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第161話:されど「戦争を知らない大人たち」



◆昭和一桁世代の気概
振り返ってみると、学校での恩師や会社の上司、そして好きな作家やメディアで活躍している著名人の中で、特に影響を受けたという意味では、その多くが昭和一桁世代の方々だったように思います。

ふとそんなことを思い立ったのは、このところ永六輔、大橋巨泉など、昭和一桁生まれの著名人の訃報が続いていたからです。彼らは戦争の愚かさを少年の心身で体感した世代であり、先の戦争における最後の語り部になっていました。最近の国際情勢や日本の安保法制の動きには敏感に反応し、今の日本が不穏な方向へ進んでいることに危機感を抱いていました。メディアを通じて警鐘を鳴らすそうした姿勢には、大いに共感をもって見てきました。

彼ら昭和一桁世代とは、少年期に軍国教育から民主教育へといきなり大転換した日のことを、鮮烈なまでに脳裏に刻まれている人々です。その「原体験」があればこそ「体制にやすやすと迎合しない!」とする「気概」をもつに至ったといえます。寺山修司(昭和10年生まれ)が「身捨つるほどの祖国ありや」と謳った有名なフレーズは、その到達点といえるのかもしれません。

◆戦後世代に欠けたもの
こうして昭和一桁世代がぽつりぽつりいなくなるなかで、毎年終戦記念日を迎えると、はたして、戦後世代のわたしたちは次世代の子どもたちにいったい何を伝えられるのだろうと考えてしまいます。

わたしは昭和29年(1954年)生まれ。かつて「戦争を知らない子どもたち」と歌われた世代です。戦後70年が過ぎた現在、すでに還暦を迎えそのまま「戦争の知らない大人たち」になっています。そもそも昭和一桁世代のように、戦争を語る上での「リアリティ」は当然ながら持ち合わせてはいません。そればかりか、先の戦争に関連した日本近代史の事柄を問われても、なんともおぼつかないのです。

言い訳と自戒をこめて説明すれば、わたしたちの両親は大正世代です。先の戦争の話となると口が重く、子どもの前ではほとんど寡黙を通したという複雑な背景をもっていました。戦場に駆り出され悲惨な戦時下での犠牲者でありながら、同時に国民総動員で戦争に与(くみ)していたという当事者としての負い目も抱えていたようです。したがって戦争当時の断片的な「苦労話」を吐露したとしても、なぜ戦争に至ってしまったのかという総括的な話をすることは全くなかったといえます。

戦争のことを教えてくれないのは家庭ばかりではありません。学校での歴史教育もそうでした。日本の歴史を通史として学んでいく中で近代史はどうしても最後になります。さらに「大学受験に近代史は出題しない」という不文律がなんとなくあるために、益々学ぶ必要性をなくしているのが現状です。ですから、歴史が好きな友人のなかで戦国時代や幕末に詳しい人はいても、昭和史に詳しいという人はまず見渡らないのです。

こんな風に「戦争を知らない大人たち」は、実際のところ「戦争のことを教えてもらえなかった」境遇にあったとはいえ「自分で学ぶことを後回しにしてきた」ともいえるのです。

◆近代史を学んでみる
「戦争を知らない大人たち」である戦後世代が、いまや日本のリーダーとなっている現代です。毎年訪れる終戦記念日に繰り返す「悲惨な戦争を二度と繰り返してはいけない」という心情的な議論だけでは、次世代へのメッセージとしては説得力に欠けると共に、緊迫した世界情勢には対応できない段階にきています。

昭和一桁世代の気概に代わるものを身につけようとすれば、まずは先の戦争についての「近代史」をいま一度学び直すこと。何故あんな悲惨で無謀な戦争に至ったか、「軍閥の暴走」と単純化する前に、なぜ国民が大政翼賛の空気に埋没し、総力戦に参加したのかという論点を検証すべきでしょう。今を「戦前」にしないためにも、過去の歴史のあやまちからしっかり学び、それを次世代に伝えていくことが肝要です。(了)


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