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第22話:身体で読む『梁塵秘抄』

NHK大河ドラマ「平清盛」で松田翔太が好演している後白河天皇(法皇)を御存知でしょうか。保元の乱で勝利すると、失脚した兄の崇徳上皇を讃岐へ島流しというのが先週までの展開だったかと思います。(真剣に観ていないので間違っていたらごめんなさい)
後白河天皇は権謀術策に明け暮れながら、熊野に三十回も詣でたと自慢し、白拍子(遊女)を傍にはべらせながら、今様(今でいう歌謡)を歌っていとまなかったという天皇です。ちなみにこれまで大河ドラマで演じた俳優といえば、尾上松緑(「草燃える」)や平幹二朗(「源義経」)などで、松田翔太同様まさに怪優に相応しい役者が常にキャスティングされています。

興味を離さないのは、白拍子が歌った今様の数々を後白河法皇が編纂したとされる『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』です。仏への帰依を哀切に歌う法文歌(ほうもんか)を始め、戯れ歌、男女の機微、子を思う親の心を歌うなど多様な今様歌謡の珠玉集です。

「佛(ほとけ)は常にいませども、現(うつつ)ならぬぞあはれなる、
         人の音せぬ暁(あかつき)に、ほのかに夢に見え給(たま)ふ」

法華経の教えをかみ砕いて「仏さまは不滅なものとしていつも尊いものです。人の物音のしないような静かな暁には、かすかに夢の中に姿をみせてくださいますよ。」という意味になりましょうか。

「遊びをせんとや生まれけん、戯れせんとや生まれけん、
   遊ぶ子供の声聞けば、我が身さえこそゆるがるれ」

「遊ぶために生まれて来たのかしら。戯れるために生まれて来たのかしら。遊んでいる子どもの声を聞いていると、私の身体さえも(うずうず)動いてしまう」という様な意味でしょうか。

これらが当時どんな旋律で歌われていたかは(資料が残されていないので)わからないそうですが、この有名なフレーズにかぎらず、今様がもつ独特のリズム(七・五音四句形式)が不思議にもひびいてきます。それこそ「我が身さえこそゆるがるれ」ではないですが、頭で理解するのではなくて、自然に身体に伝わってくる心地よさがあることを、最近気づきました。

日本語には、頭で理解される文章の他に、『梁塵秘抄』のように読み手の身体にストンストンとリズミカルに入ってくる文章があるようです。本来言葉の持つ力、言霊の力というのでしょうか、身体で読むことで、身体に流れる気がより流れて「我が身さえこそゆるがるれ」となります。『梁塵秘抄』を声に出して読むのは、きっと身体にとっても良薬に勝るものと思っています。

※佐佐木信綱校訂『梁塵秘抄』岩波文庫(33年)
※西郷信綱『梁塵秘抄』ちくま学芸文庫(04年)
 「梁塵」とは妙なる歌のひびきに梁(うつばり)の上の塵も動くという中国の故事に
 もとづく語である―と解説しています。
※石牟礼道子・伊藤比呂美『死を思う―われらも終には仏なり』平凡社新書(07年)
 「梁塵秘抄」から死生観を学ぶという対談が面白い。
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