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第199話:忘れられた詩人・大木惇夫のこと



表題の大木惇夫(1895~1977)とは北原白秋門下の詩人。年配の方であれば東海林太郎の『国境の町』(昭和9年)、若い人であれば混声合唱曲でお馴染みの『大地讃頌』(昭和37年)を作詞した方と言えばお分かりかも。でもなんといっても、戦時中に国の要請とはいえ軍歌や戦争詩(『戦友別盃の歌』が有名)を量産したために、戦後は社会から批判と排除を受けた詩人ということです。

戦後は、心臓神経症のほかに神経衰弱でやせ細り、再生の光輝く文化人とは全く無縁に、家族と離れて隠れ家に身を潜めて暮らしていたそうです。一方で、サトウハチロウ(『長崎の鐘』)や西條八十(『青い山脈』)が、歌謡曲の人気作詞家へと変貌したことを考えれば、時代の流れに乗じることなく、重い自省の中で、純粋詩の創作に拘り続けた彼の生き方は、不器用ではありながらも、むしろ誠実さを感じるほどです。

とはいえ、その誠実さの陰で、家族は大変な境遇を強いられたようです。
『忘れられた詩人の伝記』は次女である宮田毬栄(文芸誌『海』元編集長)により、そうした大木惇夫の軌跡を克明に綴っています。上下2段組の480頁に及ぶ伝記は、本来の枠を超えて、壮絶な家族史の様相に変わり「父の人生があまりにも不運に取りつかれ、私たち家族がそれに巻き込まれ、理不尽な生活を強いられた」とあります。

ただひとつ、救いだったのは、生涯の代表作である『大地讃頌』を評価した行でした。
「戦争の悲惨、愚劣を身をもって経験した父は、いかなる戦争をも受け容れようとしなかった。『大地讃頌』は父の苦悩と悔悟が育てた大いなる愛の歌である」とあります。
名曲『大地讃頌』のなかに大木惇夫が生きている、そんな思いで今度聴いてみよう。


※宮田毬栄著『忘れられた詩人の伝記』中央公論新社(2015年)
※大木惇夫に興味をもったのは、母校の校歌の作詞者が大地讃頌の作詞者と同じであると気づいたのがきっかけでした。大木は戦後、生活のためとはいえ、全国で約60校の校歌をも手掛けています。
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