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第84話:「経絡」の正体(本山博の研究)



◆経絡敏感人
ダンスの世界で活躍されているAさんは独特の身体感覚をもっています。自分のエネルギーが身体のこの辺に集まっているとか、ここら辺の流れがわるいというふうに、一種の直感でしょうが、まるで身体の地図を確認するかのように詳細に解説してくれます。Aさんが感じているのは「経絡」に流れる気のエネルギーで、普通の人には簡単に実感できないもの。こうした身体感覚をもった方を「経絡敏感人」と呼んでいます。

◆感覚で認識できない「経絡」
そもそも「経絡」とは外から感覚によって認識することはできない代物。死体解剖したところで、血管や神経のような実在の脈管系として確認できるものでもありません。心理的にみるならば、普通の状態では意識的に感知することができないことから、湯浅泰雄は「経絡」を「無意識下の潜在的回路」であると述べています。

では、感覚では認識することのできない「見えざる回路」としての12本の「経絡」と、そこに配置する360余りの「ツボ(経穴)」の存在を、古代の人たちはどのように認識し体系化していったのでしょうか。たぶん考えられるのは、Aさんのような「経絡敏感人」と呼ばれる人々によって寄せられた情報をまとめていったということ。少なくとも古代の人々は、身体感覚を比較すれば、現代人よりもかなり敏感だったであろうことは十分に想像できます。

◆中谷義雄の研究「良導絡」
現代において、東洋医学の科学者たちは「経絡」の存在を科学的に証明しようと多くの試みをされてきました。中谷義雄による「良導絡」の研究はその代表的なものです。これは特定の病気の際に、皮膚の表面である「表皮」に電流の通じやすい走行路が検出されることに注目し、これを「良導絡」と呼びました。中谷はこれを自律神経の異常として捉え、「良導絡」を神経と結び付けて解していますが、実際のところ「経絡敏感人」が感知する気の流れとは神経とは無関係にあります。したがって「良導絡」こそが「経絡」の正体であるとするには、若干の疑問が残るところなのです。

◆本山博の研究
その点、最も信憑性が高いと思われるのが本山博の研究です。これは経絡が走る「場」を皮膚の表面にある「表皮」ではなくて、その下にある「真皮」とみているのが最大の特長です。「表皮」は角質の下に細胞が敷き詰められた層ですが、その下層の「真皮」とは細胞がポツンポツンとあるだけで、あとは繊維が網の目のようにあって、その隙間に水が流れているのです。本山はその流れる水の通路こそが、全身に張りめぐらせたネットワークとしての「経絡」の正体であると結論づけるのです。具体的には、「真皮」の水の中を走るエネルギー、つまり電気を測ることで「経絡」の存在を証明しています。

◆本山研究が意味するもの
人間の身体は60%ぐらいが水(体液)でできています。細胞の中も外もほとんど水が流れています。この水の流れが悪くなると病気や、いろいろ具合の悪いことが起きます。生体全体の新陳代謝に欠くべからざる働きをしている、この水のチャンネルこそが「経絡」で、気のエネルギーはこの1ミリも満たない「真皮」の中を流れているというわけです。それは、生体全体における生命維持という意味からも、それこそ水(体液)には重量比60%ぐらいの価値があり、そこに「経絡」の気エネルギーが関与していることを意味しています。

さらに、「経絡」の場を「真皮」とした背景には、もうひとつ重要な意味が含まれています。それは発生学的な根拠です。つまり「表皮」や「神経管」は「外胚葉」であるのに対して、「真皮」や「結合組織」や「循環器系」は「中胚葉」に由来すること。「中胚葉」というのは、「外胚葉」と「内胚葉」の間を埋めるものとして、体壁と独立して発達しながら体液により保護されています。つまり「中胚葉」は身体全体の中で当に「繋ぐもの」「流れるもの」という特徴があり、本山博がそこにスポットをあて「真皮」が「経絡の場」としたことは納得できることです。

また、水のチャンネルこそが「経絡」とみる着眼は、実は古典が説く内容に符合します。たとえば『黄帝内経・霊枢』のなかの「経水篇」を紐解けば、12本の経絡を実際の中国にある河川になぞらえて説いています。古代の先人たちが、経絡の中に流れる気のエネルギーを、すでに水の流れとして示唆していた事実には、改めて感心するばかりですが、そこに到達した本山博の研究は、大げさに言えばそれこそ歴史的な事象であると言わざるを得ないでしょう。

※湯浅泰雄『気・修行・身体』平河出版社(86年)
※本山博『気・瞑想・ヨーガの健康学(東洋医学の深層)』名著刊行会(平成6年)
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