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第171話:修験道との繋がりを求めて(3/3)



◆修験道の歴史:
法螺貝を鳴らして山中を駆け巡る山伏による修験道の世界は、どのように成立してきたのでしょうか。詳しく紹介している成書は少ないようですが、五来重(仏教民俗学)や鈴木正崇(宗教民俗学)らの著書から紐解くと、その歴史的な流れは概略次のような文脈になります。

仏教が入る前には陰陽道なり道教なりの仙人といわれるような山中修行者が山を管理していたのが山伏の原型。平安初期には山岳仏教の真言宗や天台宗などの密教の影響を受け、平安後期には吉野や熊野で発展。鎌倉時代には役小角(えんのおづぬ)が開祖に祀り上げられ、室町時代後期には教義・思想・組織が整えられ教団化。江戸時代には京都の聖護院中心の「本山派(天台系)」と醍醐三宝院中心の「当山派(真言系)」に組織化された―という経緯です。

煎じ詰めれば、修験道は山への独自の意味づけを通して、神仙思想を中核とする道教の思想や技法、陰陽道の知識なども加えた古来の山の神霊信仰に、仏教(特に密教)を合わせた「権現信仰」とする神仏習合(仏教+修験+神道)として確立したこと。
そうした中で、修験(山伏)は、あくまでも仏教側(密教系の神宮寺)に身を置き、山中での実践行と、里に下りての民衆への救済を通して「仏と神を繋ぐ」存在だったといえます。

◆修験道の「身体知」
日本列島の70~80%は丘陵や山地からなっています。山はそれだけ日本の風土の根幹をなしているわけですが、さらに民俗学の世界では、山こそ日本の文化、芸術、宗教の源泉であるとみます。その一環として、重畳する山岳に囲まれる広大な領域に目を留め、その奥地に潜入して修験(山伏)の生態をつぶさに観察した記録を読むと、霊山への探索は日常の世界とは別個の、怪奇と魅力に富むフィールドワークであることが十分に伝わってきます。

山に入れば感覚は鋭敏になり、山から「ちから」をいただいて元気になれます。それを古くから体現していたのが修験(山伏)の世界です。自然を神や仏や菩薩そのもの、あるいは顕現とし、その中に分け入って一体となること、仏教で言えば「即身成仏」の境地を修験(山伏)は目指していたのです。大自然の「いのち」に触れ、共に「いのち」を共有する感覚や体験を通じて、身体に新たな「ちから」を宿す。その「ちから」を「験力(げんりき)」と呼びます。言いかえれば、大自然そのものと自己が二つで一つの世界になること、それが修験の極意といわれています。

修験の修行は山中での秘所への到達と秘儀の実践に重きを置き、その根幹をなすのが峰々を縦走して行場や拝所をめぐる「峰入り」と呼ばれる行です。自然の多次元的世界に没入する繊細な感性を持った修験(山伏)にとっては、文字の知識に頼るのではなく、実践と体験こそが重要であると考え、「峰入り」修行をできるだけ多く積み重ねること、所謂「身体知(体験知)」を重要とみなしていたのです。

東洋医学では、身体まるごとを、もう一つの「自然」とみなします。患者さんの身体という多次元的世界と対峙する治療家にとっても、感性を磨く上では「身体知」はもちろん大切なこと。かつて修験(山伏)であったわたしのご先祖さまと繋がったという意味合いを考えれば、そうした身体知の実践を積むことの大切さを教えられている気がするのです。



◆出羽三山の修験道
修験道の世界を体感したくて、8月下旬に「山の行」へと旅に出ました。今や鳥海修験は消滅しているなか、現存する出羽三山の修験道を訪ねてみたのです。

ここでひとつ説明をはさむと、明治の神仏分離以降は、出羽三山の修験道が神道系と仏教系の二つに分かれています。仏像が壊され寺社が神社に鞍替えするという徹底的な神道化の流れの中で、新たに出羽三山神社が中核となったわけです。一方仏教系の修験とは、旧来からの羽黒修験の神宮寺であった正善院が、わずかに命脈を保ち、修験道儀礼を維持して現代を生き抜いてきたといえます。

神道系修験道(羽黒派古修験道) ⇒ 出羽三山神社
仏教系修験道(羽黒山修験本宗) ⇒ 正善院/荒沢寺


地元の人々でさえも、今や神道系と仏教系の区別をはっきり認識できる人は数少ないと思います。神仏分離からすでに150年経った現在、後戻りはできないほどの歳月を重ねています。神道系と仏教系が共存しながら、羽黒の修験道をさらに積極的に文化遺産として活用していく時代を共に模索していくことの方がむしろ現実的なのかもしれません。

◆修験道の体験
本年8月下旬、出羽三山神社主催の「錬成修行道場」(2泊3日)に参加してきました。参加者は全国から集まった約40名、そのおよそ2/3は経験者で、わたしのような還暦過ぎの初心者はむしろ無謀と思われていたのかもしれません。

行中は小雨が降る中、白装束(行衣と袴と脚絆)を身に纏い、片手には金剛杖を頼りに、とにかく転ばぬように足元だけに意識を集中して歩きます。全体の行程は羽黒山の参道、月山8合目から月山山頂、そして月山山頂から湯殿山への下りです。特にこの湯殿山への下りは、途中鉄梯子を後ろ向きで降りるという難所もあり、踏破してみればふくらはぎがパンパンに張り、膝はガクガク笑うほどでした。

湯殿山では滝行を経験。秘所と言うべき滝までの道程は、すべらないように足袋に草鞋(わらじ)を履いての沢登り。滝に着くと裸足に草鞋、褌(ふんどし)と鉢巻だけの裸になり、道彦さん指導の下、神道の禊の儀式に則りひとりひとりが滝に入ります。頸と肩に叩きつける水圧は、まるで地球の重力を一身に受けとめるかの勢いです。それが1分たらずの時間とはいえ、なぜか身体がほかほか高揚してくる、当に「ちから」をいただいて、すっかり禊をした気分になりました。

2泊3日の「山の行」を通じて、かつて人里離れたこの地でひたすら大自然と対峙して修行を積んでいた修験のいた時代を想像もし、わずかながらも修験の世界を追体験ができました。
月山から湯殿山の山路をひたすら無心に歩いた末のこと。ふと見渡すと峰々の稜線に囲まれたその大自然の狭間にぽつんと置かれた自分がいました。それは、自分の「いのち」が自然の「いのち」に生かされている、と気づかされた瞬間でもありました。(了)

※五来重『山の宗教・修験道案内』角川文庫(平成20年)
※鈴木正崇『山岳信仰』中央公論新書(2015年)
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