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第21話:老いと向きあい病をつれそう

高齢の患者さんで特に80歳を越えると、どうしても完全には治らない病をかかえる方が多くなります。腰骨が曲がっていたり膝の軟骨がすり減っていたり、骨の変形はもちろん元にもどることはないのですが、少しでも進行を抑えたい、つらい症状をいくらかでも軽くしたいと定期的に鍼灸治療を受けられます。患者さんにとっては、ひとつの病を抱えるだけで精神的に参ってしまいがちですが、現実につきつけられた問題として、完全に治らない病とどう向き合い、どう上手に付き合っていくかが、とても大事なテーマになっていきます。そして老いの先にある「死」をみつめることにもなります。

歌人の斎藤史(さいとうふみ)(1909~2002)は、老いや病の処し方をテーマにした短歌をたくさん遺しています。単に老いや病と明るく向き合う歌というだけでなく、深い洞察に裏打ちされた人生の真理を提示してくれます。へたな養生書よりきっと参考になりそうです。

「〈コワレモノ注意〉と書ける包み持ち 膝病むわれが傾き歩く」(斎藤史)

これなんか情景が浮かんでくるユーモラスな歌です。自分の膝とコワレモノ表示を対比するおかしさ、そんな状況をむしろ楽しんでいるかのようです。多くの人は膝を傷めると自由に出掛けられないことにまずはショックを受けます。斎藤はそんな自分の姿さえも明るく観察してしまう小気味よさがあります。

「死の側(がわ)より 照明(てら)せばことにかがやきて 
               ひたくれなゐの生ならずやも」(斎藤史)

老いは死をみつめることです。これは歌集「ひたくれなゐ」に収めた彼女の代表的短歌です。いつかは必ず死ぬものと分かってはいても、いざ現実の無常感を前にすれば誰しもが死の恐怖にあたふたとする。ところがこの歌では、暗い死の側よりのぞくと実は生がなんと輝いていることか、という発見。これは中々気づかない着眼です。一瞬の生に光明がさして、いまを大切に生きようと思わせます。 

以前、大病をしたAさん(80代)の自宅に毎回出張して、病後の体力回復のために鍼灸治療をしていました。治療の効あって体力は回復してきたのですが、少し物忘れが多くなったことを気にしはじめると「もう死にたい」と口にするようになりました。「次回私が来るまではとりあえず死ぬことはやめて生きていること」を約束してもらい、出張治療を続けていました。治療家は患者さんの身体だけでなく、心にも向き合っているという当たり前のことに気付かされながらも、ただ無力感を味わうだけでした。ふと斎藤史の「ひたくれなゐ」を思い出し、Aさんには「いまを大切に生きてほしい」と祈るばかりでした。

※斎藤史『斎藤史歌文集』講談社文芸文庫(01年)
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