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第204話:検証2015年の安倍首相と吉田松陰



◆安倍首相の施政方針演説
2015年(平成27年)といえば、安倍首相が終戦記念日に戦後70年談話を表明するという年でした。安倍首相はこの年の施政方針演説に、吉田松陰が唱えた「知行合一」という陽明学の言葉を引用して「この国会に求められていることは、単なる批判の応酬ではありません。『行動』です」と声高に演説し、大多数の与党議員の喝采を浴びたのです。

◆危険な空気
この演説を聴いて、戦前に何度も耳にした危険な空気を感じたと吐露したのが今年亡くなった半藤一利です。半藤は幕末の尊王攘夷というムーブメントの中で、ひときわナショナリスティックな吉田松陰の「危険な思想性」をすでに見抜いていました。吉田松陰が放った危険な火種は、明治維新だけではなく昭和20年の敗戦にまで影響を及ぼした、と次のように糾弾しています。

「松陰の門下生とその思想の流れを汲むものたちによってつくられた国家が、松陰の教えを忠実に実現せんとアジアの諸国へ怒涛の進撃をし、それが仇となってかえって国を亡ぼしてしまった。」(『賊軍の昭和史』より)

吉田松陰は松下村塾をつくり明治の元勲を育てたではないか、と多くの方が思われるでしょう。しかし、松陰の思想性について問われたときに、はたしてどれだけの方が正確に答えられるでしょうか。何が問題かを単刀直入に言えば、西洋の列強諸国を攘夷とみなすだけではなく、アジアの近隣諸国を蔑視する思想性にあるということです。

◆松陰の「朝鮮論」
実はそのことを既に指摘していたのが、東大大学院教授の加藤陽子(日本近現代史)でした。半藤が言う「アジアの諸国への怒涛の進撃」を、加藤は「対外膨張論」と表現しています。その「対外膨張論」の契機となったのが明治の征韓論であり、そこで芽生えた皇国史観や朝鮮人への差別意識というのは、実は幕末の吉田松陰による「朝鮮論」がその背景にあると論述しています。

「松陰は、列強との交易で失った損害を朝鮮や満州で償うべきであると論じつつ、国体の優秀性を皇統の永続性に見出し、天皇親政がおこなわれていた古代における三韓朝貢という理想のイメージに基づいて、朝鮮服属を日本本来のあるべき姿として描き出しています。」 (『戦争の日本近現代史』より)

ここで説明を加えると、「国体の優秀性を皇統の永続性に見出し」とは、いわゆる「水戸学」と言われるところの『尊王攘夷』思想です。「水戸学」は「日本は神の国」と謳う水戸光圀編纂の『大日本史』を産み、教育勅語で使われた「国体」という概念を水戸藩士の会沢正志斎によって提唱されています。長州の吉田松陰はその会沢正志斎に直接会い、思想的に深い感銘を受けたと言われています。

次に「天皇親政がおこなわれていた古代における三韓朝貢」とは、神功皇后率いる日本が三韓征伐して朝鮮を統一したとき(実際は『日本書紀』に書かれた架空の話だった)は、日本が宗主国で朝鮮は属国という関係だったのだから、幕府が倒れた後の王政復古(つまり明治維新)となれば、当然朝鮮は日本の属国であるという一方的な論理なのです。

このような「朝鮮服属論」は、松陰の薫陶を受けた明治の元勲らに継承され、後の「脱亜入欧」や「日韓併合」にも色濃く影響を与えていきました。振り返れば、江戸の末期まで朝鮮と文化交流を果たしてきた「朝鮮通信使」を、新井白石がもう止めようと建白したことが、結果的に日本人が朝鮮人を尊敬の対象から外した契機だといわれています。さらに追い打ちをかけるように、日本人が朝鮮人を差別の対象にし始めたのが、吉田松陰の「朝鮮論」であったのです。

◆大河ドラマ『花燃ゆ』の陰で
ここで2015年に話を戻すと、実はこの年の大河ドラマが吉田松陰の妹を主役にした『花燃ゆ』でした。しかも当時のNHK会長は「政府が右と言えばNHKが左と言うわけにはいかないでしょう」と安倍さんへの恭順ぶりを誓ったあの籾井会長でした。NHKが松陰の大河ドラマでお膳立てをして、安倍首相が松陰の言葉を施政方針演説に引用するという一連の流れは、明らかに政治的思惑を感じざるを得ないのです。そのことを意図的に仕組んだかはともかく、結果的に、一国の首相が自らの歴史観を披歴するだけでなく、日韓関係に軋轢を生じる危険性を孕む歴史修正主義者の姿勢を表明したことに他ならないのです。

◆2020年9月の社会問題
昨年、日本学術会議が推薦した内の6名を、菅義偉内閣は任命拒否をして大きな社会問題になりました。安倍内閣を引き継いだ菅内閣は、未だに6名の任命拒否の理由を明らかにしていません。そのひとりである加藤陽子東大大学院教授は、改憲や特定秘密保護法に反対したことが、任命拒否の理由であろうと憶測されていますが、憲法に保障された「学問の自由」への不当な介入であることは明白です。最近、論考が富に目立つ「反薩長史観」の幕末史を興味深く紐解いていくと、加藤教授の日本近現代史からみた吉田松陰の評価が、安倍首相がもつ歴史認識とそぐわないであろうことは如実に理解でき、きっとそのことが任命拒否の理由のひとつになっているのだろうと推測しているところです。(了)

※加藤陽子『戦争の日本近現代史』講談社現代新書(2002年)
※中村彰彦/山内昌之『黒船以降』東洋経済新報社(2009年)
※半藤一利/保阪正康『賊軍の昭和史』東洋経済新報社(2015年)
※原田伊織『明治維新という過ち』毎日ワンズ(2015年)
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