第07話:藤堂明保VS白川静にみる「気」の原義

◆藤堂明保の思い出
今や漢字学者といえば白川静(1920~2006)ですが、私が高校生の頃(70年代)は藤堂明保(1915~1985)が有名でした。たぶん白川は当時無名に近い存在だったと思います。藤堂は当初東大の教授で、教育TVの「中国語講座」の講師をはじめメディアへの露出も多く、なかでも深夜番組の「11PM」では「女へんの漢字」と銘打ったくだけたコーナーにも出演し、聴き手の朝丘雪路との丁々発止は楽しかったものです。どことなく俳優の久米明に似て、気さくな学者さんといった雰囲気が私の印象でした。

つぎに鍼灸専門学校生の頃(90年代)のこと。中国伝統医学の古典『黄帝内経(こうていだいけい)』を学ぼうと集った仲間内の勉強会に参加していました。参考書としていの一番に採りあげたのが、柴崎保三著『鍼灸医学大系・黄帝内経素問全25巻』でした。その柴崎本こそ、藤堂明保の漢字学を基に『黄帝内経』を詳らかに分析した解説本です。つまり当時の鍼灸に関わる訓詁学においても、藤堂の影響は十分反映されていました。
ここで藤堂明保の漢字学とは何かと要約すれば、まずは漢字学のバイブルである後漢の許慎(きょしん)が著した『説文解字(せつもんかいじ)』を基本とします。その上で、特に字音(中国読みの音)から共通した意義を見出す「音韻学」を重要視する手法を取っています。

◆白川静の登場
一方、白川静が世に登場したのが、昭和45年(70年)の岩波新書『漢字』。当時白川は60才で立命館大学教授、当に遅咲きのデビューです。その出版直後に、藤堂(当時65才)がこの『漢字』にいちゃもんをつけます。どこの馬の骨かわからん奴に、なぜに岩波ともあろう出版社があんな本を書かせたのかという文句です。白川はそれに対して「文字学の方法」という論文で応戦し、徹底した藤堂明保批判を展開するのです。この「業界事件」の顛末を知り得るのはもちろん最近になってからのことです。それから40年の歳月を経た現在、明らかに白川静に軍配が挙がり、ついに藤堂明保は、白川を語る上での対照的な傍流の学者になってしまった感すらあります。

では白川静の漢字学の特徴はなんでしょう。その前に、漢字の成り立ちについて整理しないと全体像がみえません。許慎の『説文解字』はなにしろ紀元一世紀の後漢時代のこと。漢字とはいえ、それは秦の始皇帝が文字統一をはたしたあとのもの、それ以前に甲骨文(殷~殷末)や金文(周)などがあったのですが、それらの多くの原形は許慎にはまったく知られず、その後の清時代までほとんど知られていなかったのです。なぜなら甲骨文字が安陽の小屯村で偶然に発見されたのは1899年のことなのです。また、その解読がある程度すすんだのも1920年代をすぎてからのことでした。

その後の甲骨文字学や金文字学が、新たな「漢字の体系」を求めた原理に取り込んでいったのですが、中国では政治的国状もあってか残念ながら『説文解字』を越えて新たな「漢字の体系」を示すものにはならなかったのです。そこに、日本の漢字学者白川静ひとりが甲骨文字と金文から漢字の体系的原理を追求したわけです。白川の言葉を借りれば「漢字には文字が生まれる以前の悠遠なことばの時代の記憶がある」といいます。特に文字がもつ本来の「力」とか「命」というものを想定します。そして、それを「呪能(じゅのう)」と呼びました。呪能とは、人間が文字にこめた原初のはたらきのことです。呪能とはいえ、呪うとはかぎらない。祝うこと、念じること、どこかへ行くこと、何かを探すこと、出来事がおこるだろうということ、それらが文字自身の力ではたそうとしているのが、文字呪能です。こうして「文字は神であった」という斬新な視点に基づき、『字統』『字訓』『字通』を始めとした多くの本を著したのです。

孤高の漢字学者・白川静の登場によって、ひとつの漢字について全く違った淵源と解釈の違いを生じることになります。それは藤堂VS白川という構図という枠から大きく飛び越えて、当に中国最古の漢字辞典である『説文解字』に「白川漢字学」が真っ向から異を唱えた歴史的事象とも呼べるものです。

◆「気」の原義の違い
では本題の「気」についてどう違いがでたのでしょうか。
「気」という字は、元々「氣」を旧字とし中に米という字が入っていました。『説文解字』には「氣」と記載され、その意味するところは「客に饋(おく)る芻米(すうべい)のこと」とあります。気とは御飯を炊く時に出る湯気のことで、後の「餼(ごちそう)」の原字。御飯を炊く時に湯気が釜蓋に遮られて行きづまり、その蓋を押し上げ、曲屈して立ち昇る姿からとったものである。蓋を押し上げるためには力がなくてはならぬ。従って気には他物を動かす力がひそんでいる-と柴崎保三は前述の解説本で記述しています。これが『説文解字』による藤堂明保の「気」の原義とみてよいと考えます。

それに対して白川静は甲骨文字と金文の時代に視座を置き、「気」は最初横3本で書かれ、後に「气」となったと述べ、その「气」の意味するところは「運気の流れることを示す字である」と説き、さらに「運気は変幻にして一定の姿を示すことはないが、その変幻のうちに神意を探り、その妖祥をよみとることができた。そのことを望気という。」とあります。具体的には、外敵と戦うときに、外敵は前線に出たシャーマンから一斉に呪いをかけてくる。その妖気が雲に現れる、それを運気と呼ぶ。味方のシャーマンが一斉にその気を望み妖祥をよみとる―という構図です。このように白川の説く「気」の原義は、霊的な性格をもつある実体であり、変幻自在な存在者であると分析しています。

以上のように「気」の原義をたずねると、『説文解字』では「御飯を炊く時に出る湯気」であるのに対して、白川静によれば「運気の流れることを示す」となります。「気の医学」を追究する一治療家からみれば、明らかに白川説に軍配を挙げたくなります。なぜなら気は流れるもの、気は発するもの、そして気は察するものであるから、文字に込められた「力」や「命」は「運気云々」説に十分感じられるほかありません。

※『漢字の智恵』藤堂明保著・徳間文庫(89年)
※『漢字百話』白川静著・中公文庫(02年)
※『白川静-漢字の世界観』松岡正剛著・平凡社新書(08年)
白川の『万葉論』は『詩経』との重畳的交差から論じている点も興味深い。
※『鍼灸OSAKA別冊ムック:東洋の身体知』(04年)より
 4頁「気の原義」白川静
関連記事
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する