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第133話:細胞レベルの陰陽論



◆細胞の世界からみえること◆
身体を構成している細胞の世界に目を投じてみれば、そこには「生」と「死」のドラマが繰りひろげられています。というのも、身体は約60兆個の細胞で構成されていて、ある一定数の細胞が数週間で死を迎えると、さらにその分の新しい細胞が生まれ順次入れ替わるからです。たえず入れ替わるのが「新陳代謝」であり、入れ替わる力が徐々に弱くなるのが「老化」といえます。

こうした一連のドラマを荷っているのが「体細胞」と「幹細胞」のふたつの細胞です。
「体細胞」は身体の多くを構成している細胞で、ある回数の分裂を経た後では、もう分裂することを止めます。したがって「体細胞」は有限な「死すべき細胞」といえます。
もうひとつの「幹細胞」は無限の分裂ができる「不老不死の細胞」の性質をもち、各種「体細胞」に分化できる細胞のことです。したがって「幹細胞」は不老不死の身体から、同様に不老不死の複製「幹細胞」と、定められた役割をもつはかなくも「死すべき細胞」である「体細胞」とを、同時に分裂させる細胞だということです。
例をあげると、骨髄の奥深く蔵された「造血幹細胞」は、血液を構成するさまざまな「体細胞」を産みながら、自分自身は無限に分裂して、老化をすることがない細胞です。

◆細胞間における陰陽論
このように、細胞レベルでの世界では「体細胞」と「幹細胞」が対照的な動きをしながら、身体のホメオスタシスを保つように活動を続けているわけです。言葉をかえれば「死すべき細胞」と「不老不死の細胞」が絶妙なバランスをもって生命活動を維持しているとも言えます。もしも「幹細胞」の役割がなければ「体細胞」の再生ができなくなり、もしも「体細胞」の役割がなければ「幹細胞」が絶えず分裂を繰り返して暴走してしまうでしょう。

この図式はまるで東洋思想における『陰陽論』そのものです。「死すべき細胞」と「不老不死の細胞」がそれぞれ「陰」と「陽」に該当し、陰陽の調和があってこそ生命活動が維持されるということです。

 「陰」=「体細胞」=「死すべき細胞」
 「陽」=「幹細胞」=「不老不死の細胞」

◆「死」の重要性
実は、「幹細胞」は「癌」に変わる細胞であるとも考えられています。無限に分裂していく性質が、両者に共通しているからです。「幹細胞」と「癌」には「死」という信号がDNAにセットされていないということ。死ぬこともなく無限に分裂できるということは、栄養が途切れない限りは永遠に生を連続させていくということですから、とても厄介な代物です。ノーベル賞を受賞した山中伸弥教授が開発した「iPS細胞」は人為的に作られた「幹細胞」ですが、再生医療の実用化に向けて乗り越えるべき課題が「iPS細胞が癌化しないこと」であるのは、そうした理由によるのです。

こうしてみると、細胞に「死」という信号がDNAにセッティングされていることの重要性が明らかに分かってきます。「陰陽論」をさらに「体用の論理」で解釈すれば、「陰は体であり主体、陽は用であり機能」となります。となると「死すべき細胞」はより本質主体的な意味合いをもつということにもなります。

◆『不死の人』から
そこで思い出すのが、アルゼンチンの作家・ボルヘス(1899~1986)です。
彼の代表作である『不死の人』には、次のような興味深いエピソードが綴られています。
ローマ時代のある護民官が、不死の人々が住む神秘の国を求めて旅にでるのですが、そこで遭遇した「不死の国」とはユートピアどころか、住人が皆「言葉」を用いるすべを知らない野蛮人だったという話です。
この「言葉を話せない」というのはとても示唆的です。「言葉(の喪失)」を生きる上での「本質(の欠落)」と理解すれば、不死の人々は決して幸せな存在ではなかったということ。つまり、永遠に生きるしかない「不死」の世界とは、とどのつまりは記憶しても意味がなく、過去現在未来という時の流れにも意味がない、そして生きていること自体に意味をみいだせない世界であるのです。「不死」に拘泥するあまり「死」を蔑(ないがしろ)にすることは、生きる意味を失うことである。「死」とはそれこそ「生」と同じくらい大切なものなのだ―ということをボルヘスは言いたかったのでしょう。

◆細胞の世界が教えること
細胞レベルで繰り広げられた「生」と「死」のドラマは、実は人間の生き死に関わる領域までに投影され、まるで全体が入れ子構造になっていることを、ボルヘスの作品を通じてわたしたちは考えさせられます。
実際のところ現実は多くの問題を孕んでいます。たとえば先端科学技術である再生医療に着目すれば、「iPS細胞」の実用化しだいでは「壮年不死の思想」に拍車をかけないとも限らないでしょう。「不老不死の細胞」が暴走するように、人がなかなか死ねない時代になってしまうことだけは避けたいものです。
「死」は「生」のためにある―とはなかなかすんなりと受け入れられない命題かもしれません。とはいえ、病み、老いて死んでいくことが、人の自然な在り方として改めて見直すべきことを、細胞の世界がわたしたちに教えていることには間違いないようです。(了)


※石田秀美『21世紀問題群ブックス3「死のレッスン」』岩波書店(1996年)
東洋思想の立場から「死」を論究している稀有な本。
※集英社版『世界の文学9「ボルヘス」』篠原一士訳(1978年)
「不死の人」は短編集『エル・アレフ』に収蔵。
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