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第152話:師を求め旅に出よう



◆初学者の戸惑い
ブログを読まれた若い方から「どのように自分の治療スタイルを確立していけばよいのですか?」とよく相談を受けます。かつてわたしも同じような悩みをもっていた時期があったので、こうした初学者の戸惑いは、とても大切なテーマであると理解しています。

というのも、現代鍼灸は伝統療法であるとはいえ、治療の拠り処が古典的根拠に基づくもの、あるいは科学的根拠に基づくもの、はたまた某先生の独自理論によるものなど多岐にわたり、まさに百花繚乱の世界といえます。それらを横断する共通した理論があるかと思えば、実はバラバラであったりもします。それでいて各「治療法」は、それぞれの患者さんの支持を得て立派に成立しているわけです。不思議といえば不思議な世界です。そんな世界を前にして、自分がどのような治療スタイルを選ぶべきかで戸惑うのは、(まじめな)初学者であれば当然のことです。

◆「旅に出よう」
そうした相談には、いつも「師を求め旅に出よう」とアドバイスしています。鍼灸の道を究めようとすれば、まずは「一流の鍼灸医術」とはどういうものかを見定めた上で、自分にとっての「お手本」を探す必要があります。お手本となる「師」を探す期間が「師を求める旅」というわけです。ただし、ここでいう「師」とは、師匠と弟子の関係性に限定したことではなく、座学を通して「これだ!」と思う治療家なり理論家なりを自分の「師」と(勝手に)決めてもよいのです。

いずれにせよ、手始めの「師を求める旅」とは、治療家人生の方向性がそこで決まるぐらいの重要な選択です。それだけに、ボタンの掛け違いにならないように、じっくり取り組む必要があります。

今回のテーマは「師を求める旅」のポイントについて、あくまでも私見ですが思いつくままにまとめてみました。

◆無駄を覚悟で
いきなり師をきめることは中々難しいこと。まずは座学を通して多くの情報を集めることです。ときには座学から離れて、治療家の講演会や講座に参加して話を聞くことも、座学とはまた違った情報集めになります。さらには、治療家の技術とか身体性に直に触れるために、治療院を見学したり、実際に患者として治療を受けたりすることも有益なことです。

修業時代を振り返れば、初期の段階で学んだことが、現在の治療法のすべてに直結しているかといえば、そうでもないのです。その量から比較すれば、むしろ関連のないものの方が圧倒的に多いのです。かといってそれが無駄であったとは思いません。というのも、感覚を拠り処とする伝統療法にとっては、経験(の量)こそが真贋の目利きを養うからです。一見無駄のように見えても、後になって有益だったりすることもあれば、無駄であればこそ一方の「本物」が際立つということもあります。要は無駄を覚悟で取り組んだとしても損はないということです。

◆まとまった治療理論を学ぶ
この業界は、個別のノウハウを教えてくれる「師」はいくらでもいます。ところが、臨床で必要なのは、どんなケースでも応用が効く治療理論です。それには、まとまった漢方理論をもった「師」につくことと、自身もその理論を徹底的に学んでみることです。日本の漢方でも中医学の漢方でもよく、とにかく基礎理論をしっかり身につけることが肝要です。

わたしの師からは―
基礎理論の正当性を日々「身体」で確認していく作業が日々の臨床治療だということ。(この場合の「身体」は、患者さんの身体の変化と、治療家自身の診断技術としての身体性を指す。)そして、それらの整合性を整理した上で、最終的には「自分の漢方」を作れるようになりなさい―と教えられたものです。
問題なのは、基礎理論の習得をおろそかにして、先に「自分の漢方だ」と標榜するケースです。それでは「ひとりよがりの漢方」になってしまうということです。

◆師に師がいるか
もうひとつ、師を選ぶ際の大事な条件があります。それは内田樹が提唱している「師に師がいる」ということ。特に鍼灸のような伝統医療では、この言葉は重要な意味をもっています。師の上にまた師がいるということは、師がもつ技術・理論・身体性のすべてが時系列上の連続的な空間に存在していることです。そもそも鍼灸は先人の智慧の蓄積によって成り立つ経験医学であるわけです。師が先人の智慧を引継いでいるかどうかは、「師に師がいる」という要件で明らかになるわけです。

もし「すべて自分が編み出した治療理論だ」と豪語する治療家であれば、師と選ぶには慎重にすべきです。鍼灸という業界は誰しもが「先生」と呼ばれるかわりに、「お山の大将」がとかく多い世界です。先人の智慧に対して謙虚な姿勢がみられるかどうか―という視点で「師」を見極めることも大切なことです。(了)
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‘16 今年もよろしくお願い申し上げます



あけまして おめでとうございます

見えるものを追いかけるのに忙しすぎた私たちには
水木しげる翁の『目に見えないものを信じる』ことと
星の王子さまの『大切なものは見えない』ことは
とても心にひびく言葉になっています。

人と人の間に流れる「気」 人と自然の間に流れる「気」
身体の中に流れる「気」などは見えない大切なもの。

今年も よい「気」が流れますように。
   2016年 元旦


※年賀状の追記:17才の誕生日に、とある女性から『星の王子さま』をプレゼントされたのですが、気持ちの居処が定まらぬ少年のわたしには「童話なんて」という反発もあってか、以後ずっと読むこともなく、しまいには本の所在がわからなくなると同時に、わたしといえばごくごく普通の大人になっていました。
それが昨年のこと、サン・テクジュペリ没後70年に便乗して、新訳の数冊(ブックオフではどれもが新品で108円!)を読んでみました。そこでわかったのが『星の王子さま』は子供向けの「童話」ではなくて、あくまでも大人が読むための「小説」だということでした。まさに45年越しの誕生日プレゼントの意味を、遅ればせながらも味わうことになりました。
それともうひとつ。賀状を読んでくださったAさんから「バオバブの木をシンガポールの植物園でみつけ、これだ!と思った」という嬉しいメールをいただきました。

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