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第36話:愛猫の死と業平



ある年の1月中旬ごろのお話しです。
まもなく米寿(88歳)を迎えるAさんは、寝しなに『源氏物語』を読まれるほどの古典には造詣が深い御婦人です。朝の寒さがまだ厳しい折に、Aさんはいつものように来院されたのですが、その日はいきなり、正月早々に飼い猫が亡くなったことを話されました。
飼い猫は23歳といいますから、人間ならもう百歳は超えたぐらいの老猫です。お孫さんが拾ってきた子猫のときから、家族の一員として平成をまるごと生きてきたことになります。それが前年の夏あたりから食が細くなり次第に弱くなると、家の中の一番涼しい処を選んで、ひねもす寝ころんでいることが多くなっていったそうです。
Aさんは、「最後は、猫は猫なりに自分の死期をしっかり覚悟した上での静かな大往生だった」と、ぽつんと話されました。さらには猫の最期に接して、ふと在原業平(ありわらのなりひら)の歌が、Aさんの脳裏に浮かんだそうです。

つひに行く道とはかねて聞きしかど 昨日今日とは思はざりしを

覚悟はしていたけど、ついにその日がきてしまったという思いが、愛猫と業平と御自身を重ね合わせながら、すとんと胸に落ちてきたのかもしれません。愛猫の死を坦々と話される中に、少しさびしげな表情をみてとれた気がしたのですが、Aさんの真意は、ただ単にさびしさにあるのではないということを、業平の歌を通して気づかされました。

というのも、古今和歌集の解説本を調べると「つひに行く・・」という歌は「無常思想を強調したり、悲しみを大げさに表現したりすることなく、平凡な人間の心をそのまま述べている。」とあります。さらに、業平の死生観としては阿弥陀信仰の浄土教を基盤として「死とは最後には行かなければならない道」、それもあくまで、日常(生)の延長にあるという考えのようです。

数日経ってのことですが、Aさんが私に、「死ぬことはなにも怖くない。」「眠る向こうに死があるようなもの」と何気に語ってくれました。そうか、Aさんは業平と同じ死生観をもっていらしたんだ、と納得しました。Aさんは、静かな大往生を遂げた老猫にあっぱれと思い、気丈にもさびしくも、それを日常の風景として捉えようとされたのだと理解できました。


※『日本古典文学全集:古今和歌集』小学館(昭46年)
「つひに行く・・」は古今和歌集に収蔵された在原業平の歌。病気をして弱くなったときに詠んだもの。業平がモデルとされる「伊勢物語」の最終段にもある。
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