スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

第75話:世阿弥に学ぶ(その1)



「初心忘るべからず」-----

◆現代に生きる世阿弥の言葉
世阿弥(1363~1443)が遺した能楽の芸術論『風姿花伝』を代表とするいくつかの書は、本来一子相伝にして門外不出でした。故に「万人の書」として一般の人がようやく自由に読めるようになったのは、昭和2年秋、岩波文庫『風姿花伝』が刊行されてからのこと。古典といえば古くから読み継がれたものと思うだけに、ふとそんな事情を知れば、いま世阿弥の書にふれることは、現代人にとってはそれこそ「特典」のようにも感じられます。

「初心忘るべからず」「秘すれば花」「花は心、種は態(わざ)」など、能を学ぶひとでなくとも、世阿弥の遺した言葉が現代にまで生き生きと普遍的に響いてくるのは、単に能楽の技術論を述べたものではなく、常に「心構え(精神)」を語っているからです。演戯するうえで「心」の問題を重視しているところが、世阿弥の説く芸術論・習道論としての最大の特長になっています。それはまた、職人を自認し「論と術」にこだわる鍼灸師からみても、世阿弥が遺した数々の言葉には大いに耳を傾けるものがあります。

◆「初心忘るべからず」の本来の意味
この有名な成句は世阿弥の『花鏡』にあります。通常は「初心の真摯な志や情熱を忘れるな」という道徳的な教訓として扱われていますが、実は世阿弥が説く内容はそれとは違います。「初心(の芸を)忘るべからず」とあり、むしろ「初心の芸がいかに醜悪であったか、その古い記憶を現在の美を維持するために肝に銘ぜよ」という忠告の意味となります。 
世阿弥はことわざ「前々の非を知るを、後々の是とする」を引用して、昔の欠点を知ることが、将来のための利点になると説いているのです。

個人的な経験からいえば、鍼灸師の資格を取ったばかりのころは、随分と荒っぽい治療だったと今だからこそ反省しています。もし可能であれば、当時の患者さんにもう一度治療をして、今の技量で以てあがないたいと思うものです。わたしにとってはまさにそのことが「初心(の治療)忘るべからず」ということになります。

◆「時々の初心」
ここで特筆すべきは、世阿弥の説く「初心」とは初心者の段階に限らないこと。それを「時々の初心」「老後の初心」と呼んでいます。現在の芸の水準を維持・向上させるには、世阿弥は美しい未来の夢よりも過去の醜悪な姿を思い出させることの方が大切と説きます。そしてその時々の段階で過去を振り返る「時々の初心」、さらに老年になればそこでも「老後の初心」として、常に過去を振り返りつつ芸の精進をはかるという、それこそどこまでも真摯な姿勢を貫きます。したがって、初心の芸を忘れまいと工夫するのは、とりもなおさず、現在の芸境を見失わないためにすると説いています。

これまで永年治療したなかで、治療がうまくいった経験よりも、うまくいかなかった経験の方が、圧倒的に脳裏に残っているものです。わたしの技量不足で残念ながらご縁を失ってしまった患者さんのことは結構忘れないものです。治療家にとってそうした「心の檻」のようなものが、世阿弥がいう「時々の初心」にあたるものだと思っているところです。    (つづく)

※『日本の名著:世阿弥』中央公論社(昭和44年)
山崎正和(劇作家)と観世寿夫(能役者)による現代語訳と解説。
※世阿弥著『風姿花伝』岩波文庫(1958年)
明治42年吉田東伍博士が学会で紹介されるまでは秘蔵の書であり、以後昭和2年岩波文庫『風姿花伝』刊行までは、読者が一部の研究家に限られていた。
関連記事
スポンサーサイト
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。