FC2ブログ

第03話:茨木のり子の詩にみる「気」

hasu

茨木のり子の詩集『歳月』から(存在)という詩を取り上げてみます。

(存在)
あなたは もしかしたら 存在しなかったのかもしれない
あなたという形をとって 何か素敵な気がすうっと流れただけで
わたしも ほんとうは 存在していないのかもしれない
何か在りげに 息などしているけれども
ただ透明な気と気が 触れあっただけのような
それはそれでよかったような いきものはすべてそうして消え失せてゆくような

詩集『歳月』は亡き夫への思いを赤裸々に綴ったもの。その中に掲載された(存在)という一篇の詩は、夫婦の間に流れる「気」の流れを描写した稀有な作品だと私は思っています。よく夫婦を永くやっていると、互いに「空気のような存在」になれるといいます。これは身体的な関係を超えて「あうんの呼吸」というのか、言葉を交わさなくても互いの存在を認め合えること。そんな境地を見事に謳った詩といえます。

文中で「あなたという形」というのは「身体」という見える実態。それに対して「何か素敵な気」とか「透明な気と気」というのは、夫婦の間に流れる見えない「気」の存在を描写しています。
茨木のり子は亡き夫とのかつての生活を振り返って、あのとき見えていた「身体」は実は「存在しなかったのかもしれない」とまでいいきります。これがこの詩の真骨頂でしょう。まるで見えない気の交流だけが夫婦の真実だったと謳っているような、これはすごい発見です。夫が死んでも意識は時を越えて思い出として残る。なぜなら、たとえ形(肉体)は消えうせたとしても、夫婦の間に流れていた「気」の交流はずっと永遠性を秘めているから、とこの詩は教えてくれます。そして最後に「それはそれでよかったような」と安堵したひとことが、素敵な余韻を残しています。

※追記:「見えるもの(形・身体)」と「見えないもの(気)」の対比は
    「陰陽」の関係で捉えてみると、とても興味深い作品にもなっている。 
     形(身体)⇒見えるもの (有形)⇒陰 ⇒体(主体)
     気    ⇒見えないもの(無形)⇒陽 ⇒用(機能)
※茨木のり子著『歳月』花神社(07年)
関連記事
スポンサーサイト



コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する