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平岡篤頼文庫 第七回講演会

演題 「パリ・レヴューと早稲田文学」

  青山南 × 根本昌夫  対談
  日時 : 2016年8月21日(日) 午後2時
  場所 : 平岡篤頼文庫(軽井沢町追分)
  HP: http://www.hiraokatokuyoshi.com/
  入場料無料 【要予約】

ご予約方法
参加者ご氏名・ご住所・ご連絡先電話番号をお書き添えの上、
メールまたはFAXにてお申し込みください。
e-mail : bunkohiraoka@mild.ocn.ne.jp
Fax 03-5702-5981

ご予約締切 8月19日(金)17:00
お問い合わせ用電話 03-3781-7608
当日のお問い合わせ 0267-45-1907



青山 南
1949年、福島県生まれ。翻訳家・エッセイスト。
早稲田大学文化構想学部教授。
著書に『短編小説のアメリカ52講』(平凡社)、
『英語になったニッポン小説』(集英社)など多数。
訳書に『オン・ザ・ロード』(河出書房新社)、『パリ・レヴュー・インタヴューⅠ 
作家はどうやって小説を書くのか、じっくり聞いてみよう!』
『パリ・レヴュー・インタヴューⅡ 
作家はどうやって小説を書くのか、たっぷり聞いてみよう!』
(岩波書店)など多数。



根本昌夫
早稲田大学卒業後『海燕』編集長、『野生時代』編集長を歴任。
小川洋子、角田光代、よしもとばななをデビュ-させるなど新人発掘に定評があり、
現在、大学及びカルチャーセンター等で小説教室の講座を担当。
当初より当文庫講演会の企画を手がけられています。
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第159話:中沢新一の流動的知性としての「無意識」



◆北海道の少年
「おしおき」とばかりに山に置き去りにされた北海道の少年が、6日後に無事発見されたと報じられたニュースは記憶に新しいと思います。とかく暗いニュースが多い昨今だけに、救出の知らせは当に日本中がほっとした瞬間でした。そこで誰もが驚いたのは、日が沈む前に自衛隊施設にたどり着いたことと、8歳の子どもでありながら、救出されるまでひとりで5泊もの間をじっとそこに留まっていたことです。

それはいくつもの偶然が重なったとニュースでは解説していましたが、どうみても少年は「特別な能力をもった子ども」としか思えないのです。「特別な能力」というのは、たとえば自然と同化できる能力ということ。北海道であればキタキツネや熊と会話ができるとか、闇夜の中でも話し相手を見つけられる能力のことです。そうした見方が正しいとするならば、たぶん少年はある意味で父親を越えた存在であり、逆に父親にとって息子は手に負えない存在だったのかもしれません。

突拍子もないことをいうようですが、実はそんなことを思いたったのは、わたしたちの直接の先祖である現生人類(ホモサピエンス)の時代に遡る時に、動物が人間と対等の関係で成立していたであろうことを想像できるからです。きっと北海道の少年にはそうしたDNAの片鱗がしっかりと生きていると思えるのです。

◆「神話的思考」の本質は「無意識」
そこで脳裏に浮かぶのは、中沢新一(1950~)が著書『対称性人類学』に綴られた―「人間と熊はかつて兄弟だった」と語る神話を語るだけで、胸の奥から不思議な感動までこみあげてきます。―という一節です。
たしかに、宮澤賢治の『なめとこ山の熊』を読んだときに受けた感動もこれと同質の体験だったのかもしれません。ではなぜ人は神話を語るだけで感動するのでしょうか。

その昔、まだ人間が動物や植物と分離していなかった時代には、神話的な時間と空間があって、そこから「哲学」ともいうべき「神話的思考」が生まれました。中沢は、レヴィ=ストロース(1908~2009)の「神話は無意識のおこなう思考である」を紹介しながら、この「神話的思考」の本質には流動的知性ともいうべき「無意識」が存在すると解説します。つまり神話は「無意識」系の活動の所産であり、その語りに読み手が感動するのは「無意識」系の思考が揺り動かされるというわけです。ですから北海道の少年にも、現代の神話ともいうべき同様のにおいを感じてしまうのかもしれません。

◆フロイトとの違い
「無意識」といえば、20世紀の初頭にフロイトが「意識」と区別して「無意識」の存在をはじめて明らかにしました。そこで「無意識」を「心」の中の抑圧された部分として理解しようとしました。西欧の近代社会では「無意識」のはたらきは人格や社会の表面に現れてこないように仕組まれています。

しかし、中沢は「無意識」がつねに抑圧と結びつけて考えられることに(ユングと同じように)異を唱えます。そもそも「無意識」系の活動は言語を生じ、いくつもの意味領域を重ね合わす「比喩」や「象徴」の表現も、そこから発生してきます。したがって、詩をつくり、宗教を持ち、芸術を創造し、科学的発見をおこなうわたしたちの「心」は、実は脳における流動的知性(=無意識)のはたらきを通して形成されてきたのだと考え、「無意識」こそが「心」の基体を為すとまで言い切ります。そのことは、3~4万年前に登場したわたしたちの祖先である現生人類(ホモサピエンス)の大脳組織におこった革命的な変化によって生み出されたと主張しています。

◆東洋思想との共通性
そもそも「無意識」を流動的知性として捉えているのは、ダイナミズムとしての流動的な思考回路を呈していることによります。
そのひとつは、たとえば人間と動物が兄弟や親子関係の対等もしくは同質とする、いわゆる本来異種の関係を対称的関係に捉える「二項操作」にあります。これが発展した姿を俯瞰してみれば「部分と全体」論になり、仏教の華厳経が唱える「一即多、多即一(部分は全体であり、全体は部分である)」の共通した世界観にもなるわけです。
もうひとつは、「無意識」における時間論ですが、「無意識」領野では過去・現在・未来の区別がつかない世界であることです。「神話」が現代にまで普遍的に通ずるのは流動的な時間論が根底にあるからであり、量的時間(テクノス)よりも質的時間(カイロス)に重きをおく「易の時間論」(または「ベルクソンの時間論」)にも共通しています。

わたしが「無意識」についての興味がやまないのは、こうした東洋思想との共通性です。さらに、気の存在やユングや身体論の研究で著名な湯浅泰雄(1925~2005)によれば「経絡は無意識下の回路である」とする言葉を遺しています。
ですから、日々の鍼灸治療を通して「経絡と無意識の関係」を観察してゆくことが、わたしに課せられたひとつのテーマであると思っているのです。(了)

※中沢新一『対称性人類学(カイエ・ソバージュⅤ)』講談社(2004年刊)
異種同志を同質の対称的関係に捉える思考法(二項操作)を「対称性の論理」と呼び、無意識の根幹を為すとし、逆に「意識」の根幹は「非対称性の論理」と呼んでいる。
※宮澤賢治『なめとこ山の熊』
古くは「マタギ」と呼ばれた猟師の小十郎と熊の交流を描いた作品。人間の社会と動物の社会の対称的な関係を語っている。
※湯浅泰雄『身体論(東洋的心身論と現代)』講談社学術文庫(1990年)
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