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第181話:華厳経と鍼灸の関係



◆はじめに:
奈良の都に聖武天皇が建立した東大寺の大仏(写真)は、毘盧舎那仏(びるしゃなぶつ)と呼ばれ、「華厳経」が説くところの「仏」を意味しています。
この経典「華厳経」は難解な内容を含みながらも哲学的思惟に富み、仏教のみならず、たとえば文学・哲学・理論物理学の世界にまで多大な影響を与えていると指摘されています。
そこで今回のテーマは、「華厳経と鍼灸の関係」と題して、伝統的鍼灸医学も実は「華厳経」から影響を受けていたことを(私なりの推論で以て)紹介してみます。

◆孫思邈という医家
その推論の鍵を握る人物が、中国唐代の孫思邈(そんしばく)です。鍼灸を学ばれた方ならどなたでも知っている医家でしょう。医神と謳われた孫思邈の功績は、現存する最古の医学書『備急千金要方30巻』(略称『千金要方』)を著したこと。「備急」とは救急という意味からして一見「救急書」の体裁ですが、全体構成からみれば、薬物や本草学の概説・脈証・鍼法・養生術・房中術、そして専門医家のための医学倫理を説く篇を含むなど、いわば医学全書というほどの完成度になっています。

その孫思邈は生存期間が(581?~682?)と不明な点はありますが、唐が興ってまもなくの頃に活躍したことは確かなこと。一般的に知られる人物像は、「道士・孫思邈」と称されるように、神仙術にも精通した道教の医家というイメージです。
ところが、孫思邈には道教のみならず、実は仏教にも精通していたことが仏教系の解説本から窺い知ることができます。

◆孫思邈の意外性
それは「華厳経」について鎌田茂雄による解説を読んでいたときのことです。―中国唐代の医家である孫思邈は仏教の「華厳経」にとても造詣が深かった-という記述が偶然にも目に留まりました。唐の時代は道教・仏教・儒教の三教が交流した時代だったとはいえ、孫思邈が道教だけではなく仏教の顔をもっていたというのは意外なことでした。さらに驚いたのは、中国華厳宗の第三祖と称されている法蔵(643~712)という高僧が、なぜか孫思邈の伝記を著していたのです。ちなみに法蔵は則天武后(唐が太宗・高宗と続いた後、夫高宗と子を殺して権力を奪い、唐代に代わって武周王朝をつくった女傑)の時代に活躍した人物。

その法蔵が著した孫思邈の伝記には、太宗から「諸経の中でいちばん大切なのは何か」と問われたのに答えて、孫思邈は「華厳経だ」と言ったという逸話が遺されているのです。そのことは「道士の孫思邈でさえも華厳をやっているぞ」と強調するために書かれたという見かたもできますが、むしろ孫思邈の華厳経に対する造詣の深さを、法蔵が高く評価していたと理解すべきでしょう。孫思邈が遺した著書には、華厳経に関して触れた具体的な箇所はないと言われていますが、思想的背景に隠された部分として華厳経的世界観に今一度着眼することで、幅広い東洋思想の叡智に溢れた医神・孫思邈の姿が、また新たな様相として浮かび上がるのではないかと思うのです。

◆「華厳経」が説く重要な世界観「一即多、多即一」
華厳経思想が説く世界観にはいくつかの特長があります。孫思邈が医家としての立場から特に興味をもったのは(理由は後述しますが)「一と一切」「小と大」はひとつであるとする世界観であることは十分に想像できます。
そのことに深く関連した経典「華厳経」の一節を紹介すると、

「蓮華蔵世界海の内において 一一の微塵(みじん)の中に 一切の法界を見る」
(訳:蓮華蔵世界においては、一つ一つの微細なものにも真実の世界すべてを見ることができる。)
一つ一つの微細なものに着眼すれば、そこにはすべての存在世界が凝縮されている!とする物の見方です。言いかえれば、どんなに小さなものであっても、世界全体を形づける上では、等しく尊い価値があるということです。ここで大事な点は冒頭の「蓮華蔵世界」という箇所です。「蓮華蔵世界」とは悟りを開いた場所=「浄土」のことですが、華厳経がいう浄土は、阿弥陀経がいう西方浄土のような遠い世界ではなくて、「十方の中」という現実世界のど真ん中にある!ということ。つまり、この真理は「現実世界」のことであるが、人はそれに気づいていないと説いているのです。

「微細(みさい)世界 即ち 是れ大世界なるを、
大世界 即ち 是れ微細世界なるを、・・・知らんと欲す」
(訳:悟りへの心を起こした菩薩は、微小の世界が広大な世界そのものであり、広大な世界は微小な世界であることを知ろうと願うのだ。)
一滴の雫が大宇宙を映しているように、小さなものと全体が実は等しい存在であることを説いています。これと先の「微細なものにすべての存在世界が凝縮されている」と併せて「一即多、多即一」と表し、「一と一切」「小と大」はひとつであるとする華厳経が説く重要な世界観が完結します。

◆「部分と全体」論の源流
華厳経が説くこの「一即多、多即一」という理念は、実は荘子が説く「万物斉同(ばんぶつせいどう)」の思想に近似しています。(これをいち早く指摘したのが、哲学者の井筒俊彦(著書『意識と本質』)でした。)
荘子の「万物斉同」とは、すべての対立と矛盾をこえた理想の世界(道枢)を実現すれば、大もまた小であり、長もまた短であり、個も普遍であるとする考え方です。
つまり、華厳経の「一即多、多即一」も、荘子の「万物斉同」も、東洋思想では共に「部分」は「全体」であるとする「部分と全体」論の源流となっているのです。
◎参照記事➡第146話:「部分と全体」論の背景

◆孫思邈の解釈
荘子(BC369~BC286推定)は春秋戦国時代の思想家で、道教の始祖のひとりとされる人物です。唐代に活躍した道士である孫思邈は、当然にして荘子の思想に精通し、「万物斉同」の理想郷を念頭に置きながら、同時代に隆盛を極めてきた華厳経の重要な世界観のひとつである「一即多、多即一」にも大いに関心を示したのは当然の軌跡であろうと想像できます。

医家である孫思邈の関心事は、医療における心身の捉え方です。人をまるごと一つの「自然」とみなし、季節の移り変わりを伴う「大自然」との感応関係で心身を捉える。動脈拍動部からの部分情報(脈象)から身体全体の医療情報を窺う。体表に現れた部分情報(ツボの反応)から経絡臓腑というネットワークを通じて身体全体の医療情報を窺う。これらは、すべて「部分と全体」論を基調とした東洋医学独特の心身の捉え方です。
孫思邈にとって、その理論的背景にはまず荘子の「万物斉同」があり、さらに華厳経の「一即多、多即一」を体得することで、心身へのアプローチ法が確信に変わっていったのではないかと想像しています。(了)

※「華厳経」から影響を受けた著名人
木村清孝によれば、日本では宮澤賢治(『インドラの網』)や哲学者の井筒俊彦(『意識と本質』)、アメリカでは理論物理学者のF・カプラ(『The Tao Of Physics(タオ自然学)』)やローレンス・クラウス(『A Universe from Nothing (宇宙が始まる前には何があったのか?)』)を挙げている。
※木村清孝著『華厳経入門』角川ソフィア文庫(2015年)
※鎌田茂雄・上山春平『無限の世界観<華厳>』角川ソフィア文庫(平成8年)

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