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第178話:西郷隆盛と庄内と本間家と(1/2)



◆150年前の郷土史:
今年は明治維新から150年ということで、NHK大河ドラマでは『西郷どん』が放送されています。その西郷隆盛と庄内藩が深い関係にあることは、以前「第83話:司馬遼太郎と庄内」で紹介しました。庄内藩は戊辰戦争で降伏した藩であるのに、西郷隆盛の温情により、奥羽越列藩同盟を組む会津藩と真逆の好待遇を受けています。なぜ庄内藩だけが西郷によって特別扱いされたのか。その謎を追って150年前の郷土の歴史を振り返ります。

◆庄内藩について
庄内藩のエリアは現在の市町村でいえば、北から遊佐町・酒田市・庄内町・三川町・鶴岡市になります。庄内藩の歴史をざっくり説明すると、関ケ原の戦い(1600年)を境に庄内の勢力図は豊臣側の上杉氏から徳川側の最上氏に替わり、そこから庄内藩はスタートしたことになります。鶴岡には本丸の鶴ケ岡城(最上氏時代は大宝寺城/現在の鶴岡公園)、酒田には亀ヶ崎城(最上氏時代は東禅寺城/現在の酒田東高等学校)を置き、松嶺には支藩の松山藩がありました。特に、この慶長年間から酒田湊は北前船の寄港地として栄えました。その後最上家はお家騒動で改易され、庄内藩主は信州松代から移封された酒井家に替わり、以後、戊辰戦争時の第14代藩主酒井忠宝(ただみち)まで続きます。

◆酒田の本間家
そして無視できない存在が、庄内藩の財政を陰で支えていた酒田の豪商本間家です。「本間様には及びもせぬが、せめてなりたや殿様に」と謳われたほど大きな財力を誇っていました。近年分かってきたことですが、戊辰戦争時の本間家はプロシャとの交易を通して、実は武器のブローカーの役割をも担っていたのです。かといって本間家が「死の商人」にみなされることはなかったのも事実です。むしろ庶民からは「本間様」と慕われ続け、酒田の経済や文化の面、さらには防砂林などの環境保全に至るまで、酒井家への財政的な支援を通じて数々の功績をあげています。酒田の歴史は本間家を抜きに語れないこと。故に西郷と庄内藩の関わりの中でも、後述しますが本間家は陰の実力者として重要な役割を担っていたのです。

◆戊辰戦争の戦後処理
戊辰戦争での庄内藩は、奥羽越列藩同盟(会津藩・長岡藩・米沢藩・仙台藩など)のなかで最後に降伏した藩でした。会津藩や長岡藩が悲惨な状況下で降伏していった中で、庄内藩は攻勢を示しながら、米沢藩家老・千坂太郎左衛門の説得もあり、ついに恭順の道を選んだのです。庄内藩はそもそも譜代親藩で朝敵の立場にあり、当然にして酒井家は新政府軍により厳しい処分が下ることを覚悟していたのです。ところが、西郷の指示を受けた黒田清隆により、温情をもって無血開城の処遇を受けるのです。

版籍奉還した藩主たちは、一旦お家断絶した後、地方に転封されるか、もしくは論功行賞により華族として東京へ移住のどちらかなのですが、酒井の殿様は庄内藩知事に、松嶺の殿様は松山藩知事に命じられ、なんと庄内に留まることを許されたのです。さらに酒井家の第13代と第14代の殿様は西郷の後援によりドイツに留学までしています。当時旧藩の関係者がそのまま知事に留まるケースは薩摩藩と庄内藩しかなかったそうです。

こうした一連の待遇をみても、西郷隆盛が庄内藩に温情を以て寛大な処置をしたことがわかります。悲劇的な末路に至った会津藩のように、薩長に対する恨み辛みを語り継ぐという風土にはならなかった、むしろ官軍側の西郷隆盛を崇拝する気風を築いた庄内藩は極めて異例とも言える藩なのです。

◆西郷隆盛崇拝の風土
西郷隆盛の人柄に惚れこんだ酒井の殿様と庄内藩士78名が鹿児島に留学して、西郷語録を庄内藩士が編纂し、それが今でも岩波文庫にもなっている『西郷南洲翁遺訓』であることは承知の通りです。庄内藩の受入れ側としての代表が、中老の菅実秀(すが・さねひで)翁。西郷と菅の関係が美談として語られ、現代においても酒田に西郷を祀った「南洲神社」(財団法人)を建立されたように、西郷隆盛を崇拝する庄内人の気風が(特に戦前世代の中に)脈々と続いたといえます。

たとえば戦前であれば、『西郷南洲翁遺訓』をそれこそ教養の書として愛読された時代がありました。庄内出身者である石原莞爾(満州事変を主導した軍人)、大川周明(イスラム研究家。東京裁判で民間人として唯一A級戦犯)、阿部次郎(「三太郎の日記」の作者)たちは、みな『西郷南洲翁遺訓』を通して西郷隆盛から多大な影響を受けたと述べています。

◆戦後世代だからみえるもの
一方、わたしたち戦後生まれの庄内人は、西郷と庄内藩の歴史的な繋がりを等しく理解しているわけではありません。戦前の世代がもつような西郷に対する認識と思い入れはむしろ皆無に等しいでしょう。戦後教育を受けたわたしたちは、振り返れば中学でも高校でも(不思議なことですが)郷土の歴史をまとまった形で教わることもなく、さらには戦前、愛国主義者によって西郷が祀り上げられたことから、終戦後は西郷の評価が全否定されたという経緯もあり、結局、西郷に関わる郷土史については(教育の場では)全く学ぶ機会がなかったのです。

歴史には表の歴史と裏の歴史があり、裏の歴史にこそ真実が隠されているものです。例外なく戊辰戦争の戦後処理にも裏の歴史が存在していたことを後世伝えられています。ところが庄内にはそれを語ることをよしとしない空気が戦前からあり、現代においてもそのまま引き摺っている傾向があるようです。その「空気」とは、はっきり言えば西郷隆盛崇拝に偏り過ぎる庄内の気風そのものです。わたしは幕末史が好きなひとりの庄内人ですが、故郷を離れて故郷を俯瞰できる自由な立場にあるからこそ、今一度、西郷隆盛と庄内にみえるもう一つの風景を捉えてみたいと思います。(つづく)
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平岡篤頼文庫 第九回講演会

演題 「先生、芥川賞とりました!」

  若竹千佐子 × 根本昌夫  対談
  日時 : 2018年8月5日(日) 午後2時
  場所 : 平岡篤頼文庫(軽井沢町追分)
  HP: http://www.hiraokatokuyoshi.com/
  入場料無料 【要予約】

ご予約方法
参加者ご氏名・ご住所・ご連絡先電話番号をお書き添えの上、
メールまたはFAXにてお申し込みください。
e-mail : bunkohiraoka@mild.ocn.ne.jp
Fax 03-5702-5981

ご予約締切 8月3日(金)17:00
お問い合わせ用電話
◎(7/31まで) 03-3781-7608
◎(8/1~8/5) 0267-45-1907


岩竹千佐子
1954年 岩手県遠野市生まれ。
岩手大学教育学部卒業。
55歳のとき夫の死をきっかけに根本昌夫氏主催の小説講座に通い始める。
受講中に書いた『おらおらでひとりいぐも』で第54回文藝賞、第158回芥川賞受賞。
現在64歳。



根本昌夫
早稲田大学卒業後『海燕』編集長、『野生時代』編集長を歴任。
小川洋子、角田光代、よしもとばななをデビュ-させるなど新人発掘に定評があり、
現在、大学及びカルチャーセンター等で小説教室の講座を担当。
当初より当文庫講演会の企画を手がけられています。