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第153話:森雄士師との遭遇



◆母の従弟
子どもの頃、親戚に気になる人がいました。母の従弟にあたる森雄士(もりゆうじ)という邦楽演奏家です。彼の存在を知ることになったのは、TVの邦楽番組を茶の間でみていた時でした。画面の向こう側に胡弓を演奏している盲目の男性がいて、母が「ゆうちゃんだ」と叫んだのです。そこではじめて彼についてのあらましを聞かされたと記憶しています。

「ゆうちゃん」こと森雄士は、母より5才年下の昭和4年生まれ。わが家に時おり訪れる製材所を営む「森のおじさん」の2番目の息子さんです。生後間もないころに麻疹により全盲になってしまい、将来を案じた「森のおじさん」はピアノや箏を習わせ、ついには東京の宮城道雄に手紙をかいて息子の弟子入りの承諾を得たそうです。
母にとって森家は叔父(わたしの祖父の弟)の家です。障がいをもちながらも一生懸命習い事に励む幼い従弟を、母の兄妹たち共々、弟のように可愛がっていたようです。実際、彼の世話をするために、母の次姉が一時東京に駆り出されたという話も聞いています。

こうして森雄士は、昭和10年、6才にして故郷酒田を離れ、東京で宮城道雄門下生としての生活をスタートしました。東京大空襲の折に酒田へ一時疎開したほかは、終生東京で過ごし、三味線(三絃)、箏、胡弓、歌(地歌)などの邦楽演奏家(筝曲家)として活躍したようです。

今や、わたしの両親は亡くなり、そして気がつけば叔父や叔母といえる人たちも鬼籍に入ってしまいました。親戚付き合いが希薄になっていくと同時に、気になる存在だったはずの森雄士のことも次第に忘れかけていました。

◆不思議なご縁
そんな矢先のことです。ひょんなことから、鍼灸師の公益団体が主催するイベントで、彼が箏を演奏したことを知ったのです。それにはびっくりしたのは言うまでもありません。
2010年のこと。日本鍼灸の礎を築いた杉山和一(杉山検校)の生誕400年を記念したコンサートで、和波孝禧のヴァイオリンと森雄士の箏による「春の海」と「谷間の水車」(共に宮城道雄作品)が披露されたのでした。
森雄士は当時81歳、宮城道雄の最後の弟子と謂われながら、演奏する機会はめっきり少なくなっていたそうですが、そのときのジョイントは、かつて東京盲学校で和楽の教官をしていたときの教え子である和波孝禧と、師弟共演という特別な意味合いもあったそうです。

ついぞ忘れかけていた森雄士を、杉山検校の生誕400年が引き寄せてくれました。何か不思議なご縁を感じてしまいます。かつて検校を中心とした当道座(盲人の相互扶助組織)という制度があった江戸時代を考えてみれば、鍼灸・あんまと三曲(箏・地歌三味線・胡弓)は同じ保護政策の下で、鍼灸医学や邦楽として発展してきたという歴史があります。大げさな言い方をすれば、この400年の歴史を振り返ることで、まだ見ぬ遠縁の森雄士にようやく遭遇できたと言うべきかもしれません。

◆道を究める
以来ネット上の繋がりとはいえ、邦楽関係者のブログを通して、ときどき彼の動静を垣間見るようにしてきました。たとえば、先のコンサートを聴いたという方が、こんな感想をブログに綴られていました。

「勿論今から数十年前の力強い演奏と言う訳には行きませんが、その当時天才演奏家と言われていた弾き方をその日も所々で感じさせる演奏を聞かせてくれました。(中略)演奏を見た感じを言いますと派手な弾き方は行っていません。むしろ何もしていないかの様に見えたり聞こえたりしますが、これは音楽的自然な表現に則って演奏している事にあります。」
 (ブログ「コロちゃんの独り言」から抜粋)

なかでも「何もしていないかの様に見えたり聞こえたり」というのは、中島敦の小説『名人伝』にある「弓の名人の究極は弓のことを忘れてしまう」ことに通じることなのでしょうか。筝曲のことはもちろん門外漢ですが、ふとそんなことを連想させました。

森雄士は2012年に亡くなりました。享年83でした。
亡くなる1か月前に録音したCDの存在を最近になって知り、さっそく購入して最後の演奏となった地歌と三弦を聴いております。またその関係者のご好意で、2005年に宮城道雄の思い出を語ったインタビュー記事(『邦楽ジャーナル』05年11月号/12月号)も入手しました。

ふとした奇遇から、彼に関した多くの事柄を知ることで、邦楽の道を究めた森雄士が、わたしのファミリーヒストリーの中に存在したことを誇りに思うと共に、わたしにとって森雄士は求道の「師」であることを、改めて確信しました。(了)


※森雄士(1929~2012):
昭和4年山形県酒田市生まれ。宮城道雄に箏・三絃・胡弓等を師事するため6歳で上京。東京盲学校初等部に入学。在学中はピアノなどの西洋音楽も学び、斎藤松声、久本玄智ら山田流講師陣にも師事する。音楽理論と作曲法は、団伊玖磨、柴田南雄に師事。卒後は同校で教鞭を執る。その他川村女子学園講師を務める。作品に「石川啄木詩集より」「箏とフルート二重奏曲」「壱越調」「箏独奏の為の変奏曲」などがある。(CDより抜粋)

※杉山和一(1610~1694):
江戸元禄時代に活躍した検校。元禄2年(1689年)に関八州の当道座(とうどうざ)を統括する「惣禄検校」となる。綱吉から拝領した本所一つ目の屋敷(「惣禄屋敷」)に盲人達の教育授産施設である「杉山流鍼治導引稽古所」を設け、鍼灸・導引(あん摩)の指導に当った。管(鍼管)に鍼を通して鍼頭を叩打する「管鍼法」を考案。「管鍼法」は日本鍼灸独自のスタイルとして定着した。

※CD『安藤政輝・宮城道雄を弾く4』日本伝統文化振興財団
収録2曲目:「水の玉」が森雄士の亡くなる1か月前の演奏録音。
 歌・箏:安藤政輝/歌・三弦:森雄士

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