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第147話:『東洋思想』の重層性



◆悩める学徒◆
鍼灸の専門学校に入学したころ、鍼灸医学の背景となる『東洋思想』に対して急に興味が膨らんできたころの話です。学ぼうとする意欲が芽生えたとは裏腹に、学校で教わる「東洋医学概論」とか「東洋医学史」はとても脆弱な内容に思えて、満足できないまま欲求不満だけがつのるばかりでした。結局のところ、人文科学系の東洋医学に関連する『東洋思想』を論ずる(数少ない)学者のなかから、これはと思う著作を探して自分なりに学ぶしかないと覚悟をきめたものです。とはいえ、それは海図も羅針盤もないところで愚直にも航海にでるようなもので、正直なところ何から手をつけてよいものやら全くわからない状態でした。

そんな悩める学徒に海図と羅針盤を提供し、学ぶことのヒントを示してくれた人物、それが伊藤真愚でした。氏は鎌倉円覚寺で修行した居士(こじ)であって鍼灸師という異色の人物、仏教の世界から東洋医学を語るという、当時の鍼灸界としては稀有な存在といえました。信州伊那に庵を構え、新宿の東洋鍼灸専門学校の講師を務めていました。すべてのツボを「お経」のように覚える「経穴経(けいけつきょう)」という独創的な教材は、当時学生のなかではとても評判になっていました。

◆伊藤真愚の教示◆
講演会の企画に参加したことがご縁で、氏と直接話をする機会を得ました。そのとき教えて戴いたことで一番印象に残っていることが、まさに東洋思想(中国思想)は何を要点にして学ぶかということ、それは―中国の歴史のなかで儒教・道教・仏教の三教がどのように影響し合ってきたのか、さらに日本ではどのように受け入れられてきたのか―という点でした。

氏はその例として、中国がインド仏教を導入した経緯について言及しました。中国の翻訳は、サンスクリット(梵字)で書かれた教義を、実は儒教や道教(老荘思想)というフィルターを通して漢訳していたこと。つまり儒教や道教(老荘思想)の用語を使って中国流に漢訳されたものが「中国仏教」であること、それが日本に伝来すると、さらにまた日本流に編集し直されたのが「日本仏教」だというのです。
つまり、氏が指摘する意味合いとは、東洋思想の変遷を辿れば、儒教・道教・仏教の三教が互いに意識しながら対立しつつも、時に混合(ミックス)と組合せ(コンビネーション)を繰り返してきた歴史があり、その流れをしっかり押さえておくことが大切であるということでした。

◆東洋思想を重層構造でみる◆
それまでのわたしは、東洋医学の古典である『黄帝内経(こうていだいけい)』の基底となす「神仙思想(道教)」を中心に学ぶべきと漠然と思っていただけに、氏の指摘はまさに目から鱗でした。それをきっかけに、『東洋思想』はひとつではなく重層構造にあるという認識にたつようになりました。

かつて『東洋思想』(東洋哲学)を「支那学」と呼んでいた時代には、たとえば岡倉天心や幸田露伴などの漢籍に長けた碩学たちは、儒教であれ道教であれ、そして仏教であれ高い知識と教養を身につけていたので、その重層性を俯瞰する眼は常に備わっていたといえます。ところが現代は、それぞれが分化した大系をとっているので、初学者にとっては相互の関係性が、むしろ見えにくくなっています。
ですから、日本の東洋医学、特に古来の養生法や呼吸法を中心とした、今でいう健康法に眼をむけたときには、その淵源に儒教・道教・仏教による三教の影響が必ず関与することを見極めながら読み解くべきなのです。

◆『養生訓』にみる重層性◆
たとえば、貝原益軒(1630~1714)が著した『養生訓』はその好例でしょう。
貝原益軒は福岡黒田藩の儒学者。「医者を志す者は、まず儒書を学び、その文義を理解すべし」と儒学者らしく説いていますが、だからといって『養生訓』全編が儒教の教義に基づいて説かれているわけでもありません。

なかでも老荘思想に基づく例としては、『老子』の「人の命は我にあり、天にあらず」を引用して、天から授かった命でも、長生きできるかどうかは、われわれの養生に対する心がけ次第であると説き、また『荘子』の有名な逸話、料理人の庖丁(ほうてい)を借りて、養生の術は、庖丁が心をはたらかせて牛を料理したのに似ているとし、自然の摂理に従うままに行うべしと説いています。

特に、貝原益軒は「気」が健康の根本だといいます。それは朱子学の理気論とはまた違った「気」の解釈で、「養気の術」という今でいう「気功」のような養生法を提唱しています。そして『黄帝内経』から「百病は皆気より生ず。病とは気やむ也。故に養生の道は気を調うにあり。」を引用して、「気の養生学」を説いています。

さらに、「呼吸法」の大事なことは「気」を丹田に集むべしとする「丹田呼吸法」と貝原益軒は説いています。この丹田を重視する呼吸法は、実は中国天台宗の開祖智顗(ちぎ)(538~597)が著した『天台小止観』が原点ですが、天台大師智顗がインド古来の呼吸法と、中国の『荘子』から始まる「胎息法」をみごとにひとつにしたものです。この『天台小止観』に説く坐禅と呼吸法は、以後中国禅の「坐禅儀」(坐禅のやり方の書)にそのまま引き継がれて、それが日本に移ってきて、いろいろな文献になっています。

とこのように、例をあげたらきりがないのですが、ただひとついえるのは、こうして『養生訓』を例にしたように、内容の淵源をひとつひとつ丁寧に探っていけば、次第に東洋思想の重層性と全体像がみえてくるのです。(了)


※貝原益軒/伊藤友信訳 『養生訓・全現代語訳』講談社学術文庫(1982年)
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