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第64話:江戸の時間

落語の『芝浜』は魚屋を営む夫婦を描いた人情噺です。しっかり者の女房が、飲んだくれて半月も商いを休んでいる亭主を起こし、釜の蓋があかねーから今日こそさっさと商いに行っとくれとばかりに送り出します。いやいや出掛けた亭主は、いつも魚河岸に着く頃には夜が明けるはずなのに、今日はまだ暗くてどうも様子がおかしいと思う。そうこうしていると、時を知らせる増上寺の鐘が7つ、時は「寅の刻」。明六つの「卯の刻」はまだ一時(いっとき)さき。「おっかぁ~のやつ、一時(いっとき)間違えやがった」と、うす暗闇の芝の浜でつぶやきます。

今では落語や時代小説でしか垣間見られない、こうした「明六つ」だの「卯の刻」という独特の「時間の概念」をここで取り上げてみます。

江戸の時代は、一日を12で割った時間を「一時(いっとき)」といい、「一時(いっとき)」は凡そ2時間に相当します。この十二の時(とき)に十二支を配当して時の名称とし、これを「十二辰刻(じゅうにしんこく)」と呼びます。下図のように、十二支の順番でいくと、午後11時~午前01時が「子の刻(ねのこく)」、午前01時~03時が「丑の刻(うしのこく)」、続いて2時間毎に「寅の刻」、「辰の刻」、「巳の刻」、「午の刻」、「未の刻」、「酉の刻」、「戌の刻」、そして最後に午後09時~11時が「亥の刻」となります。



[十二辰刻]       [中心時刻] [鐘の数] 
[子の刻](23時~01時)[午前00時] 九つ(正子) 
[丑の刻](01時~03時)[午前02時] 八つ 
[寅の刻](03時~05時)[午前04時] 七つ  
[卯の刻](05時~07時)[午前06時] 六つ(明六つ)〇日の出 
[辰の刻](07時~09時)[午前08時] 五つ  
[巳の刻](09時~11時)[午前10時] 四つ  
[午の刻](11時~13時)[午後12時] 九つ(正午)  
[未の刻](13時~15時)[午後02時] 八つ(おやつ)  
[申の刻](15時~17時)[午後04時] 七つ  
[酉の刻](17時~19時)[午後06時] 六つ(暮六つ)★入り日 
[戌の刻](19時~21時)[午後08時] 五つ  
[亥の刻](21時~23時)[午後10時] 四つ   

ここで1年をとおして、日の出の時が「卯の刻」、日没の時が「酉の刻」と決まっていて、時を知らせる梵鐘は、それぞれが同じ「六つ」鐘を叩くことから、「卯の刻」を「明六つ(あけむつ)」、「酉の刻」を「暮六つ(くれむつ)」と呼びます。そこから昼と夜をそれぞれ6等分したのが「一時(いっとき)」になるのです。これは「不定時法」という時間法で、季節によっては「一時(いっとき)」の長さが伸び縮みするというということ。実際昼の「一時(いっとき)」の長さを比較すると、春分秋分のときが「2時間」、冬至のときが「1時間50分」、夏至のときで「2時間38分」となるそうです。こんなふうに季節によって時間の長さが変わってしまうなんて、現代人の頭と身体ではなかなか理解できない話ですが、実はこれこそ、自然の運行を最大限に優先した「時間の概念」といえるのかもしれません。

江戸時代の日本人は、日の出とともに起き、日の入りとともに寝る準備をしていました。それは照明などのエネルギー消費を極めて少なくしたエコロジーな生活だったといえます。商人や職人などの勤勉な労働者は、現代人のように日没後に残業するなんて到底考えられないこと。むしろお天道様を拝める時間の中でしっかり働くことを旨とし、しかも季節によって伸び縮みする時間に、身体も上手に合わせて暮らしていました。まさに自然体で無理のないライフスタイルを、江戸の庶民は普通に身につけていたことに、ただただ驚くばかりです。

十二支は「時間」だけでなく「方位」にも関連付けていいる。
例えば「辰巳の方角」といえば「東南」になる。
※「一時(いっとき)」の4分の1が「刻(こく)」で今の30分。
怪談でよくいう「丑三つ時」とは[丑の刻]の3番目の「刻」で午前2時から2時30分に当たる。
落語『芝浜』:かつては先代桂三木助の十八番でしたが、最近は立川談志があっというまに桂三木助を越えた感すらあります。図書館でCDを借りて両者聴き比べてみました。談志の落語は『芝浜』に限らず、すべての噺に独創的な演出がみられます。談志こそ名人としか言いようがありません。もっと生前に聴いとけばよかったと後悔しています。
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