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第101話:森敦『月山』の背景(2/3)



◆曼荼羅(マンダラ)の世界  
森敦は対談集の中で、「小説『月山』は金剛界曼荼羅を描いたものである」と述べています。この場合の「金剛界曼荼羅」とは、真言密教における「曼荼羅の世界」を見据えてのこと。森敦は仏教哲学、とりわけ真言密教や華厳の思想に造詣が深く、そうした世界観を多くの作品にちりばめています。ここはまず、「曼荼羅」について簡単に説明します。

冒頭の写真は東寺にある「両部の曼荼羅」。真言宗を開いた空海が唐から請来したもので、左が「金剛界曼荼羅」、右が「胎蔵曼荼羅」、2つ合わせて「両部の曼荼羅」と呼んでいます。曼荼羅には、四角・三角・円などを組み合わせた幾何学的模様が並び、形と色が「宇宙」の本質とつながり、それぞれの意味を発信して「宇宙」を象徴しています。
具体的には、「金剛界曼荼羅」が「小宇宙」であり「胎蔵曼荼羅」は「大宇宙」を象徴しています。

「金剛界曼荼羅」=小宇宙(ミクロコスモス)
「胎蔵曼荼羅」 =大宇宙(マクロコスモス)

◆『月山』における「曼荼羅の世界」
小説『月山』は、古刹「注連寺」を舞台に、それを取り巻く月山の自然を含めた「宇宙」を「曼荼羅の世界」に投影しています。具体的には、注連寺の日常が「金剛界曼荼羅(小宇宙)」に対応し、月山周縁の自然を「胎蔵曼荼羅(大宇宙)」に見立てています。

「金剛界曼荼羅」=小宇宙=「注連寺」
「胎蔵曼荼羅」 =大宇宙=「月山周縁の自然」

但し、これは単に二項対立の関係ではなくて、「入れ子構造」の関係になっています。つまり「宇宙」の中には「宇宙」があり、さらにその「宇宙」の中にも「宇宙」がある。かくて無限に「宇宙」があって、ついに塵の中に至ってもやっぱり「宇宙」があるという図式です。
すると小説『月山』では、月山周縁の自然という「宇宙」の中には大網(おおあみ)という地域の「宇宙」があって、その中に七五三掛(しめかけ)という村の「宇宙」があり、更にその中に注連寺という寺の「宇宙」。そして究極は主人公が和紙で作った蚊帳の中の小さな「宇宙」に及び、まるで無限連鎖の宇宙の拡がりを「曼荼羅の世界」として表現しているのです。

「蚊帳の中」 ⊂ 「注連寺」 ⊂ 「七五三掛」 ⊂ 「大網」 ⊂ 「月山周縁の自然」
「金剛界曼荼羅(小宇宙)」 ⊂ ⊂ ⊂ ⊂ ⊂ ⊂ ⊂ ⊂ 「胎蔵曼荼羅(大宇宙)」

こうして「曼荼羅の世界」の中心核を「小宇宙」である「注連寺」に置いていることから、森敦が説く「小説『月山』は金剛界曼荼羅を描いたものである」となるのです。

◆世俗的な「小宇宙」から「大宇宙」へ
面白いのは、中心的舞台である「注連寺」が真言密教の聖域である湯殿山の古刹でありながら、小説で展開される日常は極めて世俗的な些事ばかりなこと。出入りするカラス(ドブロク買い)やヤッコ(乞食)や、富山(薬売り)が関わり、寺の「じさま」が語る偽坊主の不正ぶりとか、村の「ばさま」が語るうわさ話などのように、世俗的な話が延々と続きます。

このことは、たぶん真言密教の本質に関係しているからでしょう。世俗的なことや人間がもつ煩悩や欲望に対して、もっとも真正面から向き合っているのが真言密教といわれています。また、空海は、俗と非俗(聖)という一見相反する二面をあわせもち、それらを見事に両立させた不思議な人物だといわれ、そこに普く「弘法大師」として慕われ続けた理由があります。つまり真言密教は、世俗的なことにむしろ「生命のちから」を認めているということです。

従って「注連寺」が描く「金剛界曼荼羅」の、更なる中心に当たる「蚊帳の中の小宇宙」からは、「生命のちから」を放散して、ベクトルは月山周縁の自然が描く「胎蔵曼荼羅」へと向かいます。というか、小宇宙は大宇宙と連続した関係、あるいは感応する関係にあるということです。
その「胎蔵曼荼羅」とは、

山の地形から「臥牛山」と呼ばれ、臥した牛の北に向けて垂れた首を「羽黒山」、その背にあたる頂を「月山」、尻に至って太ももと腹の間の隠所(かくしどころ)とみられるあたりを「湯殿山」といい、これらを出羽三山と称するのですが、遠くから山を眺めると、三山といっても月山ただ一つの山の謂いです。

そして裾野の延長に鳥海山が対峙。それらを鳥瞰すれば庄内地方全体を包括する大宇宙へと拡がります。このように、森敦の小説『月山』は「曼荼羅」が織りなす「宇宙小説」であるといえるのです。
                                (つづく)


※森敦著『月山・鳥海山』文春文庫(79年)
※森敦著『マンダラ紀行』ちくま文庫(89年)
※森敦対談集『一即一切、一切即一』法蔵館(昭和63年)
対談の中で瀬戸内寂聴が、森敦の小説を「宇宙小説」と表していたのが印象的。
※松長有慶著『密教』岩波新書(91年)
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