第131話:「アラビアのロレンス」の背景



◆映画との出会い◆
イギリスの俳優ピーター・オトゥールが亡くなったというニュースを聞いて、代表作「アラビアのロレンス」(1962年制作)を思い出しました。この映画を初めて知ったのは、たぶん中学2年生のとき、社会科の先生が「アラビアのロレンス」は必ずみるべきだと熱く語ってくれたことがきっかけでした。それでも映画館でみたのは二十歳を過ぎたころ。スクリーンいっぱいに映し出された雄大な砂漠が一面オレンジ色に染まっていて、そのけた外れの自然の迫力にただただ圧倒されたことは今でも鮮明に覚えています。20世紀初頭のアラビア半島に起きた史実に基づく作品ですが、当時のわたしは戦争映画の類としかみていなかったので、主人公のT・E・ロレンスの苦悩をどこまで理解できていたのかは疑わしいものです。

◆「アラビアのロレンス」の全容
懐かしさのついでにDVDながら、およそ40年ぶりに「アラビアのロレンス」を見てみました。社会科の先生が言わんとしたことは―今日の中東問題やアラブ世界での混乱のきっかけとなった「火種」は、実は当時のイギリスがとった裏工作にあったということ。それをこの映画から読み取ってほしい―ということだったのでしょう。そうした背景を凡そ理解出来る齢になって改めてみると、若いときにはみえていなかったことが随分とみえてくるものです。

「アラビアのロレンス」の時代をおさらいすると、今から100年前の第一次世界大戦が勃発した頃。当時アラビアはドイツとトルコ(オスマン帝国)による連合軍の圧政下にありました。イギリスは敵国ドイツ連合軍を分散させるため、アラブ人の反トルコ感情を活用して、アラブ社会の名門ハシーム家に、トルコ軍へ反旗をひるがえすよう働きかけます。そしてイギリスはハシーム家のファイサル王子(後のイラク王)が率いる反乱軍に、軍事顧問としてロレンスを派遣したのです。ロレンスは独自のゲリラ戦法を駆使して反乱軍を指揮し、アカバ湾への奇襲攻撃などでめざましい活躍をし、砂漠の英雄とうたわれるようになっていきます。

映画はダマスカス陥落までの2年間を描いていますが、単なる戦争映画ではなかったのです。終盤に入るとロレンスはしだいに自分がイギリス軍上層部に利用されていることに気づきます。さらにアラブ民族もまた部族間の対立からロレンスを疎ましくなっていきます。そうした中で、複雑な政治情勢に翻弄されてゆくロレンスをこの映画は描いています。

◆失意のロレンス
複雑な政治情勢の根源は、イギリスがとった「二枚舌外交」ともいわれる裏工作にありました。イギリスはハシーム家に対して、大戦後のあかつきには「アラブ人のための国家の独立を支援する」と約束(フサイン・マクマホン書簡)しておきながら、その舞台裏ではフランスととんでもない秘密協定(サンクス・ピコ秘密協定)を結び、ロシアを含めた3国間で大戦後の利権の分配を取り決めていたのです。

ファイサル王子から「サンクス・ピコ秘密協定」の存在を皮肉まじりに糾弾される場面が、映画の終盤に用意されています。それをはじめて聞いたロレンスは動揺して、その後ダマスカス陥落までの最後の戦いに臨んだときは、まるで人が変わったように自暴自棄になり、すでに戦意を失ったトルコ軍に対しても残虐なまでの戦い方をします。ロレンスは、母国イギリスがアラブとの独立の約束を果たさないことに失意して、ついに退官を申し出てアラブを去ります。そしてイギリスに帰り孤独な最期をとげたのです。

◆もうひとつのテーマ
こうしてアラブと母国イギリスの板挟みに合いながら、時代の矛盾を一身に受けたロレンスの悲劇性が映画「アラビアのロレンス」のテーマではありますが、看過できないもうひとつのテーマは、大戦後のシナリオをすべて作成した側の「イギリスのまちがい」にあります。

というのも、ベルサイユ講和後には戦勝国の英仏が中東を線引きし、フランスがシリアとレバノンを委任統治し、イギリスがヨルダン、パレスチナ、イラクを委任統治するというふうになっていきます。西欧の勝手な思惑で引かれた国境が、そのまま中東の地図をつくったわけで、しかも国をもたないクルド民族が生まれたのです。

さらに、イギリスはユダヤ人(大富豪ロスチャイルド)に対しても甘い言葉で「パレスチナにユダヤ人のためのナショナルホーム」をつくってあげようという勝手な約束(バルフォア宣言)をし、その結果、パレスチナにユダヤ人が大量に移住するようになり、現在のイスラエルが建国するきっかけをつくったのです。

今日の中東問題やアラブ世界での混乱、とりわけ解決の糸口の見えない「パレスチナ問題」などを考える上で、そのすべての原点をマッピングするとすれば、名画「アラビアのロレンス」の時代にどうしても辿り着くのです。(了)

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