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第56話:東洋における自然観

古代中国の格言に「人ハコレ一箇ノ小天地ナリ」とあるように、小宇宙(ミクロコスモス)としての人間は、大宇宙(マクロコスモス)のはたらきと調和して生きるところに、その本来の姿があります。

こうした東洋における伝統的自然観は、大宇宙(大自然)の根源の「道(タオ)」から発する「気」のはたらきによって、自然界にあるすべての事物は生きている、という「タオイズム(道教)」が根底にあります。人間はその事物のひとつとする小宇宙であり、大自然のはたらきによって生かされることによって生きている、という生命論的な見方ができます。これは、近代西洋の自然観(自然は人間が征服する対象)とはまったく逆の見方です。

ここで根底にある「タオイズム(道教)」といっても、これを説明するのは複雑です。というのも、本来プリミティブな土俗的民間信仰を土台にして出発した道教が、『老子』『荘子』による「老荘思想」とか、儒教の経典である『易経』などで理論武装することで、当時の仏教に対抗しながら、道教を「哲学」として完成した経緯があるのです。そうした流れを念頭におきながら、主要なキーワードを基に、タオイズム(道教)による自然観をまとめてみます。

まずは「道(タオ)」の定義についてですが、これは儒教の経典である『易経』の繋辞伝上巻に次のような有名な言葉としてあります。
「形而上なる者、これを道といい、形而下なる者、これを器という」
ここで「形而上(けいじじょう)」とは形に先立つものという意味で、地上の万物が一定の形をそなえているのに対して、それらの万物を支配しているはたらきの源泉を「道(タオ)」と名付け、それは形に先立っていると、と考えたのです。これに対して「形而下(けいじか)」は形あるもの、つまり地上の万物ないし世界であり、それを「器」と呼んだのです。

『老子』第51章にはこうあります。
「道、之を生じ、徳、之を畜(やしな)う」
訳せば「道がそれを生み出し、道の偉大な徳がそれを養い」となり、道(タオ)とは万物を養い育てる母のようなものである―と述べています。

さらに、道(タオ)のもつエネルギーとして陰陽論が登場します。それは『易経』繋辞伝上巻にある、これも有名な一節です。
「一陰一陽、これを道という」
この「一陰一陽」とは自然を運行させる陰陽のはたらきが変化し、交替することを指しています。つまり万物を支配している「道(タオ)」のエネルギーは、絶え間ない(ダイナミックな)陰と陽という位相変化がある―ということです。

漢代になると、この「道(タオ)」の陰陽交替のはたらきを示すために、「気」という言葉が使われるようになります。ここで「道(タオ)」⇒「陰陽」⇒「気」という一本のレールが繋がったというわけです。

以上のように、根源である「道(タオ)」から発する、そのはたらきを受け入れた万物の状態はたえず変化してゆく。人間は万物の一つであり「気」のはたらきの容器でもある。われわれは万物が発する「気」のはたらきを知ることによって「道(タオ)」について知ることができる-というように、小宇宙である人間は、大宇宙である大自然と共存し感応する関係にあるということになります。


※福永光司解説『老子』朝日選書(97年)
※高田真治・後藤基巳訳『易経(上下)』岩波文庫(69年)
※湯浅泰雄『共時性の宇宙観』人文書院(95年)
※道教が「易経」や「老荘思想」を取り入れたのは、三国時代・魏の王弼(おうひつ)ら。
 当時『老子』『荘子』『易経』を三玄と呼ばれ、これをもとにした学問は玄学と呼ばれた。
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