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第120話:現代史とわが父



◆父にとっての大正昭和史
ここ100年の現代史を考えれば、その始まりはほぼ大正時代からの歴史。しかも今年は第一次世界大戦(1914年)からちょうど100年の節目の年にあたります。
敬愛する歴史学者の阿部謹也(1935~2006)は、現代史を考える際に歴史を単なる学問上の出来事として扱うのではなくて、歴史を絶えず自分との関係性から捉えていくという手法を提唱しています。

阿部謹也の手法に倣って、身近なところで父(大正6年生まれ)の人生を現代史に重ねて捉えてみました。すると父の年齢を年表に落としてゆくだけで、今まで気がつかなかったことが随分とみえてくるものです。

1914年(大正03年):第一次世界大戦
1917年(大正06年):ロシア革命 ◇◇◇◇◇◇ 00歳(父誕生)
1918年(大正07年):スペインかぜ流行 ◇◇◇ 01歳
1923年(大正12年):関東大震災◇◇◇◇◇◇ 06歳(尋常小学1年) 
1927年(昭和02年):昭和金融恐慌◇◇◇◇◇ 10歳(尋常小学5年)
1931年(昭和06年):満州事変◇◇◇◇◇◇◇ 14歳(旧制中学3年)
1933年(昭和08年):日本・国際連盟脱退 ◇◇ 16歳(旧制中学5年)
1935年(昭和10年):独逸・国際連盟脱退 ◇◇ 18歳(大学予科2年)結核 
1936年(昭和11年):二・二六事件 ◇◇◇◇◇ 19歳(大学予科3年)
1937年(昭和12年):日中戦争◇◇◇◇◇◇◇ 20歳(徴兵検査不合格)
1941年(昭和16年):太平洋戦争開戦◇◇◇◇ 24歳 
1943年(昭和18年):学徒出陣◇◇◇◇◇◇◇ 26歳 
1945年(昭和20年):終戦◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 28歳 

祖父の仕事の関係で父は7歳までを京城(現在のソウル)、関東大震災以降は東京、そして戦後は酒田に居を移し、昭和51年(1976年)酒田大火の年に59歳で亡くなっています。父を歴史の流れに投影して眺めたことなどなかったので、14歳のときに満州事変、20歳のときに日中戦争(支那事変)勃発、そして28歳のときに終戦を迎えたことを、年表をみて初めて知ります。特に18歳に発病した結核のために徴兵検査を不合格となり、療養生活を強いられるとせっかく合格した大学も中退して、いつ完治したのか今や知る人もいないのですが、結局28歳となる終戦の年まで、仕事につくこともなく世田谷の自宅で療養生活を続けていたようです。

生前の父は寡黙な人で、自分の青春時代のこと、戦争があった時代のことは自分から話すことはありませんでした。肋膜(結核性胸膜炎)を患って戦争にいけなかった―ということを母から間接的に耳にしたとしても、その辺のことは「触れてはいけない」という空気をなんとなく子どもなりに感じていました。父にかぎらず大正一桁生まれの年代は、生まれた頃はスペイン風邪が流行し、青春時代は戦争に駆り出され、生存率がきわめて低い、まさに「不運な世代」といわれています。

◆父の苦悩
時代に翻弄されるままに、ふつうの青春を過ごすことも許されず、多くの同級生を戦争で亡くしてしまった悲しいまでの父の姿が、年表からも十分に想像できます。父はそうした局面で自分だけが戦争にいかなかったという負い目を、戦後になってもずっと背負っていたようです。生意気盛りの高校生だった頃のわたしは、ただ平凡にみえた父の生き方に直接反発こそしなくても、面と向き合うこともなく、ましてや父の苦悩を理解するまでには至らなかったものです。

そんなわたしも、父の享年を越えてみると父の苦悩をようやく理解できます。父はそうした苦悩を背負うことが、実は父の人生そのものだった-と今では解釈するようにしています。そうすることで、かつて父との間に生じていた距離がようやく埋められるような気がするのです。

◆父が言いたかったこと
生前たった一度だけ「戦争」のことで口論になったことがあります。なぜ口論になったのか前後の経緯は覚えていないのですが、父が突然「戦争をせざるを得なかった日本の状況を理解すべき」と珍しく興奮した様子で話したその一言だけは、今でもはっきりと記憶しています。たぶん父は、戦争の時代すべてを否定されることは、命を捧げた同級生たちの御霊(みたま)を無にすることになると言いたかったのでしょう。
父が言いたかった「戦争をせざるを得なかった日本の状況」とは、自分の頭で歴史から学び今に生かせと、と今でもわたしに教えているような気がしています。
いま世界が置かれている状況は20世紀初頭に似ているとも言われます。そうした意味では、第一次世界大戦からちょうど100年の今年は、現代史を振りかえりその歴史から学ぶべき年なのかもしれません。

※『阿部謹也最初の授業・最後の授業』日本エディタースクール出版部(2008年)
「自分とは何か、という問いを自分の過去に向け、それを出発点にして、自分の決定的な影響を与えてきた家庭、社会、国家、世界を理知的に情念的ではなく科学的に、ある場合には自己を抽象化しながら、捉えてみようとする努力が始まるとき、そこに現代史研究が始まったといってよいのです。」

※加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』朝日新聞社(2009年)
3章:第一次世界大戦(日本が抱いた主観的な挫折)には、日本にとっての仮想敵国が当初はロシア・中国だったのが、次第に米国になっていった経緯がわかりやすく解説されている。
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