な言い方ですが)存在すると主張しています。また1927年にはノーベル文学賞を受賞した哲学者であり、意外なところではSPR(英国神霊研究協会)に所属して、魂の存在についての言及もあります。いずれにせよ、ベルクソンが説く心身論は、東洋思想に架け橋を築いたという意味では、大いに注目すべき思想であると捉えています。

※湯浅泰雄『共時性の宇宙観』人文書院(95年)
※湯浅泰雄『身体論』講談社学術文庫(90年)
ベルクソンの哲学は難しいが、身体論から論究した湯浅泰雄の解説はわかりやすい。
※新潮CD『小林秀雄講演第2巻―信ずることと考えること』
ベルクソンといえば小林秀雄。昭和36年に収録した学生向けの講演記録。
ユリゲラーの念力からベルクソンへと展開する話術は必聴。爆問の太田光はこのCD集をよく聴いているらしい。わたしもたまに区立図書館で借りて聴いている。


スポンサーサイト
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。