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第81話:色は空 空は色

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「色は空 空は色との 時なき世へ」
これは先頃亡くなった十二代目市川團十郎の辞世の句です。昨日の告別式において、長男で喪主の市川海老蔵が披露したものです。海老蔵は「色」を(いろ)、「空」を(そら)と読んで、さらに「空を見上げたら、ぜひ父團十郎を思い出してください」と結んでいました。解釈は人それぞれでしょうけども、これは明らかに『般若心経』の「色即是空、空即是色」を意識したものでしょうから、できれば「色」を(しき)、「空」を(くう)と読んで欲しかったな、と思うところです。

「色」は「見えるもの=形・身体」であり「空」は「見えないもの=心」。「見えるもの」と「見えないもの」がまるで区別がつかない、時空を超えた新たな世界へ旅立つ、とする團十郎の自然体なまでの覚悟の句に読めます。

ただもうひとつ考えられることは、これは世阿弥の説く「演劇論」を踏まえた上で、團十郎は詠んだのではないかという想像もできます。というのも、世阿弥の『遊楽習道風見』のなかには、『般若心経』の「色即是空、空即是色」を引用して、演者にとっての「完成を越えた境地」を述べている箇所があるからです。

世阿弥がいわく―様々な芸能の道においては、感覚によって捉えられる有形の存在であるところの「色」と、その背後にあって感覚では捉えられない無形の根柢(こんてい)である「空」との、ふたつの次元が考えられる。すなわち、それらは観客の眼の前に「形」となって現れた演戯と、それを生み出す眼に見えない演者の「心」との二層を示している。演者が目指す最高の芸風とは、「形」が「心」を表している演戯であり、且つまた「心」が「形」そのものを表す演戯でもあるように、「形」なのか「心」なのかまるで区別がつかない領域に到達することである。―と述べています。

すなわちそれが「色は即ち空であり、空は即ち色にほかならぬ」といえるところの「完成を越えた境地」というわけです。ですから、市川團十郎が遺した辞世の句には、円熟した歌舞伎役者がさらに理想とする「完成を越えた境地」という願いも、きっと込めていたのではないかと勝手ながらも想像するのです。

世阿弥(1363~1443)は、近代のスタニスラフスキー(1863~1937)に先駆けること五百年前に多くの演劇論を著し、今や海外でも高く評価されているそうです。世阿弥が説くところの「見えるもの」と「見えないもの」に対する洞察を、團十郎はきっと意識していたのだろうと思います。

※『日本の名著:世阿弥』中央公論社(昭和44年)
山崎正和(演出家)と観世寿夫(能役者)による現代語訳と解説。
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