第154話:鍼灸の「虚実論」について



◆はじめに
鍼灸専門学校で東洋医学を学び始めたころ、まず混乱したのが用語の定義に多様性があるということです。その最たるものが「虚実」という概念でした。古典的な鍼灸医学を標榜する治療家であれば「虚実」は病証を捉える際の重要な尺度となるものですが、本によってその解釈がまるっきり異なることが現状になっています。
今回は、そうした混乱した経験を踏まえ、各種「虚実論」の違いについて取り上げてみます。

◆混乱のはじまり
鍼灸専門学校に入学したのが90年代初頭。当時ブームだった増永静人(1925~1981)の「経絡指圧」に興味をもち、ずいぶんと増永の著書は読んだ記憶があります。そこで繰り広げられる「虚実」の概念は、初学者にとっては東洋医学共通の概念であろうと当然思うわけです。ましてや増永は京大出身で心理学を学んだ鬼才であり、緻密な文章力には理数系の人間でさえもが魅了されるくらいでした。
ところが、学校の授業や他の専門書を読んでいくと、どうもそれは特殊な理論であり、むしろ増永独自の「虚実論」として扱うべきものと次第に気づいていったのです。普通に考えれば、それは大きな混乱の極み、場合によっては無駄な時間を費やしたと悔やむところです。

◆多様な「虚実論」
ただ、増永式「虚実論」が特殊な解釈であったとしても、それは決して無駄な学習ではありませんでした。というのも、当時はちょうど鍼灸治療学のカルキュラムに中医学理論を導入するという新たな転換期にあり、学会(全日本鍼灸学会など)では、日中間の「虚実論」の相違点がテーマになるくらいでした。さらには、増永式「虚実論」どころか、日本漢方の「虚実論」、中医学の「虚実論」、はたまた経絡治療の「虚実論」というように、百花繚乱のごとく林立していることが、日本鍼灸界が置かれた現状であることをそこで知るに及んだのです。
このように混乱から始まった「虚実論」とはいえ、それぞれの相違点を整理分析したことが、結果的には「虚実論」についての理解を深めたことになりました。

◆「虚実論」の相違点
そこで「日本漢方」「中医学」そして「経絡治療」についての「虚実論」の違いを以下のように箇条書きでまとめてみました。たとえば「陰虚証」とか「陽虚証」とひとくちで言ったとしても、「中医学」とか「経絡治療」では、まったく意味するところが違うことが分かると思います。

◎「日本漢方」の虚実 
⇒体力があるのが「実証」、体力がないのが「虚証」
 (出典先/古典的背景はどうも不明?)

◎「中医学」の虚実
⇒『素問』の「通評虚実論」を基本
「邪気盛んなるを則ち実、精気を奪われるを則ち虚」
(邪気が存在すれば実証、正気の虚損が虚証)
「陰虚証」:津液・血などの陰液が虚損。虚熱あり。
「陽実証」:陽実邪(風熱・熱・火・燥・暑)が侵襲
「陽虚証」:陽気の虚損。
「陰実証」:陰実邪(風寒・寒・湿)が侵襲

◎「経絡治療」の虚実
⇒「経絡」の虚実
「陰虚証」:陰経の1経絡が虚
「陽実証」:陰経の1経絡の虚に乗じて1陽経が実
「陽虚証」:陰経の1経絡と陽経の1経絡が共に虚
「陰実証」:陰経の1経絡が実(死に近い)
(杉山勲の鍼術講座による)

◆「病理」の違い
「虚実論」に関連して、よく指摘されるのが「中医学」と「経絡治療」における「病理」の違いです。概略以下のようにまとめてみました。 
⒜ 寒熱の違い
中医学の証には寒熱が明瞭に含まれる。
経絡治療の証には寒熱の概念が含まれない。  
⒝ 気滞の違い
中医学による「気滞」は実証。
経絡治療による「気滞」は「気実」といい実証ではない。
虚があるために一方で正気が余っている状態をいう。
⒞ 病位の違い
中医学は臓腑中心。経絡治療は経絡中心。

◆おわりに
先に述べたように「虚実」は病証を捉える際の重要な尺度「ものさし」となるものです。各流派での違いがあるからといって、他派をやり玉に挙げて批判をすることではなく、治療家としてどのような「ものさし」を選択するかに力を注いだ方がより現実的です。試行錯誤を重ねながらも、治療上の手ごたえを実感することで、自分の治療世界を構築してゆくことの方が最も大切であるからです。(了)
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