第128話:経絡の向きについて

◆電位勾配
血液が全身に隈なく循環するのは、心臓の拍動による推進力がはたらいているからですが、では、血管の外に流れる「体液」はなぜ細胞から細胞へと淀みなく流れているのでしょうか。その流れの原動力となる正体は、実は「電位勾配」と呼ばれる位置エネルギーにあります。つまりナトリウムやカリウムなどを含む水の量というのは相関関係があり、それらの電位勾配によって、電位が高いところから低いところへと流れているということです。

◆「経絡」は水路
鍼灸医学における「経絡」は、体内の極めて浅い層を流れる水の流れである―とするのが本山博の経絡学説でした。本山によれば―「経絡」は皮膚の「真皮」という1㎜にも満たない層に存在するとし、その「真皮」内は細胞がまばらで、膠原線維や弾性線維などの結合組織によって網目状の隙間を形成している。その隙間をぬうように水(体液)が流れている、その「水路」こそが「経絡」の正体であり、流れる「水」に気エネルギーが存在している―と説いています。

ここで「経絡」が「水路」であるならば、気の流れの原動力もまた「電位勾配」に依拠すると考えるのが自然です。そこで本山は「差動アンプ」という計器を使い、「陰の経絡(以下「陰経」)」と「陽の経絡(以下「陽経」)」上にある任意のツボ2穴で、その上下間での電位勾配を調べてみました。すると「陰経」では下から電位が高く、下から上へ電流が流れること。そして「陽経」では上から電位が高く、上から下へ電流が流れることが実験によって判明したのです。

◆古典との符合
この実験結果は、鍼灸医学の古典が説くところの「経絡」に流れる「気」の方向、すなわち「経絡の方向」と見事に符合します。
ここで古典が説く「経絡の方向」を今一度説明します。まず立位で両手を万歳にした形を基本にして、「陽経」は上から下へ、「陰経」は下から上へ流れているとしています。ちなみにこれを「陽は天から地へ、陰は地から天へ」と覚えます。但し万歳した形なので、同じ「陰経」であっても、「足の陰経」の場合では求心方向(足先が始点)に流れていますが、「手の陰経」の場合は遠心方向(手先が終点)に流れることになります。

このように、古典が説いた「経絡の方向」について、本山博はツボの2穴間での電位勾配を計測することで、それが正しいことを科学的に初めて証明したのです。

◆「経絡の方向」を意識した治療
それでは「経絡の方向」を治療の中でどのように生かすか、それが次なるテーマです。
わたしの経験から言えることは、ひとつのツボに鍼や灸を施すときは、「経絡の方向」を念頭に置くか置かないかでは、その効果に差がでてくるということです。たとえば、複数のツボを使う場合に、「経絡の方向」に沿った順番を以て刺鍼や施灸をしています。それは下の写真に示す「左足膝痛の治療」を例に説明してみましょう。



番号1-2-3は膝内側を走る「脾経」上のツボで、1は「陰陵泉(いんりょうせん)」、2は「半月板点」(私が名付けているツボ)、3は「血海(けっかい)」というツボです。「脾経」は陰経で「陰は地から天へ」ですから、経絡の方向は1→2→3の順番になります。
一方、番号4-5-6は膝外側を走る「胃経」上のツボで、4は「梁丘(りょうきゅう)」、5は「外膝眼(がいしつがん)」、3は「足三里(あしさんり)」というツボです。「胃経」は陽経で「陽は天から地へ」ですから、経絡の方向は4→5→6の順番になります。これらをお灸で治療するときは、1壮ずつ1~6の順番で施灸し、それを5~7周繰り返します。

「陰経」と「陽経」を合わせて、その気の流れに沿った方向に順次施灸をするわけです。それは患者さんにとっても、一定方向に走る微妙な熱の伝播を感じることになります。
ちなみに、これを家庭療法として「せんねん灸」を使う場合であれば、6個の「せんねん灸」を1~6の順番に、やや時間差をつけながら着火すると同様の効果が期待できるでしょう。

このような方法を採用することは、経絡の気の流れに掉さすことであり、滞りがちな気の流れを改善することができ、痛みが軽減できるということです。
ただこれはひとつの例であり、「経絡の方向」を意識した治療ということでは、治療家自身の意識の持ち方も重要な要素になります。ひとつのツボに施灸なり刺鍼するときに、経絡が流れる先を望むような姿勢と意識づけも、とても大切であることは言うまでもないことです。


※本山博(著/編)『人間に魂はあるか?;本山博の学問と実践』国書刊行会(2013年)
2012年6月6日に慶応大学での講演録を中心にまとめた本。
なかでも鍼灸に関する研究の到達点を確認できる。

※12本の経絡:手の6本と足の6本は以下の通り。
◎手の陽経3本;上から下    ◎手の陰経3本;下から上
 小腸経(手の太陽小腸経)    心経 (手の少陰心経)
 三焦経(手の少陽三焦経)    心包経(手の厥陰心包経)
 大腸経(手の陽明大腸経)    肺経 (手の太陰肺経)
◎足の陽経3本;上から下    ◎足の陰経3本;下から上
 胃経 (足の陽明胃経)      脾経 (足の太陰脾経)
 膀胱経(足の太陽膀胱経)    腎経 (足の少陰腎経)
 胆経 (足の少陽胆経)      肝経 (足の厥陰肝経)
                     ※( )は経絡の正式名称
スポンサーサイト

第127話:50歳からの漱石



◆漱石は古くない
夏目漱石(1867~1916)の『こころ』が最近の朝日新聞に連載されているそうです。しかも今から100年前・大正3年(1914年)に朝日新聞に連載されたそのままのかたちで掲載しているとか。当時の「旧仮名遣い」は、今のわたしたちにとっては慣れない代物とはいえ、それでも漱石の小説は100年経っても少しも古さを感じさせない―と毎日読んでいる患者さんのAさんがそうおっしゃっていました。

わたしもAさんに同感です。昔も今も永く支持され続けてきた作家という意味では、漱石の右に出る作家はいないでしょう。古書店によく通うわたしからみても、漱石の文庫本ならば、どこの古書店でも必ず見かけます。一方、谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫、安倍公房などはすっかり影を潜めてしまい、時代の寵児として脚光を浴びる作家でさえ、時の流れとともに忘れ去らようとするさまは書棚からも窺えます。そうした中でも漱石はひとり関せず、いつの時代にも普遍的な光を放ち続けています。-と、分かったような物言いをしてしまいましたが、実のところわたしが本当の意味で漱石を理解できるようになったのは、50歳をすぎてからのことです。

◆漱石の良さがわかる年齢
若いときは『ぼっちゃん』や『吾輩は猫である』をとりあえず読んだという記憶しかありません。たしか高校に入学した折、『蛍雪時代』に旺文社文庫の『草枕』が付録としてついていました。有名な冒頭の一節「山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい」の後は、正直いってちんぷんかんぷんで何が面白いんだろうと、途中で投げ出した記憶があります。今振り返れば―それはしょうがないこと。読解力もなければ、共感できるほどの人生経験もあるわけではないのだから―と言い訳ができます。
それが50歳をすぎて読んでみると、驚くほど多くの「気づき」を得られるものです。というより、わたしの方が漱石の面白味を理解できる年齢に、遅ればせながらようやく到達したというべきでしょうか。

◆『それから』にみる文明批評
「漱石は古くない」と思った小説のひとつに、漱石42歳のときの『それから』があります。親友の妻を横恋慕する所謂「姦通小説」の類です。明治も後期となり「日露戦争後の商工業膨張」を背景に、いわば「近代社会草創期」のなかでの人間模様を描いています。面白いのはその恋愛ドラマではなく、むしろ主人公にあります。主人公の長井代助は職をもたず、実業家の父から経済的援助を受け、書生を同居させるような所謂「高等遊民」。好きな音楽を聴き、洋書を読む毎日で、一向に働かないその理由を「日本対西洋の関係が駄目だから働かない」と理屈を述べます。
漱石は分身である代助を、世間を俯瞰する「高等遊民」にすることで、持論の文明批評を代助の言葉のはしはしに代弁させているような気がします。

ここで慶応3年生まれの漱石と、漱石の親の世代を考えれば、侍は帯刀して、藩政の縛りに苦労していた時代がほんの直前まであったということ。まだまだ江戸時代をひきずりながらも、急激な変化を強いられた明治という時代に漱石は小説を書いていたのです。一方、代助はと言えば、父は17歳のときに家中のひとりを切り殺した経験をもち、伯父は京都で頭巾を着た浪士に殺されています。それがたちまち明治の文明開化を経ると、富国強兵・殖産興業を国是とし、是が非でも西洋列国に肩を並ぼうと、日本は西洋文化を積極的に取り入れます。ついには日露戦争で勝利すると、日本は次第に傲慢な風潮になってゆき、父も商工業の膨張に乗じ、いかがわしいことをして財をなしたのではないかと、代助は父の自己欺瞞を批判します。

漱石は、はたして『それから』で何を云いたかったのでしょう。
33歳より2年間英国留学の経験をもつ漱石は、西洋文化に十分精通した上で、舶来ものに盲従する風潮に警鐘を鳴らし、世界の中での日本の立ち位置を質そうとしたのでしょう。
今読んでも「漱石は古くない」のは、漱石のそうした「時代」の先を見据え、「小説」という表現手段をつかい、常に「時代」にコミットしてきた姿勢にあるからだと思います。

◆『草枕』からのヒント
ちなみに、ピアニストの鬼才グレン・グールドは意外にも『草枕』の英訳版を愛読していたそうです。そんな興味も手伝って、高校時代に頓挫した『草枕』を再び読んでみました。それでもわたしにとっての『草枕』は難しい小説であることには変わりません。ただ面白いことに、小説の中に「霊台」という文字を2か所みつけました。それは鍼灸師のわたしにとって、ツボ「霊台」を理解する上での貴重なヒントになり得たのです。
※参照記事⇒「第38話:霊台考(その2)」

こんなふうに、漱石は今読んでもさまざまの「気づき」を提供してくれます。それと、できれば50歳を過ぎたころにでも、ゆっくり吟味しながら再読することもお勧めします。