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第18話:「息」と「気」

歌人河野裕子が亡くなるまでの闘病生活を記録したETV特集を観ました。ガンを患いほとんど寝たきりでも歌を詠み、かぼそくも精一杯の声でしぼりだす三十一文字を、夫の永田和宏(歌人/科学者)は病床で聴きとり克明にノートに綴ります。そしてまさに歌人河野裕子の最期の歌となったのが

「手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が」

手を伸ばしてみると、最愛のあなたに触れたような気がしたけれど、それを確かめようにも、もう息がたりない、という意味なのでしょうか。壮絶さの中にも夫婦の情愛が満ちた相聞歌です。

この世をつなぎとめるのは「息」ということ。国語でも「いき」と「いきる」と「き」の間には密接なつながりがあります。「生」と「死」の間には人体の物質的質量は変わらないのに、息があるか息がないかの違い、そして気があるか気がないかの違いが歴然とあります。古くは『日本書紀』などで、気を「いき」と呼んでいたとか。また『黄帝内経』では「一呼吸で気は3寸進む」とあります。気は気息、呼吸と密接な関係があるとみなしています。

東洋の伝統的な身体修行として「坐禅」や「静坐」などがありますが、一括して「瞑想」とよばれます。これらは単にリラックスさせるだけではなく、本来宗教的な「行」として発展してきました。宗教的といっても目的はひとつ、心と身体をひとつ(心身一如)にすることです。心と身体をひとつになるには、間をとりもつ「気」のはたらきをよくすること。「気」のはたらきをよくするには当然「息」を調える(調息)ことが大切というわけです。逆にいえば、「呼吸法」の目的は「気を調える」これに尽きるのです。

鍼灸治療した後は、身体が軽くなりなんとなく元気になっているといいます。そして呼吸に意識をもっていくと、明らかに治療前に比べて呼吸が深くなっています。呼吸が深いということは自律神経が安定して上体がリラックス、いわゆる”上虚下実”(丹田に気が充実してどっしりし、上体には余分な力が入っていないこと)の理想形になっていること。鍼灸治療によって気の流れが調い、その結果呼吸もしっかり調うということなのです。

とはいえ、普段限りある「この世の息」を意識して呼吸などしていないものです。ただ禅の世界では坐禅をしながら呼吸に意識をもっていく「数息観」という呼吸法があります。静謐な中で「いき」と「いきる」をひとつにするということでしょうか。東洋の身体修行には、あらゆる深遠なメソッドがすで用意されていることに、いまさらながら驚かされます。
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