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第100話:森敦『月山』の背景(1/3)



◆ふる里の「月山」
ふる里の酒田では、日本海を背にして立てば、北東の出羽富士「鳥海山」に並び、南東に霊峰「月山」が望めます。月山はこれに湯殿山、羽黒山を加えて「出羽三山」と称し、古くから参詣者で賑わう信仰の山でした。子どものころを思い返すと、春になれば修験道の山伏が出羽三山から降りて街にくり出し、「山の勧進ボォ~」と法螺貝を鳴らしては家々を一軒一軒まわり、小さな「ひとかた(人形)」を置いていきました。「無病息災になるから」と母に教えられるままに、それに息を吹きかけたことを今でも覚えています。

子どもの眼からみても、月山はどことなく陰気な山に映っていました。日常の山といえば、虚空にそびえる陽の山:鳥海山でこと足りていて、控えめなアスピーテ(楯状火山)の陰の山:月山にそれほど興味を持つ必要はなかったのかもしれません。それが齢を重ね、次第に「月山」に関心が傾いていったのは、仏教や神道について興味をもつようになったことと、とりわけ『月山』を代表とする森敦の作品群に触れたことによります。

◆『月山』の舞台「注連寺」
小説『月山』の魅力とはいったいなんでしょうか。それは、異邦人としての作者・森敦が垣間見た信仰の山「月山」の宗教的世界を、余すところなく表現したその秀逸な語りにあると思います。

「月山は月山と呼ばれるゆえんを知ろうとする者にはその本然(ほんねん)の姿を見せず、本然の姿を見ようとする者には月山と呼ばれるゆえんを語ろうとしないのです」

その語りの中に描かれている舞台が、月山の山ふところなる「注連寺」です。正式には真言宗智山派の湯殿山注連寺といいます。注連寺はいまでこそ天井画や映画『おくりびと』のロケ地などで有名になりましたが、森敦が1年を過ごした昭和26年の注連寺は、荒廃しきった寺だったといいます。実は、注連寺にまつわる栄枯盛衰の歴史が、そのまま出羽三山の隠れた変遷の歴史でもあるのです。そうしたいきさつを紹介してみます。

◆廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の歴史
注連寺の前には鶴岡から湯殿山を結ぶ参詣街道「六十里越街道(ろくじゅうりごえかいどう)」があります。参詣者はみな注連寺か、少し先にある大日坊に泊まり、湯殿山参詣の足掛かりにしたそうです。しかし、参詣者で賑わっていた時代は明治初年までのこと。つまり明治政府がとった「神仏混淆廃止の令」を境に、三山にあった主な寺は追放され神社が台頭します。

結果、「大日如来・湯殿山大権現」を奉っていた真言宗の寺「湯殿山」は、神道の「湯殿山神社」となり、かわって「大山祇神(おおやまつみのかみ)・大己貴命(おおなむちのみこと)・少彦名命(すくなびこなのかみ)」などの祭神が奉られます。さらに僧侶は解任後に還俗(げんぞく)させられ、寺に所属していた修験(山伏)は神道に組み込まれたのです。その徹底した廃仏毀釈ぶりは、歴史資料にも「月山への登山道にあった夥しい石仏を、人足に命じて谷へ突き落とさせた」とあるくらいでした。

◆神と仏の共存
現在は「出羽三山神社」が統括していることから、出羽三山は「神道の山」というイメージで捉えられやすいのですが、実際のところ「出羽三山神社」は明治に入って建立した神社なのです。それ以前の出羽三山は、むしろ真言密教(江戸初期からは羽黒山のみが天台密教に改宗)を奉じて、しかも、山岳における八百万(やおよろず)の神々を信ずる修験道をも取り込み、いわゆる「神仏習合」の世界を千年の永きにわたり形成していたのです。

今や地元の人でさえもが、こうした事情を知る人が少ないのは不思議なことです。強引とも思える明治の廃仏毀釈は、国家神道による宗教弾圧であったとはいえ、それは天皇に微妙に絡む問題でもあり、これまで歴史教育のなかでも深く掘り下げてこなかったという背景が、当然のごとくにあったのだと思います。

◆小説『月山』からみえるもの
注連寺はこのような変遷の中で、元々4つあった湯殿山の別当寺(神宮寺)のひとつであり、廃仏毀釈の荒波の中で、からくも生き残った名刹です。かつては、関東地方にまで広まっていた「湯殿山信仰」の重要な基点となったこの注連寺は、出羽三山挙げて真言密教を奉じていた頃の代表的寺社だったということです。

煩雑な歴史をざっくり話したつもりでも、つい長々と説明してしましたが、要は、森敦が注連寺を小説『月山』の舞台においたその意味合いとは、ふたつあると考えています。ひとつは、「月山」が密教を中心とした「神仏習合」だった時代への回帰であり、もうひとつは「月山」をとりまく「マンダラの世界」を描くことにあったと、わたしはみています。

次回は、その「マンダラの世界」について紹介してみます。(つづく)

※森敦著『月山・鳥海山』文春文庫(79年)
※森敦著『マンダラ紀行』ちくま文庫(89年)
※安丸良夫著『神々の明治維新(神仏分離と廃仏毀釈)』岩波新書(79年)
明治初年の「神仏混淆廃止の令」による廃仏毀釈の実態を地域ごとにまとめている。
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