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第52話:二十六夜(六夜様)



◆今宵は「二十六夜」
今日は旧暦の7月26日。月齢25.5の細い三日月の二十六夜にあたります。東京(大田区)の月の出は01:09AM、方位角度69°でしたが、ゆうべは生憎の雨で残念ながら観ることができませんでした。江戸時代には、この旧暦7月26日のお月見を「二十六夜待(にじゅうろくやまち)」と呼んでいました。月が出る様子が、まるでロウソクの灯が昇ってくるように見え、それを阿弥陀如来にたとえ、月に向かって拝んだといいます。

宮沢賢治の童話にも「二十六夜」という作品があるように、昔から東北各地には「二十六夜」に夜会式(お祭り)を重ね、村の神事として祝う習慣があったようです。私のふるさと酒田でも、「中の口」という町の八幡神社では、旧暦7月26日は「二十六夜」のお祭りがあり、地元の人はそれを「六夜様(ろくやさん)」と呼んでいました。

◆忘れられていく祭事
ところが「六夜様」を実際知っているのは、私の親の世代までです。日本は明治5年12月3日をもって旧暦(太陰太陽暦)から新暦(グレゴリオ暦)に改暦しました。政府が発した「改暦の詔(みことのり)」にこんな文章があります。「諸祭典等旧暦月日を新暦月日に相当し施行すべき事」とあります。となると「六夜様」のお祭りを新暦の7月26日にしてしまうと、まったく「二十六夜」と関係ないただのお祭りになってしまうわけです。信仰心の厚い先人たちは政府の指導を無視して、しばらくは旧暦のままで祭事を執り行ったようです。だから私の母(大正13年生まれ)は「六夜様」のことはしっかり覚えています。それが戦後になって次第に新暦の7月26日に移行してしまい、現在では「六夜様」を知る人はほとんどいなくなってしまいました。結局「六夜様」は、明治の改暦でなくなった文化のひとつとして記憶しておくべき事柄だと思っています。

◆山岳浄土の大パノラマ
ふるさと酒田は、西に日本海を望む港町で肥沃な庄内平野に囲まれています。北東に出羽富士の鳥海山、南南東に霊峰月山がそびえています。神道の世界からみれば、鳥海山は陽の山、月山は陰の山という陰陽の関係があります。神仏習合における仏教の世界からみれば、鳥海山は薬師如来、月山は阿弥陀如来がそれぞれの神宮寺に(廃仏毀釈までは)奉られていました。

民衆の生活に、まさに神仏が深く根差していた風土の中で、「六夜様」は旧暦の7月26日の未明には、鳥海山と月山の間に位置する東の山の端からゆっくり立ち昇ってくるのです。その闇夜の中で、民衆は新井田川(にいだがわ)の土手に立ってそれを拝みます。母に聞いた話では、山の端から月が出てくるときが、まるで2本のお燈明がぼっぽっと灯っているように見え、次第に月の全体像がはっきりして明るくなると、まるで阿弥陀様の御来迎のように見えたといいます。

これは宗教学的には「山岳浄土」の祭事だといわれ、いわゆる西方浄土を山の神と結びつけた神仏習合による民衆の浄土信仰といわれています。鳥海山と月山を両脇に配した大パノラマを、すべて過去の祭事として忘れられてしまうのは、とても残念な気がしてならないのです。

※五十嵐豊作『追憶の鵜渡川原画集』小松写真印刷(平成09年)
大正6年、酒田の鵜渡川原村(うどがわらむら)にて生まれた五十嵐豊作(故人)による画集。教員生活の傍ら、記憶と想像をめぐらして、昭和の初期から30年ごろまでの風景と生活を油絵で描き綴り、その数170点。その中に「六夜様」を描いた1点があります。うまいへたという尺度でははかれない、常民文化の民俗資料として貴重な画業です。実は五十嵐豊作は私の伯父にあたります。
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