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第127話:50歳からの漱石



◆漱石は古くない
夏目漱石(1867~1916)の『こころ』が最近の朝日新聞に連載されているそうです。しかも今から100年前・大正3年(1914年)に朝日新聞に連載されたそのままのかたちで掲載しているとか。当時の「旧仮名遣い」は、今のわたしたちにとっては慣れない代物とはいえ、それでも漱石の小説は100年経っても少しも古さを感じさせない―と毎日読んでいる患者さんのAさんがそうおっしゃっていました。

わたしもAさんに同感です。昔も今も永く支持され続けてきた作家という意味では、漱石の右に出る作家はいないでしょう。古書店によく通うわたしからみても、漱石の文庫本ならば、どこの古書店でも必ず見かけます。一方、谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫、安倍公房などはすっかり影を潜めてしまい、時代の寵児として脚光を浴びる作家でさえ、時の流れとともに忘れ去らようとするさまは書棚からも窺えます。そうした中でも漱石はひとり関せず、いつの時代にも普遍的な光を放ち続けています。-と、分かったような物言いをしてしまいましたが、実のところわたしが本当の意味で漱石を理解できるようになったのは、50歳をすぎてからのことです。

◆漱石の良さがわかる年齢
若いときは『ぼっちゃん』や『吾輩は猫である』をとりあえず読んだという記憶しかありません。たしか高校に入学した折、『蛍雪時代』に旺文社文庫の『草枕』が付録としてついていました。有名な冒頭の一節「山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい」の後は、正直いってちんぷんかんぷんで何が面白いんだろうと、途中で投げ出した記憶があります。今振り返れば―それはしょうがないこと。読解力もなければ、共感できるほどの人生経験もあるわけではないのだから―と言い訳ができます。
それが50歳をすぎて読んでみると、驚くほど多くの「気づき」を得られるものです。というより、わたしの方が漱石の面白味を理解できる年齢に、遅ればせながらようやく到達したというべきでしょうか。

◆『それから』にみる文明批評
「漱石は古くない」と思った小説のひとつに、漱石42歳のときの『それから』があります。親友の妻を横恋慕する所謂「姦通小説」の類です。明治も後期となり「日露戦争後の商工業膨張」を背景に、いわば「近代社会草創期」のなかでの人間模様を描いています。面白いのはその恋愛ドラマではなく、むしろ主人公にあります。主人公の長井代助は職をもたず、実業家の父から経済的援助を受け、書生を同居させるような所謂「高等遊民」。好きな音楽を聴き、洋書を読む毎日で、一向に働かないその理由を「日本対西洋の関係が駄目だから働かない」と理屈を述べます。
漱石は分身である代助を、世間を俯瞰する「高等遊民」にすることで、持論の文明批評を代助の言葉のはしはしに代弁させているような気がします。

ここで慶応3年生まれの漱石と、漱石の親の世代を考えれば、侍は帯刀して、藩政の縛りに苦労していた時代がほんの直前まであったということ。まだまだ江戸時代をひきずりながらも、急激な変化を強いられた明治という時代に漱石は小説を書いていたのです。一方、代助はと言えば、父は17歳のときに家中のひとりを切り殺した経験をもち、伯父は京都で頭巾を着た浪士に殺されています。それがたちまち明治の文明開化を経ると、富国強兵・殖産興業を国是とし、是が非でも西洋列国に肩を並ぼうと、日本は西洋文化を積極的に取り入れます。ついには日露戦争で勝利すると、日本は次第に傲慢な風潮になってゆき、父も商工業の膨張に乗じ、いかがわしいことをして財をなしたのではないかと、代助は父の自己欺瞞を批判します。

漱石は、はたして『それから』で何を云いたかったのでしょう。
33歳より2年間英国留学の経験をもつ漱石は、西洋文化に十分精通した上で、舶来ものに盲従する風潮に警鐘を鳴らし、世界の中での日本の立ち位置を質そうとしたのでしょう。
今読んでも「漱石は古くない」のは、漱石のそうした「時代」の先を見据え、「小説」という表現手段をつかい、常に「時代」にコミットしてきた姿勢にあるからだと思います。

◆『草枕』からのヒント
ちなみに、ピアニストの鬼才グレン・グールドは意外にも『草枕』の英訳版を愛読していたそうです。そんな興味も手伝って、高校時代に頓挫した『草枕』を再び読んでみました。それでもわたしにとっての『草枕』は難しい小説であることには変わりません。ただ面白いことに、小説の中に「霊台」という文字を2か所みつけました。それは鍼灸師のわたしにとって、ツボ「霊台」を理解する上での貴重なヒントになり得たのです。
※参照記事⇒「第38話:霊台考(その2)」

こんなふうに、漱石は今読んでもさまざまの「気づき」を提供してくれます。それと、できれば50歳を過ぎたころにでも、ゆっくり吟味しながら再読することもお勧めします。

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