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第176話:酒田のグリーンハウス(1/2)



◆映画館「グリーンハウス」
ふるさと酒田に、かつて「グリーンハウス」という映画館がありました。昭和24年(1949年)の開業から昭和51年(1976年)の酒田大火で焼失するまで、凡そ四半世紀にわたり酒田市民に親しまれた洋画専門の映画館です。酒田で生れた人なら、かつ現在60歳以上の方なら、青春に寄り添う映画館は?と問われれば、きっとグリーンハウスと答えることでしょう。

酒田大火から今年で42年。グリーンハウスを懐かしむ市民の証言を集めたドキュメンタリー映画『世界一と言われた映画館 酒田グリーンハウス証言集』が、酒田で先行上映されたとの風の便りが届きました。2月に亡くなった大杉漣がナレーションを担当していることも話題になっているようです。ともあれ、わたしが高校時代によく利用した想い出の映画館だけに、映像に記録されることを永らく切望しておりました。「グリーンハウス」ファンとしては、ついにその日がやって来た!という感慨があります。
その風の便りに誘われて、グリーンハウスに纏わる想い出を語ってみます。

◆我が心の「グリーンハウス」
わたしの高校時代(昭和44~47年)は、ちょうどアメリカン・ニューシネマが全盛の頃でした。『卒業』『明日に向かって撃て』『イージーライダー』『小さな巨人』『いちご白書』など数えたらきりがないのですが、すべてグリーンハウスで観た記憶があります。アメリカではベトナム戦争が泥沼化のまま終結し、日本では学生運動や、日本赤軍などの過激派の活動が終焉を迎え、体制批判のヒーロ―を求めつつも、結局は体制に潰されてゆくという時代の閉塞感を、田舎の高校生には遠い世界のことながら、逐次映像の世界から感じ取っていた気がします。今思えば、精一杯背伸びをしていた自分がちょっと気恥ずかしく、それでいて懐かしいもの。そんな心象風景を辿ってゆけば、中町柳小路通りにあったグリーンハウスの外観が、アメリカン・ニューシネマのワンシーンのように今でもぼんやり蘇ってきます。

◆昭和51年(1976年)の酒田大火
酒田大火でグリーンハウスがなくなってしまった後は、実は複雑な事情を抱えることになります。酒田大火の出火元がグリーンハウスだったということです。昭和51年10月29日午後5時頃、グリーンハウスから出火(漏電が原因と言われています)。折しも風速26mの強風にあおられ、中町商店街から東の住宅地へ瞬く間に延焼し、翌朝の午前5時に新井田川にぶつかるところでやっと鎮火。市街地の1774棟を焼失。被災者3300名。戦後4番目と言われた大火でした。わたしの実家は幸い延焼を免れましたが、親戚や多くの同級生の家が全焼しています。当時22歳のわたしは大火から1週間後に帰省。焼け跡の傍に災害救助で出動した自衛隊のトラックが点在し、焦げ臭い匂いがまだたちこめるなか、焦土と化した街並みの向こうに鳥海山がみえた光景は今でも忘れることはできません。これだけの災害の傷跡は、結果としてグリーンハウスを表立って懐かしむことを拒んでしまったのです。

◆みんなの思い
酒田大火からしばらくして、東京で高校の同級生たちと酒席を囲んだときのこと。誰かが、ちょっといいかっこしーながら「グリーンハウスの焼失は青春の終焉を意味している」と口火を切ると、急に堰を切ったように座は盛り上がりました。大火の年の春に父を亡くしていたわたしは、そのときの「青春の終焉」という言葉には密かに胸がざわついたことを覚えています。さらには、役者を目指していたA君が呼応して、映画『アメリカングラフティー』とダブらせ「グリーンハウスを舞台にした俺らの青春映画を作りたい」とみんなの総意を代弁するかのように熱く語ってくれたものです。
グリーンハウスが火元だったということはショックなことでしたが、グリーンハウスにまつわる青春の想い出は誰もが大事に抱えているだけに、それを何か「形」に残したいという思いはみんな共有していたのです。

◆グリーンハウスが語られるまでの経緯
大火から20年経った平成8年(1996年)、ねじめ正一の『風の棲む町』が話題になりました。映画ではなく小説でしたが、酒田大火を背景にした青春小説というふれこみでした。ところが、中身を読んでみると、グリーンハウスは大火の当日『愛のコリーダ』を上映されていた-というくだりしかなく、『アメリカングラフティー』のような映画館を取り巻く青春物語ではなかったことに失望したものです。でもどだい東京生まれのねじめ氏に要求すること自体無理な話だ。欲を言えばやっぱり、酒田の人間に書いてほしかった―と思うしかなかったものです。

それが平成19年(2007年)になると、急に事態は一変します。一冊の本によってグリーンハウスを評価する動きに転換したのです。それが『世界一の映画館と日本一のフランス料理店を山形県酒田につくった男はなぜ忘れさられたのか』という長い長いタイトルの本でした。グリーンハウスが名実ともに「世界一の映画館」であることを初めて世に問う内容でしたが、著者は元電通社員の岡田芳郎という方です。結果的には、岡田氏という酒田の人間でない方が書いてくれたお陰で、グリーンハウスが全国に知られることになっただけでなく、地元酒田においても、酒田大火の出火元故に語られることが憚られた、それまでの封印を解かれる契機になったのです。

冒頭で紹介したドキュメンタリー映画『世界一と言われた映画館 酒田グリーンハウス証言集』は、この本の出版から10年という熟成の時を経て、ようやく酒田の人間が呪縛から解き離されたように、それぞれの想い出を語っていると十分想像できます。
では、なぜグリーンハウスが「世界一の映画館」だったのか、長くなりましたのでそれは次回に書き留めます。(つづく)
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