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第201話:古井由吉『われもまた天に』を読んで



今や現代文学の最高峰とまで評価されている作家・古井由吉(享年82)が亡くなったのが昨年の2020年2月。一昨年来、『新潮』に発表してきた連作の3作目が、昨年の5月号に未完のまま遺稿として発表された。そんな一連の経緯を知らないまま、その2作目の短編『われもまた天に』が掲載された『新潮』2019年9月号を、偶然にもブックオフで見つけ、流れに赴くまま、初めての体験となる古井文学の世界へと入り込んでみた。

その『われもまた天に』は驚いた。というのは、まるで現在の新型コロナウイルスの感染拡大を予見していたかのように、古来の「疫病」について言及していた。古井由吉がこの短編を執筆した時期は一昨年の4月~5月の改元の頃。折からの「寒の戻り」というべき天候不順が続き「冬が暖かく春になり冷え込むと、とかく疫病の流行を見る、と古い漢方では考えられていたようだ。」と東洋の伝統医学の知見で、近々来るであろう「疫病」を予見していたのだ。

「疫病」とはウイルスや細菌で感染するのではない。「天の癘気(れいき)のもとで人に一斉に、重い軽いはあっても(中略)ひとしく起こる危機・・」とあり、そもそも「疫病」は「天」から等しく下される「危機」であり、あくまで「天」と「人」の関係の問題だと言うのだ。

亡くなる1年前、改元の頃の古井由吉はといえば、老いと病を抱えながら、どんな細やかな天候の異常さでさえも心身まるごとで感受していたに違いない。だからこそ、「天(自然)」と「人」の深淵に及ぶほどの濃密な文体として古井文学が成立しているのは、きっと自然との照応をとことん試みたからなのだろう。自然と人の境界線がない世界だけに、読み込んで深みにはまる魔力がこの作品にある。

蛇足ながら、もうひとつ驚いたのが、森鴎外からの引用である。
古井由吉は老いていく上で不可欠な「天」と「人」の理について、明代の医学者・李挺(りてい)の言葉を引用している。それが実は森鴎外の史伝のなかの『伊沢蘭軒』からの孫引きなのだ。そこで『伊沢蘭軒』を調べてみると森鴎外の原文は漢文のまま。つまり古井由吉は漢文を読み下しにして紹介していることになる。その経緯を「三読してどうも自分の頭には大きすぎると通り過ぎかけたところで、なにがし心残りがしたようで、書き留めておいた」とある。これこそ森鴎外を深く愛読している証左であろう。

このことは小説に直接関係のない、あくまでも個人的な興味だけど、最近、町田康までもが毎日新聞に森鴎外を論じていた。明治の文豪・森鴎外は現代の作家に未だ大きな影響を与えている存在だということ。恐るべしは森鴎外なのだ!と、古井由吉の文学からもそれが十分窺えたのだ。(了)
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