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第06話:身体性の共有

親子で似たような病気や症状を同時期に抱え込むことがあります。もちろん感冒のような感染性のものは当然ですが、感染性でない場合これをどう理解してよいのでしょう。

◆母と娘が膝痛
例えば80代の母親と50代の娘さんが、同じように左の膝痛を訴えていた時期がありました。それは単に偶然といわれればそれまでですが、他にも似たようなケースがあり、一概に偶然とはいえない印象を持っています。それはむしろ親子で痛みをシェアしているのではないかとさえ思います。

◆母と娘が同じ経絡に症状
ある母親のAさんは、娘さんが2度目の乳ガンの手術を無事終えた頃来院されました。その報告を受けたのちにご自身の主訴を聞いてみると、「夜中に急に右大腿外側から鼠径部を通り右乳房の下までの範囲に痛みが走って寝られなかった」と云います。さらに続けて「娘が最初に乳ガンを手術したときも同じようなことがあった」と付け加えます。そこでAさんが訴える右大腿外側から右乳房の下に至るラインを確認してみると、ちょうど足の胃経という経絡上に当たります。胃経とは陽の経絡で、目の下から足の第3趾へと上から下へ流れ、その途上で乳房の中央を通るのです。
右乳房のガンを摘出した娘さんは、術後傷口の痛みを抱えながらも、なんとか衰えた体力を回復しようとしています。Aさんは、そんな娘さんの負担を少しでも軽減させてあげたいと願います。その母親の強い思いが、自身の乳房に関係した胃経上の痛みとして現れ、娘さんの痛みの一部を請け負ったのではないかとみています。

◆斉藤環の分析
ここで「母と娘の関係」を精神分析学的に論じた斎藤環の例を紹介します。斎藤環は「ひきこもり」や「摂食障害」の研究で著名な精神科医です。斎藤によれば、「母と娘の関係」は他の「母-息子」「父-娘」「父-息子」の関係に比べて、とりわけ特異的な絆で結ばれている―と指摘します。その意味するところは「母と娘は身体性を共有している」ことをいいます。「身体性の共有」は、娘の身体に母が存在していることでもあり、象徴的な云い方をすれば「娘は母殺しが出来ない」となります。たとえ母を殺したとしても根源的な解決にならず、その行為はむしろ自傷行為になる―とまでいい切ります。「母と娘の関係」は、ことさらさように濃密な関係であることから、関係がこじれると逆に複雑で厄介な様相を呈しやすくなります。

◆身体性の感応
およそ母親とは「子供のためならいつでも命を捨てる」と口にするほど子供に向ける愛情は強固なものと、誰もが認めていることでしょうが、特に娘の関係に「身体性の共有」を指摘する斎藤の分析からして、前述の「症状を共有」しやすいことの証左とみれば、なるほどと思わず納得できるところなのです。云いかえれば、母と娘の間に流れる気のキャッチボールのなかに、「身体性の感応」があるともいえます。従って治療の世界では、片方(母)を治療してあげると、他の片方(娘)までよくなってくるということにもなるのです。

※「母は娘の人生を支配する」斎藤環著・NHKブックス(08年)
 一見刺激的なタイトルは女性の読者を失いそうですが、「母殺しの不可能性」が本書の
 一貫したテーマで、腑に落ちることが多々あります。また、母と娘の「入れ子構造」
 として、川上未映子の芥川受賞作『乳と卵』を身体論から分析してみせた評論は印象的。
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