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第104話:シュタイナーとオカルト



◆シュタイナーの世界
気になる存在であるにもかかわらず、なかなか正体がつかみにくい人物として、ルドルフ・シュタイナー(1861~1925)がいます。シュタイナーは旧オーストリア帝国のクラリエヴェク(現在のクロアチア)出身の神秘思想家で、ドイツのワイマールやベルリンで活躍し、人智学(アントロポゾフィー)を創始した人物です。しかも驚くほどに多種多様な活動―教育、医学、農業、政治、キリスト者共同体、オイリュトミー、言語訓練など―に従事し多くの業績を残しています。

一般にシュタイナーといえば「シュタイナー教育」が有名で、彼の教育思想と実践的方法論をとりいれた幼児教育は「シュタイナー学校」として日本でも知られています。
一方「シュタイナー医学」は、最近日本では「シュタイナー」の冠にかえて「アントロポゾフィー医学」と呼ばれています。この医学は病気を診るときに身体の「部分」を診るのではなくて、生きた有機体としての身体「全体」を捉えたときに初めて全てが理解できる―とする「全体論(ホリズム)」の原理に則しています。そこには、身体「全体」の気の流れを診る「鍼灸治療」と共通した世界観があるようです。

これら多種多様な世界の根底にあるのが、人智学(アントロポゾフィー)です。ところがシュタイナーの思想にふれる初学の者にとっては、人智学として説かれる神秘思想(オカルト)に戸惑ってしまうのです。「エーテル体とアストラル体」とか「チャクラが開く」といった話はもちろんのこと、ほとんど荒唐無稽な「宇宙進化の物語」などに至っては懐疑的になってしまいます。それに懲りてシュタイナーに対する興味に蓋をしてしまう人もいれば、それはそれでとばかりに神秘思想(オカルト)を覆い隠したまま、差し障りのない所だけの「シュタイナー」として無理やり受容する人もいるようです。

◆シュタイナーを理解するためには
こうした「戸惑い」の原因は明らかにシュタイナーのオカルト的な側面にあります。
かくいうわたしも、シュタイナーの著作をはじめて読んだときは、とにかく饒舌な語りで埋め尽くされたオカルトの内容がすこしも頭に入ってこず、それは彼の独特な文体のせいなのか、はたまた翻訳に問題があるのかよくわからないまま、結局彼の本を途中で投げ出したものです。

ただ、そうした経験をしながらもシュタイナーに再び興味のベクトルが向き始めたのは、コリン・ウイルソンと小杉英了がそれぞれ著した2冊の解説本を読んだことがきっかけでした。そこで分かったことは、シュタイナーを理解するには、オカルトこそが彼の思想の根幹(=本道)であることをまずは認識すること。併せてオカルトに真正面から向き合い、オカルトについて正しく理解することでした。

◆オカルトの本当の意味
『人智学』では「三分節論」といって、人間は「体」と「魂」と「霊」とからなる存在である―としています。たとえばこの3つの違いを説明すると、花を見て色とか匂いを感じるのは五感を伴う「体」であり、その美しさに感動して揺さぶられるのが「魂」、そして「霊」は「魂」を動かす力のことを言い、宗教的自覚、つまり深い無意識の領域で人間の生命の心髄にふれて自覚をさせてくれるものです。この場合の「霊」はドイツ語で「ガイスト」フランス語で「エスプリ」英語で「スピリット」と訳せます。ここで大事なことは、シュタイナーの思想とは、この「霊」そのもので成り立つ「内面世界」を、より追究した哲学であるということです。

【人智学】 (人間)=「体」+「魂」+「霊」

一方、正統キリスト教会を中心としたヨーロッパの精神史を振り返ると、西暦869年のコンスタィノポリス教会会議にて、三位一体論(神・キリスト・聖霊)をめぐる聖霊論争の中で、個々の人間と霊的なものとの直接的な結びつきが否定され、人間はただ、使徒の系譜に立つ教会を通して「聖霊」を受けるときにのみ霊的なものと結びつく、という教義が確立されてしまったのです。つまり、「体(肉体)」と「魂」という二元的要素からなる人間は、「霊」がそこから恩寵(おんちょう)として下される教会組織に属してはじめて、永遠なる神との契約に入るとされたのです。

【正統キリスト教会】(人間)=「体」+「魂」 ⇐ 「聖霊」(教会の専権事項)

正統キリスト教会は4世紀にローマ帝国の国教へという一連の出来事を通して、西暦869年の教会会議による上記のような教義を変更したことは、裏を返せば教会の外では霊的なものとの直接的な結びつきは生ずるはずはないとし、もしそれを主張する者がいれば、それは「悪魔のささやき」にほかならず、すべて「異端」「異教」として迫害の対象にしたのです。その迫害された最大の思想潮流が、初期キリスト教のグノーシス諸派やマニ教などでした。つまり正統キリスト教会が、それらの「異端」「異教」を危険思想として「覆い隠そう」とした「くくり」がまさに「神秘思想(オカルト)」の本当の意味なのです。

そもそも「オカルト」とは「視界から覆い隠して見えなくする」という意味のラテン語に由来します。「覆い隠した主体」は正統キリスト教会(ローマカトリック)であり、「オカルト」のレッテルを一方的に貼られながら「覆い隠された対象」は、グノーシス諸派を代表とする初期キリスト教―というように、あくまでも歴史の勝者である正統キリスト教会からみた構図にすぎないということです。

◆シュタイナーは宗教哲学者
シュタイナーのオカルティズムとは、初期キリスト教のグノーシス諸派のヴィジョンと符合し、さらにそれらの水脈上にある「ドイツ神秘主義」に通じています。シュタイナーは「人間」と「神」と「キリスト」の関係を次のように説明しています。

「人間は自己の内部で霊的な仕方で神を生み、人となった神の霊であり、ロゴスであるキリストを生むことになる」

つまりシュタイナーによれば、神やキリストは人間から超越した場所に存在するのではなく、人間ひとり一人の内側、すなわち「霊性」そのものである「内面世界」に存在するという考え方なのですが、これは正統キリスト教会からみれば明らかに「異端」であり「オカルト」ということになるのです。しかし人間の豊穣なる「霊性」に満ちた「内面世界」を希求したシュタイナーの姿勢には、19世紀に発達した「唯物主義」に対するアンチテーゼとしての価値が十分にあったのです。
シュタイナーは、西洋精神史の影の部分である「オカルト」の回帰を謳ったというより、むしろ幾重にも覆い隠されてきた「オカルト」からの解放を提唱し、みずからの足元の「霊性」を徹底して掘り起こそうと主張した宗教哲学者であったのだと思います。

シュタイナーの中心的テーマであるこの「霊性」ですが、日本人からみるとそもそも「霊(ガイスト)」は日本語には適切な訳語がないので、しょうがなく「霊」と言うわけですが、幽霊の「霊」と間違われることもあってどうしても誤解を生じやすいのです。日本人が「オカルト」という言葉に「戸惑い」を感じるのはそうした事情があるからかもしれません。しかしそのことにこだわればシュタイナーをいつまでも理解できないのです。それには、シュタイナーの思想の背後にあるキリスト教を中心とした西洋精神史の光芒と、シュタイナーが活躍した1900年代初頭の時代背景をくみ取りながら、シュタイナーを理解する必要があると思っています。

※アントロポゾフィー(=人智学)
アントロポゾフィーとはギリシャ語の「人間(アントロポス)」と「叡智(ゾフィー)」という2つの言葉を合わせた「人智学」という意味。
※コリン・ウイルソン『ルドルフ・シュタイナー』中村保男訳・河出文庫(93年)
※小杉英了『シュタイナー入門』ちくま新書(2000年)
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