FC2ブログ

第10話:絵画と「気」の交流(水墨画の世界)

◆瞬時に答えをだす人
美術館でひとつの絵画を観るときに、瞬時に答えをだす人がいます。その答えとは「これはダメ、私には合わない!」という感覚です。絵画に対する評価を一刀両断に下し、場合によっては踵を返してその絵から離れます。逆に「合う」となれば、じっとその絵画と対峙して魅入るときもあります。この「合う・合わない」という感覚は、理屈で説明できない領域のことで、それこそ肌が合うとか合わないというか生理的な感覚、もしくは原初的な感覚に近いようです。こうした方は絵画にかぎらず、初対面で人と会うときでも「この人は信頼できる人か否か」を瞬時に見分ける能力をもっているように見受けられます。つまり「人と人」の間での気のキャッチボールに敏感に反応する人は、「人と絵画(芸術作品)」の間においても、敏感に感応できるようです。

◆「受信能力」と「発信能力」
そもそも芸術作品の作り手である画家は、作品にこめられた美なり思想性なりを発信し、鑑賞する側はそれに対して受信する関係にあります。画家の横尾忠則は、その「発信能力」というのは男性原理であり「受信能力」というのは女性原理であると述べ、とりわけ芸術家本人は「発信能力」だけでは成り立たず、「受信能力」も兼ね備わっていないと成立しないといいます。作品の発想は直感的に「天から降りてくる」といいますから、芸術家は「受信能力」に長けていることがむしろ必須条件ということです。

横尾忠則らしいユニークな解説です。確かに「受信能力」が女性原理であるという指摘は、シャーマンは圧倒的に女性が多いことからも頷けますし、芸術家は男性原理の「発信能力」と女性原理の「受信能力」が両方兼ね備わっているという指摘も、芸術家にはいわゆる両性具有の(中性的な)方が多いということからも腑に落ちます。だとすると、絵画をみて瞬時に答えをだす人はそれこそ「受信能力」が長けた人であり、さらに表現手段を身につけて、外に発信する能力(男性原理)が備われば、きっと芸術家に近づけるということです。


◆水墨画にみる感応システム
このように「人と絵画(芸術作品)」の間に、気のキャッチボールを交わす感応システムが存在して、互いの関係性が築かれるわけですが、ここで絵画側からアプローチする特殊な世界である水墨画の世界を紹介します。中国で誕生した水墨画は特に禅との関係が深いともいわれています。

特筆すべきはこの「水墨画」こそ、「気」のキャッチボールを交わすことを目的にした稀有な芸術世界なのです。つまりもともと「美」を追求したものではなく、景色の「気」を絵にとじこめて、観るものにいかに感応させるか―を作品評価の基準にしています。「気の世界」との関連性として論じた湯浅泰雄の言を借りれば、

「黒はすべての色彩の否定で、白はすべての色彩の無。自然の風景からすべての色彩を剥ぎとっても、そこにはなお、みえない気(景気)が流れている。画家はそれを描くのである。さらに、その絵を観るひとにも、気の響きを感じるのである。」と解説しています。

これは中国南北朝時代(4~6世紀)の謝赫(しゃかく)が『古画品録』に論じた山水画の本質に関する心得のひとつ「気韻生動(きんせいどう)」をいいます。気韻生動とは「気の響きが生き生きと動いている」こと。最高ランクの水墨画とは、山水に漂う「気」を描きこみ、その絵にどれほど気韻が生動しているかで決まるというわけです。

景色の「気」を「景気」と呼び、景気が強い場所が「名所」として尊ばれます。近世のひとが「名所○選」とか、歌枕として好んだ場所はみな景気が強い場所です。今日の経済社会で「景気はどうですか?」といっている「景気」は、もともとは水墨画を由来とした景色の気だったのです。

※横尾忠則著『見えるものと観えないもの』ちくま文庫(97年)
※湯浅泰雄著『共時性の宇宙観』人文書院(95年)
※松岡正剛著『花鳥風月の科学』中公文庫(04年)

関連記事
スポンサーサイト



コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する