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第71話:岡倉天心『茶の本』に学ぶ



◆西欧に発信した『茶の本』
岡倉天心がニューヨークで『茶の本(The Book of Tea)』を英語で執筆出版したのは明治39年のこと。新渡戸稲造『武士道(Bushido:The Soul of Japan)』(明治33年)と並んで、この時代に日本(東洋)文化論を西欧社会に紹介することの意義は大いにあったといえます。この『茶の本』は、タオイスト天心が行き着いた究極の思想-道教(道家思想)を根底にした暮らしの哲学をあますことなく語った代表作といえます。「茶の湯」を軸とした東洋文化論の代表的古典として、現代に至るまで世界各国で読み継がれてきたものです。

『茶の本』のなかで、茶にはワインのような傲慢さも、コーヒーのような自意識も、ココアのような間の抜けた幼稚さもないと述べ、西欧社会にはないユニークな茶の文化を「茶碗にあふれる人間性(The Cup of Humanity)」と表現しながら、東洋文化の特質を語っています。具体的な内容としては、茶の文化が発祥した中国での歴史、特に宋代で生まれそして元の襲来とともに途絶えてしまった抹茶による「茶の湯」とその哲学的背景にあった「道教」と「禅」、後半は日本に伝わったものが「茶道」として完成していった経緯、そしてその周辺の禅の生活と芸術を紹介しています。

◆「茶道」は姿をかえた道教
中国の茶の文化は、時期により唐代が「団茶(茶を煮立てる)」、宋代が「抹茶(泡立てる)」、明代が「煎茶(浸す)」と三段階に大きく分けることができます。特に宋代の「抹茶」の流行は、仏教徒の南方禅の宗派が道教の教義を大幅に取り入れて精緻な茶の礼法を作りあげたものです。僧侶たちは達磨の像の前に集まり、神聖な儀式にのっとって一椀の茶を順に飲みます。この禅の礼法こそが、後に日本の室町時代に完成した「茶道」のルーツです。

インドから伝わった中国仏教の中で、最も中国らしい仏教が「禅」(と「浄土教」)。なぜなら「道教(道家思想)」をその教理のなかに継承し、その思想に根深く培われているからです。南宋時代は老子の思想についての最良の注釈は南方禅の学者によって書かれているほどです。そして南宋の茶が日本に渡来したのは1191年のこと。南方禅を学ぶために彼の地に渡った栄西禅師(臨済宗)がもたらしました。日本では「茶道」と「禅」の深いつながりを指摘されますが、ルーツをたどれば「茶道」の思想的背景には「道教」が潜んでいます。故に天心は―「茶道」は姿をかえた「道教」―とまで言い切ります。

◆影響を与えた「道教」と「禅」とは
では「茶の湯」の文化が作られる過程で、「道教」の何が影響を与えたのでしょうか。天心は次のように解説しています。「道教」は個人主義を擁護する思想で、私たち自身(=現在)を問題とします。現在とは絶えず変化する相対的な場とみて、自身がどうやったらそれに対応できるのか、身の回りの状況を絶えず調整していく術を問題にします。道教はこの世をありのままに受け入れ、儒教や仏教と違って、嘆かわしいこの世の暮らしの内にも美を見出そうとする思想です。宋代には、その「道教」の影響が強まって、現実を宇宙真理の反映・象徴としてみる発想から、「現実そのものが宇宙真理なのだ」という発想の転換が起こります。さらにそれが「禅」の発展に繋がり、日々のありふれた暮らしの細々とした事柄のうちに、宗教儀礼と同様の偉大さを見出します。つまり「茶の湯」の理念はそうした「禅」の考え方に由来し、日本においては「茶道」を「禅」の精神にまで結実したのです。

以上のように、岡倉天心の『茶の本』では、「茶の湯」の系譜を貫く「道教(道家思想)」、「禅」という根本思想を遡上にあげ、儒教や仏教以上に本質的な東洋人の人生哲学であると説いています。

◆雅号の「天心」
ちなみに本名岡倉覚三の雅号である「天心」を調べてみると、「道教」の瞑想法の経典『太乙金華宗旨』(唐代)にあります。「天心」の意味とは、両眼の間に潜在する天上の光(天光)のことである、と説かれています。両眼の間とは「上丹田」のことであり、仏教では釈尊が悟りをひらかれたときに光を放ったという「白毫(びゃくごう)」のこと。アジアに止まらず広く西欧に、伝統東洋文明の伝道師として当に光を放った天心は、まさにタオイストに相応しい雅号だったということです。

※岡倉天心著/大久保喬樹訳『新訳・茶の本』角川ソフィア文庫(平成17年)
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