スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

第137話:「神道」と出会う旅



◆伊勢神宮への旅◆
祖父の実家が「神社」であることに、なんとなく意識し始めたのは50歳を過ぎたころです。家の歴史の中に「神道」という宗教世界が生業(なりわい)としてあることが、今のわたしにどのような影響があるのだろうか?とふと思うことがあります。自ずと「神道」への関心が膨らんでいったことはたしかです。
桜が咲き始めた3月の末に、思い立って伊勢神宮を参拝してみました。神宮は深い森に囲まれ、なにか特別に澄みきった「気」がそこかしこに流れていました。
1泊2日のツアーとはいえ、「神道」についていろいろ考える旅になりました。

◆朝熊山の金剛證寺
その伊勢神宮参拝ツアーでのことです。外宮に向かう車窓から見えた「朝熊山(あさまやま)」について、添乗員さんから意外な話を聞きました。それは、江戸の末までは「お伊勢参り」といえば内宮・外宮だけでなく、朝熊山にある真言宗の金剛證寺(本尊が虚空蔵菩薩、現在は天台宗)も必ず一緒にお参りしていたという話。それが明治に入ると「神仏分離令」によって寺の参拝は禁止され、お参りは内宮・外宮だけになったというのです。

そのことがとても気になったので、「お伊勢参り」の紀行文として名高い清河八郎の『西遊草』や、高倉健のご先祖さまの小田宅子(いえこ)らの『東路日記』を調べてみると、たしかに内宮外宮参拝のあとに朝熊山に登り参拝したという記述がありました。小田宅子はそのときに次のような歌も詠んでいます。
「前は海 うしろは伊勢の雄朝熊(おあさま)くまなくみゆる舟のゆきかひ」

◆伊勢神宮における神仏習合
朝熊山(金剛證寺)の参拝が意味することは、神道と仏教が共存する所謂「神仏習合」の形をとっていたということ。実際のところ当時は「伊勢神道(渡会神道)」のほかに仏教(密教)系の「両部神道」が関わっています。密教と習合した神道としては、真言宗系の「両部神道」と天台宗系の「山王神道」がありますが、「両部神道」は「伊勢神道」と関係が深く、伊勢の内宮(天照大神)・外宮(豊受大神)、さらに金剛證寺の本尊(虚空蔵菩薩)を、それぞれ曼荼羅の世界にあてはめます。したがって神仏3か所の参拝は「お伊勢参り」には欠かせなかったのです。

◆変貌してしまった神道
こうしてみると、日本の神道は明治を境に大きく変貌したことが分かります。変貌というのもあくまでも政治的なベクトルが作用したということ。明治政府の狙いは、西洋諸国の精神的支柱であるキリスト教の一神教に対して、日本の八百万神の伝統では統合の中心点とはなりえないと判断し、その中心点に天皇制をもってきたといわれています。したがって明治22年に公布された大日本帝国憲法は、天皇を最大限に神格化した憲法といえます。

明治初年の「神仏分離令」により神仏を分離して「廃仏毀釈」で仏教勢力を抑える国策をとります。神道はそれまで八百万の神を崇拝していたのを、天皇家の皇祖神である天照大神を祀る伊勢神宮を中心とする一神教的な「国家神道」にしたてあげます。昭和20年の終戦を迎えるまでの間、政治と宗教が一体化する国家体制が軍国主義の原動力になったのです。そのイデオロギーソースはどこかといえば、諸説ありますが、江戸後期の本居宣長や平田篤胤などの国学、もしくは水戸学や吉田松陰などの儒教系にあると指摘する識者がいます。

先日、池上彰さんがTV番組で「神道のトップとされるのは天皇陛下ですね」と発言されていましたが、これは間違いで、伊勢神宮のトップは天皇かもしれませんが、神道のトップではありません。神道のトップが天皇だったのは明治から昭和20年終戦までのこと。
いずれにしても、「国家神道」の時代を経験したがために、戦後70年の現代においても尚、本来の「神道」が見えにくくなっていることには間違いないようです。

◆本来の神道とは
では本来の「神道」とはなんでしょうか。キーワードは「八百万の神」と「自然の霊性」にある、とわたしはみています。

仏教が「仏を信ずる」といえば、神道では「神を尊ぶ」といいます。具体的には「神祈り」と「神祭り」にあります。その神はひとつではなく八百万(やおよろず)の神であり、自然の万物生成と創造の根源です。日本人はそれぞれの「神」を平等に、聖なる存在として、畏敬・畏怖の念をもって祈りと祭りを奉げてきたということです。

仏教は人間の「苦悩」に深くかかわる宗教ならば、神道は「自然」に深く関わる宗教といえます。たとえば西行法師が伊勢を遥拝した折に、
「なにごとのおはしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる」
と神宮をとりまく自然のなかに神の臨在を感じとって「かたじけなさ」と謳っています。このように、自然のなかに神の聖なる存在を認め畏敬し畏怖するという世界観が、当に神道が自然主義であるといえるのです。

日本の神道をこよなく愛したJ.W.T.メーソンは『神ながらの道』のなかで、
「神道および神社には『自然の霊性(普遍的霊性)』がある。」とか
「神社は『自然の霊性』と挨拶する場である」などの主張を遺しています。
西行がいう「かたじけなさ」の正体は、メーソンがいうところの「自然の霊性」に当たります。それは西行さんでなくとも、わたしたちでさえ、神社に参拝すると何か澄みきった「気」を感じることは、「自然の霊性」との出会いであり「神道」との出会いであると思うのです。

これからの時代を考えるときに、もしも神道が神々に優劣をつけて「自然の霊性」に向き合わず、時の政治に利用されるようなことにでもなれば、とてもあぶない世の中だということ。それは過去の歴史をみれば明らかです。
ならばいま一度、神道の歴史を振り返り、本来の「神道」を確認するという作業は、わたしにとって先祖から与えられた命題のような気がしてなりません。(了)

※田辺聖子『姥ざかり花の旅笠』集英社文庫(2004年)
筑前の小田宅子らによる旅日記『東路日記』が底本。文中に清河八郎の『西遊草』を紹介。
※鎌田東二『神と仏の出逢う国』角川選書(平成21年)
明治初年の「廃仏毀釈」の経緯や神道の歴史が詳しく解説している。中世から近世の神道について神仏習合に力点を置いているが、仏教を神道の下に置く「伊勢神道(渡会神道)」や 「吉田神道」のことも詳しく言及している。
※「仏を信じ、神を尊ぶ」
『日本書紀』の用明天皇の段に「天皇は仏法を信じ、神道を尊びたまふ」とあり。用明天皇は個人の信仰としては「仏教」を信じ、伝統的な祭祀(さいし)としては「神道」を尊んだという意味。
※J.W.T.メーソン(1879~1941):米国の新聞記者。退職後神道の研究で一時期日本に滞在。 『神ながらの道』(昭和8年出版)は大田区の図書館に置いていないので今のところ未読。

関連記事
スポンサーサイト
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。